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41話 闇(2/5)

カロッサがリルの背からバッと勢いよく手を離す。

冷や汗がびっしり浮かんだカロッサの顔を、リルがキョトンと見る。


「えっ、ちょっ、これずっと? ぅ……生まれてから、ずっと……これ?」

(こんなの、生き地獄じゃないの……?)

最後の言葉をなんとか飲み込みながら、カロッサはリルを見つめる。

心の準備が全く出来ていなかったカロッサがあからさまに狼狽えていると、異常を察知して久居が駆け付けた。

「カロッサ様、大丈夫ですか?」

声をかけられ、カロッサが久居を見上げる。

久居の顔を見ると、激しい動揺はすっと溶けるように落ち着いた。

リルの心の影響がまだ残っているのだろう、久居の声にすごく安心する。

「ええ、ちょっと驚いただけで、大丈夫よ……」

顔色の悪いカロッサに、直接聞くのを躊躇ったのか、久居がリルに事情を尋ねる。

「何があったのですか?」

リルが「ちょっとだけね、ボクの過去見をしてくれたんだよ」と答えるのを聞いて、久居がわずかに眉を顰めた。

「……そんなに、ですか」

言外に、酷かったのかと尋ねてくる久居に、カロッサは「うーん……」と考えてから「久居君の過去とは、また違う意味で、ね」とだけ答えた。


久居の過去は過酷ではあったが、父が蒸発してから母を失うまでが半年ほど、そこからまた弟を失うまでが半年ほどと、そう長い期間ではない。

それに前半の半年の記憶は、現在の久居からは消えている。

対してリルは、苛烈なものではないものの、生まれてから延々十四年にも渡るもので、心に残した傷は根深いだろうと思う。


「……まあ、人の過去は気安く見るものじゃないってことだわ……」

カロッサは、相変わらずの自分の迂闊さを呪った。


「ねえ、レイの過去は見ないの?」

リルの質問に、カロッサは定期連絡に出たはずのレイが戻っていないことを確認すると、小声で答える。

「昏睡していた時に試したんだけど、レイ君の過去は見えなかったの。多分、プロテクトのせいだと思うわ」

「ふーん。そうなんだ」

「この話はレイ君には内緒よ?」

「うん、分かった!」

リルがにっこり笑って答える。

「……久居君、この『分かった』は、大丈夫なやつ?」

カロッサが引きつった顔で久居を振り返る。

「ええと、そうですね……七割ほどは」

久居は、わずかに困り顔で答えた。



そんな経緯もあり、カロッサはリルが村に戻る事に反対し、リリーを説得するのに一役買ってくれた。



「ねー。なんで二年も先なの? 今いるところは分からないの?」

尋ねるリルに、

「逆に言えば、あと二年くらいはクリスちゃんも元気にしてるって事よ」

とカロッサが答える。


「では、二年後には、また彼女に危機が迫ると言う事ですか」

久居が、リルにも分かるよう要約しながらカロッサへお茶を出す。

そのまま、菰野、フリー、リル、自分用にお茶を並べると、盆の上に土瓶と茶碗を二つ伏せた。


「何か状況が変わったんでしょうね。多分、近いうちにレイ君あたりから連絡があるんじゃないかしら?」

カロッサがお茶に口をつけたのを見て、久居は主人の背後に控えようとする。

それを、菰野が苦笑しつつ止めると、久居を同じ卓へと着かせた。


「じゃあ、ボク達は、二年したら、クリスを助けに行くって事?」

クリスの危機と聞いて、リルが真剣な顔になっている。

「そうなるわね。レイ君も一緒に、三人でお願いね」

「うん!」

力強く答えたリルの他に、声は無かった。


「お前も行くんだろう?」

菰野に言われて、久居がギシッと固まる。

「…………はい………………」

表情こそ変わらなかったが、絞り出したような言葉と、ギリリと奥歯を噛み締めるその力強さに、

(ああ、本当は行きたくないんだな)

