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8話 運命の波紋(3/7)

「やめろぉぉぉぉぉ!!」

突如、横から飛び出してきた少年に刀が触れたと思った途端、耳障りな音と共に、刀はその刃紋から地までを失った。

「リル!!」


葛原は、急に軽くなった刀を反射的に引き寄せて、切先を見る。

「な……何だ……これは……」

刃は、どろりと溶け落ちていた。


硬い物を斬れば、それは刃こぼれもするだろうし、場合によっては折れることもある。

しかし、今この刀は目の前で溶けた。火もない場所で。


葛原の背を、冷たい汗が伝う。


「フ、フリーに手を出すな!!」

葛原の目の前で、十にも満たないであろう少年は、精一杯両腕を広げて妖精を守ろうとしている。


理解できない状況に、頭が付いてゆかず、思わず後退る葛原。

それを目で追ったリルの視線が、ハッと地に縫い留められる。

そこ……葛原の後ろでは、久居が頭から血を流しうつ伏せに倒れていた。


(え……。久……居……?)

リルの瞳が、動揺に大きく揺れる。


(そんな……まさか……)

ドクン。と心臓の音以上の大きな何かが、少年の体で脈を打つ。

リルの脳裏には、久居と過ごしたあたたかな時間がよみがえっていた。


ボクの話を優しく聞いてくれた久居。

髪を結んでくれた久居。

そっと抱きしめてくれた久居。

笑って髪を撫でてくれた久居。


(久居がーー……)

チリッと胸の中で音を立てて、小さな炎が生まれる。

それはリルの胸の奥で、ゆっくりと、しかし大きく揺らめき、その幼い心を焼く。



葛原の目の前で俯いてしまった少年。

少年の頭には、黒茶の円錐のようなものが顔を覗かせている。

(角……なのか……? とすると、この子はまさか……!?)

葛原が、伝承でしか聞いたことの無い名前を浮かべようとする。


瞬間、目の前の少年から熱風が吹き上がった。

「何っ!?」

葛原は、あまりの熱気に顔を覆う。


炎は、リルの悲しみが怒りに変わると同時に、激しく渦を巻いて燃え上がった。


「ちょっと!! リル!? 私達まで焼けちゃうわよ!!」

フリーが必死に叫ぶも、その声はリルに届いていないらしく、少年は一歩ずつ葛原に近付いた。

「リル!!」

一歩。また一歩と近付く少年に、葛原が後退る。

「お前が……久居を……」

ゆらりゆらりと少年の周りで青白い炎が踊っている。

「お前なんか……」

葛原の全身から汗がふき出す。

「お前なんか……っ!」

葛原は必死だった。

今すぐ逃げなくては。分かっているのに、身体が動かない。

本能が告げている、このままでは危ない。と。

「死んじゃえばいいんだ!!」

葛原が動くより早く、リルが強く叫ぶ。

同時に、彼を包んでいた青白い炎が一斉に葛原へ飛び掛かった。

(な……!!)

一瞬の驚愕。

葛原は理解した。

自分は今、死ぬのだと。

聞いた事もないような音とともに、全てが溶けてゆく。


(……いけない)


父上から託された、この国を、あの城を、私が守ってゆかねばならないのに。

そうでなければ、何の為に今までずっと学問や剣術を学んできたのか……。

父上の第一子として、父上にとって恥ずかしくない世継ぎであるために、どれほど努力をして、虚勢を張って、今まで……。


(死ぬわけにはいかない……。死ぬわけには、いかないんです……、父上……)


国の紋が入った、首元の紋球が溶けて顔にかかる。

熱さはもう、全く感じなかった。

手足がどうなっているのかも、もう分からない。

葛原の視界は真っ白だった。


(あの世では、父上と加野伯母様が、菰野を迎えて楽しく過ごしているというのに……。そこへ私が行ってしまっては……)

葛原の心を、申し訳無さと不甲斐無さが埋め尽くす。

(父上は、私を見てどんなお顔をなさるだろうか……。あの城を……置いて来てしまった私を……どんな瞳で……)


葛原は、薄れゆく意識の隅で祈る。



(どうか、せめて……叱ってください…………)




(…………父……上………………)


----------


久居は、間近で起こった爆風にも似た衝撃波にその身を煽られ、近くの木の幹へ強か背を打ち付ける。衝撃に、久居は息を吐いた。


リルは、青白い炎を纏ったまま、立ち尽くしている。


「菰野……」

金色の瞳から涙を零しながら、フリーはその名を呼んだ。

菰野の傍にしゃがみ込むフリーは、両手で菰野の左手を包んでいた。

ぽかぽかとあたたかかったはずの手は、今その熱を失いつつある。

(菰野……)

フリーの心に、菰野の言葉が響く。

あの時、痛みを堪えて、笑顔を見せて、彼は優しく言った。


『言うなれば、運命だったって事なのかな?』


それは、彼との出会いを指していたはずだったのに。

フリーが心ときめいた言葉が、こんな別れを示していたなんて、少女には思いたくなかった。


(こんなのが運命だなんて、嫌だよ……)


どんどん冷たくなってゆく菰野をどうする事もできず、フリーはその手を引き寄せて、心で叫ぶ。


(こんな運命なら……っ、いらない!!)


明確に、フリーは拒否した。

この事実を、この現実を、私は決して受け入れない。と。


フリーの髪の左右に下がっていた一対の封具に、同時に亀裂が入る。


(お願い、菰野!! 死なないで!!!)


強い強い願いが、握り締めた手を中心に、球状に広がる。

それを抑え切れず、二つの封具は少女の背で砕け散った。


フリーが祈りを込めてギュッと閉じた瞳から、涙がもう一粒零れる。


けれどその雫は、胸の前で握り締める手に触れる前にピタリと空中で止まった。




「う……」

小さな呻きは、久居の口から漏れた。

「菰野様!!」

覚醒とともに叫んで立ち上がろうとした久居が、ふくらはぎを抉る痛みに息を詰める。

「っ!」

(菰野様は……)

よろめきながらも何とか自身の刀を支えに立ち上がり、見回すと、少し先に主人は倒れていた。

血の海に、沈むようにして。

(酷い怪我を……!!)

駆け付けた久居を、青緑色の膜が阻んだ。

(この膜のような物は一体!?)

菰野とフリーの姿は、淡い色のついた球体……と言っても半分は地面の下なので、半球状の中に閉じ込められているように見える。

そこには、扉のようなものは一切見当たらない。

(すぐ手当てをしなくては出血が……)

焦る久居の目に、フリーの零した涙らしき雫が映る。

(涙が空中で止まっている!?)

久居はその光景に、目を疑った。

(いや、涙だけでなく……)

よく見れば、フリーの髪は風もない空間で、ふわりと広がっている。

その髪で三つ編みを留めていたはずの筒状の装飾品は、砕け散った姿のまま、こちらも空中で動きを止めていた。

(まさか……この膜の中は……時間が止まっている!?)

久居は、凸凹の一切ないつるりとした膜へ手を触れたまま、静かに息を呑んだ。

(これは、妖精の力なのでしょうか……)

そう考えて、ハッと振り返る。

(リルなら何か知って……)

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