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8話 運命の波紋(1/7)

兵達は松明の灯りを頼りに、暗い山道を登っていた。

けれど、一人、また一人と倦怠感に足を取られ、あるいは目眩に膝を付き、葛原に続く兵達の数は徐々に減っていた。


後方を確認し、葛原が忌々しげに舌を打つ。

後ろでは兵達が点々と、近くの木の幹へ縋り付いたり、蹲ったりしている。

(登ることのできた距離は先と変わらないか……)


葛原は、自らの感じている症状を確認しながら推測する。

頭痛、目眩、吐き気、激しい倦怠感……。

この一帯に無臭の有毒ガスが充満していると仮定しても、下山するとピタリと治るのは少々不自然ではないか?

……何ひとつ症状を残さず……。


考える葛原の視界に、奇妙なものが入る。

「お前達、大荷物を抱えているわりに、頑張っているじゃないか」

久居の体を二人がかりで運んでいた兵達が、その言葉に顔を上げる。

その顔色は共に良く、周りの兵達の比ではなかった。

謙遜や礼を述べる二人の言葉を流しながら、葛原は、二人の抱える久居に視線を落とす。

(久居。お前はこの山を登る方法を知っているのか……)

そこで葛原はようやく、気を失ってなお、握り締められていた久居の右手から、何か紐のようなものが飛び出している事に気付いた。

(何だ?何か握っている……?)

葛原はその手の平を強引にこじ開ける。

そこには小さな石のようなものが強く握り込まれていた。

(石……?)

そういえば、あの時葵が久居に何か手渡していたようだったな……。と葛原はおぼろげに思い浮かべながら、その石を取り上げる。

「うわっ!」

久居の両肩を支えていた男が悲鳴とともに姿勢を崩す。

「う……」

続いて、久居の両足を両腕に抱えていた男が膝を付いた。

対照的に、葛原は急にスッと体が楽になるのを感じる。


葛原は、目の前で苦しみだした兵達と、手の中の小さな石を見比べて思う。

(原理は分からんが何かのまじないが施してある物なのか……)

葵が一人無事だったのは、これを持っていたからに違いない。

だとすれば、これを自分が利用しない手は無かった。

(よし……)

葛原は、石をぐっと握り締めると懐の奥へ仕舞い、兵達に向けて命じた。

「お前達は、体が辛くない程度の場所までおりて待機していろ」

葛原は、今にも地に付きそうな久居を片手でぐいと引き上げる。

久居は薬が効いているのか、ピクリともしない。

(菰野はあの怪我だ。その上人質がいては、手も足も出まい……)

葛原は、今度こそ目的の達成を確信する。

「火を寄越せ」

「ハッ」

皇の声に、何とか動けた兵が松明を手渡す。

灯りに照らされた葛原は、じわりと笑みを滲ませていた。


----------


「お母さんっ、毛布出してーっ!」

リルが、家の戸をバタンと勢い良く開けるなり叫んだ。

走って来たらしい様子の弟に、姉がバタバタと駆け寄る。

「リル!? どうして戻って来……」

「コモノサマが熱出しちゃったんだよー」

「えっ、そ、それは大変だけど……、リルがちゃんと聞き耳立てておかないと……」

不安を隠し切れない様子のフリーに、リルはほんの少し、自分の行動が間違っていたかと不安を感じつつ答える。

「あ、うん。家に入らなければ、ここからでも叫び声くらいは聞こえるよ……?」

その答えにフリーが怒気を膨らませた。

「あの場所で叫び声が上がってからじゃ、遅いでしょ!?」

姉の両手がそれぞれ拳の形を作るのを見て、弟は後退る。

「い、急いで毛布持って帰……」

ピクリ。と小さくリルの耳が跳ねた。

バッと全力で振り返る弟の様子に、姉はただ事ではないと感じる。

「リル……? まさか、今……」

リルの表情が青くなるのを見て、フリーは返事を待たずに駆け出した。

「あっ! フリー!!」

リルが必死に伸ばした手は、フリーに届かない。

「ダメだよっ! 危ないよ! フリーっ!!」

リルの悲痛な叫びを背に、フリーは振り返らず駆けて行った。

フリーの心は、菰野の無事を祈る声でいっぱいになっているようだ。

リルは家を振り返るが、まだ母は玄関に姿を見せない。

(どうしよう……ボクの足じゃフリーに追いつけないよ……。でも……お母さんでも追いつけない……よね)

小さな少年は、瞳に不安を後悔を滲ませながらも、自分のわかる範囲の事を精一杯考え、決意する。

(やっぱり、ボクが追わなきゃ!!)

