「なっ……、なぜお前が死ぬ必要がある!? お前に無実の罪を着せてどうするんだ!!」
キルトールが動揺のままに叫べば、レイは冷たく答えた。
「久居には罪を着せてたじゃないか」
「あ、あれは闇の者だ。役目が済めば、すぐに殺される」
キルトールの言葉に、レイは何も言えないまま、眉間に皺を寄せた。
「お前は……どうして、私の術が、破れたんだ……」
思わず口をついて出たキルトールの言葉に、レイは問いを返した。
「……義兄さんはどうして、カロッサさんを殺す必要があったんだ?……」
キルトールは言葉に詰まる。
殺すつもりなど無かった。
時の魔術師の存在は重要だ。保護する必要こそあれ、殺すなんてとんでもない。
天啓もまだ最中だったし、何より、お前が初めて好いた女性だったのだから……。
だが、このままでは闇の者の存在が他の天使にも伝わってしまうと分かった途端、私の行動も、考えも、あの方の意思に制御されてしまった。
こんな事……。
お前に言えるはずもない……。
「信じてもらえないかも知れないが、……殺すつもりは、無かったんだよ……」
義兄の姿に、レイは驚いた。
いつだって、自分が正しいと、自分は間違っていないと、過剰なまでに主張していた義兄が。
こんな弱気な言葉を口にする事があるなんて。
キルトールは、言葉を返さないレイを、ただじっと見ている。
紫の滲む青い瞳は、銀色の髪の間から、真っ直ぐに、縋るようにレイを見つめていた。
「……私は、ただ……お前に嫌われるのが、怖かったんだよ……」
義兄の言葉に、レイは反射的に叫んでいた。
「っそんな事、あるわけない!!」
「私が、お前の家族をすべて壊したとしても……?」
キルトールの瞳に映っていたのは、深い深い後悔と、底知れない程の悲しみだった。
(全て……?)
その単語に、レイの脳裏に母よりも先に亡くなった父の姿が過ぎる。
父の死すらも、この人が仕組んだ事だったというのだろうか。
母は、確かに、カロッサさんを殺した人物と同じなら、義兄が殺したのだろう。
妹の命を狙っていたのも、義兄だった……。
「どうして……義兄さんがそんな事……」
レイの問いに、キルトールは暗く自嘲を滲ませて答えた。
「……どうして、私なんだろうな……」
キルトールには、分かっていた。それでも、どうしてと問いたくなる。
他に指令を出せる者がいないわけでもないのに。
あの女神は、私にばかりこんな仕事をさせる。
大方、私が苦しむ様を見たいだけなのだろう。そう推測はできたが、それでも『どうして』という思いばかりが、胸に繰り返される。
「他の者だったなら、私も、どれだけ良かったか……」
レイは、義兄が望んで行った事ではなくとも、その罪を義兄が自ら背負っている事実を知る。
義兄は、レイとの毎日を、その暗く重い罪を抱えたままに過ごしていたのだと、ようやく気付いた。
レイの記憶の中で、義兄は優しく微笑んでくれていた。
俺に罪悪感を山ほど感じながら。それを隠している事に苦しみながら。
……それでも、俺の隣にいてくれた。
隣で、笑っていてくれたんだ。
レイと義兄との関係は、嘘だらけの関係だった。
レイが今まで真実だと思っていた事の、ほとんどは嘘だった。
それでも……、とレイは思う。
金色の髪を揺らして、澄み渡る秋の空のような深く青い瞳で、レイは息を吸い込んではっきり告げた。
「俺に新しい居場所をくれたのは義兄さんだ。
毎日を、一緒に過ごしてくれたのは、紛れもなく義兄さんだ!!」
義兄の罪が事実であるのと同じように、義兄が自分と共に長い時間を過ごしてくれた事も、レイにとって、違えようのない事実だった。
思わず大声になってしまって、レイは軽く肩を上下させ、頬を上気させる。
(暑い……)とレイは感じた。
キルトールは、義弟の言葉を受け止めると、驚きを浮かべていた表情を緩やかに崩して微笑んだ。
微笑んだその瞳から、ほろほろと涙が溢れる。
キルトールには自身の感情の決壊を抑えることができなかった。
止められない涙に、キルトールは右目にのみ嵌めている片眼鏡を外した。
これまでの日々は、決して無駄では無かった。
義弟が、重ねてきた術よりも、重ねてきた時間を大切にしてくれたことが、キルトールには嬉しくて堪らなかった。
レイザーラは、難しそうに眉を寄せ、泣くのを堪えているようにも、怒っているようにも見えるそんな表情でキルトールを見上げている。
レイザーラの明るい金色の髪は、キルトールの滲んだ瞳には、まるで陽の光のように眩しく煌めいて見えた。
キルトールは、この可愛い義弟が自分を義兄と慕ってくれる限り、何としても、彼の命を守りたいと願う。
キルトールは、レイに近付くと、その頭へと手を伸ばした。
レイが、一瞬ビクリと身を縮める。
それから、ギュッと閉じてしまった目をそうっと開く。
キルトールは、そんな義弟の様子にじわりと心痛めながらも、静かに言った。
「……お前の記憶を、もう一度封印させてくれるな?」
キルトールは、レイザーラが従順に頷くものと思っていた。
しかし、義弟の口から出たのは真逆の言葉だった。
「それは出来ない」
「………………何だって?」
聞き間違いかも知れない。そう思うほどに、キルトールにとってそれは信じがたい言葉だった。
「妹に、申し訳が立たない……」
レイは、しゅんと羽まで項垂れるようにして答える。
レイは、別れ際にリルから聞いていた。
サラが兄を助けてくれるように頼んでいた、と。
そんな妹を忘れてしまう事だけは、もう二度としたくなかった。
「し、しかし、そうでなければ、お前は殺されてしまうんだぞ……!?」
キルトールが狼狽を隠しきれないままに訴えれば、レイは静かに答えた。
「……それで、いい」
こんなはずはない。レイは素直に頷くはずだった。
そんな思いを抱えながら、キルトールはよろりと半歩後退った。
「い、いいわけないだろう!? 私は、そんな事は許さない!!」
キルトールも、気付けば額にびっしりと汗を浮かべていた。
長い銀髪を揺らして大きくかぶりを振ると、汗の雫が散る。
「私は、お前を手放すつもりはない!」
両肩をキルトールに強く掴まれ、レイはそのまま寝台へと押しやられる。
「に、義兄さん……?」
腰が寝台に当たっても、なお押し付けられる力は緩まない。
見上げた義兄は、酷く思い詰めた顔をしていた。
紫がかった青い瞳が、暗く揺らいでレイを見据える。
「……お前はずっと、私だけの可愛い義弟だろう?」
口端を歪めたキルトールの両手から淡い光が広がる。
レイは慌てて腕から抜け出そうともがいたが、既に両肩は術によってじりじりと寝台に縫い止められていた。