とその場の全員が思う。


菰野は苦笑しながらも、久居に優しく諭すように言う。

「二年もあれば、俺だって十分一人で生活できるようになるさ。久居は心配せず行ってくれればいい」

菰野の言葉に、フリーもぴょこんと触覚を揺らして言う。

「あ、あたしも、もう少ししたら翅と触角がちゃんと隠せるようになるから、そしたら菰野に会いに行けるよっ」

フリーの主張を、菰野はふわりとした柔らかい笑顔で止める。

「女の子が一人で来るのは危ないよ。僕が会いに来るから、待っていてくれる?」

「えっ、う……、うん……」

フリーが赤くなって頷くと、菰野が安心したように微笑む。


久居はまだ、俯き加減のまま、握り締めた両手を睨んでいた。


そこへ、バサバサと派手な羽音を立てて、レイが戻ってくる。

着地の際に、勢いをうまく殺しきれず『おっとっと』とばかりに数歩走っていってしまう姿にも、そろそろ全員見慣れていた。


「どうしたんだ? 皆集まって」

レイが息を整えながら、大テーブルに集う皆を見渡す。

「空竜も来てるんだな」と声をかけ「きゅいっ」と鳴く空竜の頭を撫でながら、レイが皆につられて席についた。

久居が自然な仕草でレイのお茶を出す。


「レイ君、何か報告があるかしら?」


カロッサに言われて、レイがぎくりと肩を揺らした。

「……さすが、カロッサさんは優秀な先見ですね。ええと……、良い知らせと悪い知らせがあるのですが、どちらからにしましょうか」

「良い方から聞くわ」

カロッサが即答する。

「良い知らせは、お待たせしていたカロッサさんの家がやっと完成しました。明日以降いつでもご入居いただけます」

「そう、分かったわ」と答えたカロッサが、両手を組んで隠した口の中で、小さく「どっちも悪い知らせじゃない」と呟いたのが、リルには聞こえた。


「悪い知らせは……その……」

そこまでで、レイが言いづらそうに俯いてしまう。

「分かってるから、言ってくれる?」

カロッサにじわりと苛立ちが滲む。

「――っ陽と雪が、奪われました……」


「ええ!?」

リルが声を上げる。

「どういう状況だったの?」

カロッサの質問に、レイが分かる限りのことを話す。


環を渡すべく、天界が選んだ『由緒正しい血を持つ人間』とやらに、環を扱う訓練をさせていたのだという。

まだ直ぐに渡すつもりでは無かったが、適性を測る意味でも、一度本物を触らせてみようという事になり、天使が三人で環を持って中間界へ降りた。

その結果、環は奪われ、天使は全滅、せっかく四環を持つに相応しく育てていた人間も死んでしまったらしい。


カロッサがため息まじりに尋ねる。

「肝心の、敵の詳細は?」

「まだ、詳しい事は分からず……新しい情報が入り次第、ご報告させてください」

「鬼か、そうじゃないかだけでも分からないの?」

「……申し訳ありません」

レイの返事に、カロッサが大ため息をついた。

もしかしたら、あえてレイには伝えられていないのかも知れない。

これ以上レイを責めても仕方がないのは分かっているが、それでもカロッサはため息を吐かずには居られなかった。


「クリスの環を狙うのも、同じ人なのかな」

リルの声に、カロッサが「そうかも知れないわね」とだけ答える。

けれど、その紫の瞳には不安そうな色が宿っている。


「そっちも狙われてるのか?」

レイがリルの言葉に顔色を変え、腰を浮かしかけるので、リルが「二年後にね」と答えた。


「私も、新しい事が見えたら、空竜に手紙を持たせて知らせるわね」

カロッサの静かな言葉に、リルが悲しげに空竜を見つめる。

「そっか……、くーちゃんとも、もうお別れなんだね……」

ミニサイズの空竜は、リルのところまでついと飛んでいく。

もふもふとした空色の竜を、リルはギュッと胸に抱いた。

「ギュイィィ」

「潰れてるぞ」

レイの突っ込みに、リルがえへへと笑って力を緩める。

笑った拍子に、リルの瞳から一粒溢れた暖かい滴が、空竜の鼻先にかかる。

空竜はそれをペロリと舐めると、慰めるように、リルの頬に伝う雫を舐める。

「くーちゃん……」

潤んだ瞳でリルがジッと空竜を見る。

空竜が、嫌な予感にリルの腕を抜け出そうとした瞬間、さっきの三倍ほどの力で、骨を折らんばかりに抱き絞められていた。

「ギュィィィィィィィィィ」

「いやいや、死ぬぞ!?」

レイが慌てて突っ込むと、リルは涙の残る瞳を細めて、えへへと恥ずかしそうに笑ってみせた。


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