決意に反して、じわりと不安が涙となるが、それに構っている時間はない。

「フリーっ! 待ってーっ!!」

少年は震える手を握り締め、一人、姉を追って走り出す。

暗い、夜の森へ。

少年の駆けた後には、小さな涙の雫だけが残った。


----------


葛原は、松明を掲げて行先を照らすと、また歩き出した。


あれからどのくらい登っただろうか。

石を手にしてから、体調は随分と楽になった。


行手に、ぼんやりとほの明るい場所が見え隠れする。

(明かりか?)

葛原は、自身の持つ火とは違う白っぽい色の光を、どこか不気味に感じつつも、松明をおろした。

(あそこに菰野が、いるのだろうか……)

喜びと悲しみが同時に湧き上がる。

混ぜ合わさると、それは葛原のよく知る、深い寂しさに似ていた。


久居を草の上におろすと、葛原は岩を寄せ、簡易的な置き場を作り、松明をそこに立てた。

そっと近付くのに灯りは邪魔だが、帰る時には必要だ。


葛原は、目を閉じると、深く深呼吸をする。


菰野とは、今日で別れよう。

寂しくないなどとは、とても言えそうにないが、きっと私よりも、父上の方がずっとお寂しいだろうから。


全ては、父上のために……。


葛原は目を開く。

右手に久居の括られている髪を掴むと、左手を刀に添え、光を目指した。




がさり。と、近くで聞こえた足音に、菰野は目を覚ました。

「久居、遅かっーー……」

口にしながら菰野がそちらを見ると、血に濡れた久居の姿があった。

菰野の視線を受けて、葛原が久居の髪から手を離す。

久居は受け身をとる様子も無く、地に伏した。


「久居!?」


菰野には怪我の程度までは分からなかったが、少なくとも足や頭に出血があるのは見て取れる。

「久居に何を!」

「動くな!!」

叫んで上半身を起こした菰野に、葛原の鋭い声が刺さった。

「こいつには、ちょっと眠ってもらっただけだ」

そう告げながら、葛原はすらりと刀を抜くと、久居の首へと刃を向ける。

「この眠りが永遠のものになるかどうかは、お前次第だが……な」

「くっ……」

視線を送られ、菰野は、枕元の刀へと伸ばした腕を止めた。

「両手はあげておけ。立ち上がらず、そのまま刀をこっちに蹴り寄越せ」

葛原の言葉に、菰野は逡巡する。

(どうする……どうすればいい?)

熱のせいか、頭がうまく回転しない。

(久居だけが生き残るようなやり方では、後を追わせてしまいかねないか……)

答えの出ないもどかしさに歯噛みしながら、菰野がゆっくりと両手を上げる。

「早くしろ!!」

久居の首に当てられた刃に力が込められる。

引かれれば、血が吹き出すだろう。

菰野は迷いを捨て、瞬時に刀を蹴った。


カシャンと音を立てて、菰野が蹴った刀は、横たわる久居に当たって止まる。

久居の片足には矢が刺さったままになっていた。

(久居は薬で寝かされているのか……? 片足は使えそうにないな……)

普段の久居なら、これで無反応という筈はない。

菰野はじっと目を凝らして、久居が息をしている事を確かめる。

その間に葛原は、菰野の刀を拾いあげると、自身の腰へと差した。

「待たせたな、菰野」

葛原は、久居の髪の結び目を掴んで引き摺りながら、座する菰野の前まで近付くと、無造作に久居を手離した。


「今、あの世に送ってやろう」


抜き身の刀を、菰野へと真っ直ぐ構える葛原。

菰野は、死の気配に背筋を震わせた。

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