「おお、なんか随分懐かれてんなぁ」
突如、近くで聞こえた声に、久居はリルを庇うようにして立ち上がる。
が、矢傷を受けた足は二人分の体重を支えきれず、鋭い痛みとともに姿勢が崩れた。
せめてリルに加わる衝撃を減らそうと、リルの頭を両腕で囲い、反対側の肩から着地をしようとした久居の肩を、ガッシリとした男の手が掴んだ。
「こらこら、無理すんなって」
気安く話しかけてくる男に久居は面識がなかったが、その頭の天辺から少し後ろ寄りに、鋭い一本の角が生えているのを目にして思う。
(リルと同じ角……。この方は……)
「大丈夫か?」
問われて、久居も尋ねる。
「リルさんの、お父上様でいらっしゃいますか?」
「うお、すごい呼ばれ方だな」
久居の言葉に、男は口端を引き攣らせた。
男は久居よりも背が高く、剥き出しの腕にはがっしりと筋肉がついている。
檜皮色の短髪に、男らしい眉、吊り気味の目は、リルとはかけ離れた印象だったが、その前髪の流れ方はリルと同じだった。
耳は、リルと同じピンと立ち上がるような形をしていて、角も、男の方がずっと長く太かったが、同じ材質であることが分かる。
「俺のことはクザンでいいよ」
「クザン様……。申し遅れました、私久居と申します」
久居の名乗りに、クザンは苦笑しながら「様もいらねぇ」と付け足す。
「この度は……その……」
どこから話そうかと視線を落とす久居に、クザンも笑顔を消して答える。
「ああ、なんか凄い事になってんな……」
クザンは、草の上に残された人の残骸に視線を投げる。
「あれはリルがやったのか」
「お、おそらく……見ていたわけではないのですが……」
短い問いに、久居が分かる限りのことを答える。
「ま、リル以外にはありえねーか……」
二人は、久居の腕の中で眠るリルに視線を落とす。
「ただ、リルさんは覚えていないご様子で……」
「……リリーは?」
「え?」
久居が質問の意図を確認するように聞き返す。
「リルの母親だ」
「いえ、まだ……気付かれてはいないと思います」
「そっか……」
髪と同じ檜皮色の瞳が、じわりと伏せられた。
「これ、焼いちまっていいな?」
言いながら、クザンは葛原の足へ手の平を向ける。
「え、あ、はい」
久居が一瞬『遺骨』という単語を頭に掠めつつも、自分たちがそれを届けに行けない立場にある事を確認して頷く。
クザンの手から、白っぽい炎が音もなく溢れ出ると、残された足を包み込んだ。
何とも言えない異臭が混ざった黒い煙が、夜空へのぼってゆく。
しばらく、肉の焼けるような音だけが静かな森に続いていた。
葛原の一部だったものが完全にその形を失う頃、クザンが久居を振り返らないままに尋ねた。
「こいつ……死ななきゃならないような奴だったのか?」
久居は即座に、けれど慎重に言葉を選びつつ、答える。
「ええと……そうですね、その方が今生きていたら……、私達は皆殺されていたと思われます……」
「そりゃマズイな」
クザンの声が、先程までよりほんの少し明るさを取り戻したのを、久居は感じた。
「よーし、怪我治すぞー、見せてみろ」
振り返ったクザンの言葉に、久居が一瞬戸惑う。
手当てではなく、治すのだろうか、と。
「え、あ……」
「まあ、そこ座れ」
言われ、座ろうとするものの、リルと自分の体重を片足にかけていた久居がふらつく。
「おっと」
「すみません……」
「すごいしがみつきっぷりだな」
クザンに肩を支えられ申し訳なさそうにする久居の、右手の惨状にクザンが目を見開いた。
「って、お前この手!!」
「ゔぁっ!」
ぐいとクザンに右腕を持ち上げられて、久居が痛みにビクリと身を縮める。
「骨まで溶けてんじゃねーか!」
骨と肉と服が溶けて混ざり合ったようなそれは、鮮やかな色をしていた。
(こんな手で、いつまでリルを支えてんだ!!)
この青年の手をこんな風にしたのが、リルだということは、疑いようもない。
それなのに、その手だったものは、眠っているリルの頭がぐらつかぬように添えられていた。
「あー、くそ! すぐ治してやるからな!! 手ぇ出せ!!」
「は、はい……」
痛みに眉を寄せた青年が、そろりとその手を差し出す。
「って、両手かよ!!」
差し出されたのは、右手と、それに違わぬほどに溶け切った左手だった。
クザンが両手を翳すと、久居の手はじわじわと少しずつ、本来の姿を取り戻し始める。
初めて見るその不思議な光景に、久居は思わず見入っていた。
クザンは思う。
リルの力が暴発した後、しばらくリルの力の解放は続いていた。
だからクザンは大急ぎで、ここへ駆け付けた。
けれど、誰の手にも負えないだろうと思っていた力の解放は、クザンが辿り着く前に止まった。
あれは、この青年が止めたのか……。
両手を捨てて……。
右手を治し終えて、クザンはリルがくっ付いたままの左手に取り掛かる。
「ありがとな……、リルを止めてくれて」
簡単な言葉ではあったが、心の籠った響きに、久居が顔を上げる。
「無意識のまま力の解放なんて続けたら、リル程度じゃ、すぐくたばっちまうからな……」
(え!?)
クザンの言葉に、久居は思わず腕で眠るリルを見る。
その幸せそうな寝顔からは、命の危機が迫っていたとはとても思えない。
「そ、そう……だったのですか……」
「ああ、だからホント助かった」
言いながら、クザンは左手の治癒を済ませた。
「そら、手は治ったぞ。ちゃんと動くか?」
問いに、久居はその手を閉じたり開いたりしながら答える。
「はい」
「引っかかるようなとこもないな? ちゃんと動かしてみとけよ」
「はい」
(凄い……。完全に元通りです……)
久居は、何だか夢でも見ているような気分で、自分の手を見つめていた。
「顔周りは軽傷だな」
言いながらクザンは、顔の擦り傷と、出血の止まりつつあった頭部を治癒する。
「次は足やるぞ、座れるか?」
「はい」
久居が治ったばかりの両手でリルを包み込み、そうっと座ろうとするのを見て、クザンが思わず突っ込む。
「あー……いや……そこまで大事にしなくても……」
リルはクザンに似て妖精達よりは体が頑丈だったが、この青年はそれを知ってか知らずか、とても大切そうに扱っていた。