「いいか、ちゃんと休めよ、無理はすんなよ、絶対だぞ!!」
と、クザンが久居と菰野に過保護気味に言い渡して獄界に帰ると、リリーはフリーを連れて、村長へ挨拶に行くと村へ向かった。
フリーは、それまでのようにリリーと家で暮らすらしい。
久居は、菰野を小屋で休ませると、夕食の支度に取り掛かっていた。
「ねえ、久居、コモノサマ泣いてるよ?」
ととと、とリルがやって来て言った。
菰野は声を殺して泣いていたのかも知れないが、それでもリルの耳には届いてしまったのだろう。
「それはよかったです」
久居が、少しだけ眉を寄せながらも笑顔で応える。
リルは、不思議そうに首を傾げて繰り返した。
「……良かったの?」
「ええ」
そこへ、どよんと澱むレイの声が割り入った。
「良くない……俺が入りづらい……」
本気で気にしている様子のレイに、苦笑を浮かべて久居が答える。
「手前のお部屋でお休みいただいてますので、日暮れ前には奥に入ってくださって結構ですよ」
一部屋のみだった小屋は、二人が凍結されていた部屋に床板を張り、二部屋に拡張された。
ついさっき、レイも一緒に作業したところだ。
「いや、入りづらいだろ……」
レイがやれやれとかぶりを振る。
レイから見た菰野は、まだまだ子どもだった。
言動はリルの比ではないほどしっかりしていたが、大きな瞳や、高めの柔らかい声、柔和な笑顔が、膜越しに見ていた時よりも、ずっと幼い印象を与えていた。
「俺は、お前の主人を何で呼んだらいいんだ?」
リルに配膳を頼んでいた久居が、レイの言葉に意外そうな顔をして振り返った。
「そんな心配をしていたのですか?」
「いや、リルも様付けしてるし……」
「あぁ……」と久居がこめかみあたりを押さえて声を出す。
「?」
「いえ、それは、リルが菰野様をそういう名前だと思い込んでいるのだと思います」
「……そうなのか?」
「おそらく」
「うーん……」
まだ悩んでいる様子のレイに、久居が助言する。
「レイは遠慮なく呼び捨てていただいてかまいませんよ。もう菰野様にはお立場という物もございませんので」
「リルも、呼び捨てでいいのか?」
「はい」
そう言われて、レイがリルのところへ駆けていく。
「ううん、ボクはこのままでいいよ。ボクは、コモノサマの事、凄くコモノサマだと思ってるから」
「よく分からん」という感想付きで、リルの返事をレイが持ち帰る。
どうやら、リルは三年のうちに自分で間違いに気付いた上で、納得してそう呼び続けていたようだ。
久居は、改めてリルの成長を侮っていた自分を恥じる。葛原の件もリルは何も気付いていないものと、勝手に思い込んでいた。
当時はそうだったのかも知れないが、炎を使うようになれば、思い出すきっかけはいくらでもあったのだろう。
見れば、リルが耳を手で囲って音を拾おうとしている。
誰か来たようだ。
「フリーが来るよー」
久居はもう一人分用意しておいた食器類を、リルに運ぶよう頼んだ。
そうして、久居は七人分とおかわりの入った重い大鍋を持ち上げた。
途端、足元が崩れたような感覚とともに、久居は平衡感覚を失った。
「!」
貧血による眩暈だ。
急に動かないよう気を付けていた久居だったが、不意の眩暈と、これ以上動きそうにない手足に歯噛みする。
鍋に入った全員分の夕食がダメになるだろう事実に激しく後悔しながらも、視界が暗くなってゆくのに抵抗できずにいる久居を、レイが支えた。
「っと、危ないな」
レイが覗き込んだ久居の顔は、青白い色をしていた。
「久居も少し休んだほうがいいんじゃないか? 治癒の時、無理し過ぎだってクザンさんも言ってたろ」
久居から鍋を受け取りながら、レイが言う。
「……はい、そうします」
付き添おうとするレイをやんわり断って、久居は木陰で木にもたれて目を閉じる。
そこへ、フリーがやって来た。
姉の姿に喜ぶリルとほんの少し会話をしてから、フリーは、真っ直ぐ久居の元に来る。
「菰野に会っても、いいですか?」
金色の髪を揺らして、妖精は、真剣な眼差しで、久居にそう尋ねた。