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8話 運命の波紋(5/7)

「おお、なんか随分懐かれてんなぁ」


突如、近くで聞こえた声に、久居はリルを庇うようにして立ち上がる。

が、矢傷を受けた足は二人分の体重を支えきれず、鋭い痛みとともに姿勢が崩れた。

せめてリルに加わる衝撃を減らそうと、リルの頭を両腕で囲い、反対側の肩から着地をしようとした久居の肩を、ガッシリとした男の手が掴んだ。

「こらこら、無理すんなって」

気安く話しかけてくる男に久居は面識がなかったが、その頭の天辺から少し後ろ寄りに、鋭い一本の角が生えているのを目にして思う。

(リルと同じ角……。この方は……)

「大丈夫か?」

問われて、久居も尋ねる。

「リルさんの、お父上様でいらっしゃいますか?」

「うお、すごい呼ばれ方だな」

久居の言葉に、男は口端を引き攣らせた。

男は久居よりも背が高く、剥き出しの腕にはがっしりと筋肉がついている。

檜皮色の短髪に、男らしい眉、吊り気味の目は、リルとはかけ離れた印象だったが、その前髪の流れ方はリルと同じだった。

耳は、リルと同じピンと立ち上がるような形をしていて、角も、男の方がずっと長く太かったが、同じ材質であることが分かる。

「俺のことはクザンでいいよ」

「クザン様……。申し遅れました、私久居と申します」

久居の名乗りに、クザンは苦笑しながら「様もいらねぇ」と付け足す。

「この度は……その……」

どこから話そうかと視線を落とす久居に、クザンも笑顔を消して答える。

「ああ、なんか凄い事になってんな……」

クザンは、草の上に残された人の残骸に視線を投げる。

「あれはリルがやったのか」

「お、おそらく……見ていたわけではないのですが……」

短い問いに、久居が分かる限りのことを答える。

「ま、リル以外にはありえねーか……」

二人は、久居の腕の中で眠るリルに視線を落とす。

「ただ、リルさんは覚えていないご様子で……」

「……リリーは?」

「え?」

久居が質問の意図を確認するように聞き返す。

「リルの母親だ」

「いえ、まだ……気付かれてはいないと思います」

「そっか……」

髪と同じ檜皮色の瞳が、じわりと伏せられた。

「これ、焼いちまっていいな?」

言いながら、クザンは葛原の足へ手の平を向ける。

「え、あ、はい」

久居が一瞬『遺骨』という単語を頭に掠めつつも、自分たちがそれを届けに行けない立場にある事を確認して頷く。

クザンの手から、白っぽい炎が音もなく溢れ出ると、残された足を包み込んだ。

何とも言えない異臭が混ざった黒い煙が、夜空へのぼってゆく。

しばらく、肉の焼けるような音だけが静かな森に続いていた。

葛原の一部だったものが完全にその形を失う頃、クザンが久居を振り返らないままに尋ねた。

「こいつ……死ななきゃならないような奴だったのか?」

久居は即座に、けれど慎重に言葉を選びつつ、答える。

「ええと……そうですね、その方が今生きていたら……、私達は皆殺されていたと思われます……」

「そりゃマズイな」

クザンの声が、先程までよりほんの少し明るさを取り戻したのを、久居は感じた。

「よーし、怪我治すぞー、見せてみろ」

振り返ったクザンの言葉に、久居が一瞬戸惑う。

手当てではなく、治すのだろうか、と。

「え、あ……」

「まあ、そこ座れ」

言われ、座ろうとするものの、リルと自分の体重を片足にかけていた久居がふらつく。

「おっと」

「すみません……」

「すごいしがみつきっぷりだな」

クザンに肩を支えられ申し訳なさそうにする久居の、右手の惨状にクザンが目を見開いた。

「って、お前この手!!」

「ゔぁっ!」

ぐいとクザンに右腕を持ち上げられて、久居が痛みにビクリと身を縮める。

「骨まで溶けてんじゃねーか!」

骨と肉と服が溶けて混ざり合ったようなそれは、鮮やかな色をしていた。

(こんな手で、いつまでリルを支えてんだ!!)

この青年の手をこんな風にしたのが、リルだということは、疑いようもない。

それなのに、その手だったものは、眠っているリルの頭がぐらつかぬように添えられていた。

「あー、くそ! すぐ治してやるからな!! 手ぇ出せ!!」

「は、はい……」

痛みに眉を寄せた青年が、そろりとその手を差し出す。

「って、両手かよ!!」

差し出されたのは、右手と、それに違わぬほどに溶け切った左手だった。

クザンが両手を翳すと、久居の手はじわじわと少しずつ、本来の姿を取り戻し始める。

初めて見るその不思議な光景に、久居は思わず見入っていた。


クザンは思う。

リルの力が暴発した後、しばらくリルの力の解放は続いていた。

だからクザンは大急ぎで、ここへ駆け付けた。

けれど、誰の手にも負えないだろうと思っていた力の解放は、クザンが辿り着く前に止まった。


あれは、この青年が止めたのか……。

両手を捨てて……。



右手を治し終えて、クザンはリルがくっ付いたままの左手に取り掛かる。

「ありがとな……、リルを止めてくれて」

簡単な言葉ではあったが、心の籠った響きに、久居が顔を上げる。

「無意識のまま力の解放なんて続けたら、リル程度じゃ、すぐくたばっちまうからな……」

(え!?)

クザンの言葉に、久居は思わず腕で眠るリルを見る。

その幸せそうな寝顔からは、命の危機が迫っていたとはとても思えない。

「そ、そう……だったのですか……」

「ああ、だからホント助かった」

言いながら、クザンは左手の治癒を済ませた。

「そら、手は治ったぞ。ちゃんと動くか?」

問いに、久居はその手を閉じたり開いたりしながら答える。

「はい」

「引っかかるようなとこもないな? ちゃんと動かしてみとけよ」

「はい」

(凄い……。完全に元通りです……)

久居は、何だか夢でも見ているような気分で、自分の手を見つめていた。

「顔周りは軽傷だな」

言いながらクザンは、顔の擦り傷と、出血の止まりつつあった頭部を治癒する。

「次は足やるぞ、座れるか?」

「はい」

久居が治ったばかりの両手でリルを包み込み、そうっと座ろうとするのを見て、クザンが思わず突っ込む。

「あー……いや……そこまで大事にしなくても……」

リルはクザンに似て妖精達よりは体が頑丈だったが、この青年はそれを知ってか知らずか、とても大切そうに扱っていた。

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