目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
36話 覚醒と失神(7/7)

菰野の前に立つ体格の良い男は「歯を食いしばれ」と言った。

その右手には、怒気をはらんだ拳が強く握られている。

「ちょっと、お父さん!?」

止めようとしたフリーさんは、その母親に肩を押さえられ、止められている。


視線を久居に送ると、久居は申し訳なさそうな顔で一つ頷いた。

どうやら、彼の指示に従えと言う事らしい。

久居が納得しているのなら、この拳は間違いなく自分が受けねばならない物なのだろう。

血を失っていた体は何だか軽く、どこか心許ない気はしたが、それでも今自分の体に痛みは無かった。

それが目の前に立つこの男のおかげだという事は、菰野も既に理解している。

菰野は覚悟を決めると、歯を食いしばり、顎と片足を引き、重心を落とし丹田に力を込めた。


打たれる事には慣れていた。

剣の師匠は厳しかったし、義兄との稽古では、義兄に打たれるのが自分の役目だった。


しかし、次の瞬間。衝撃に耐えるつもりだった菰野は、敢えなく吹き飛んだ。


「菰野!!」

「菰野様っ!!」


フリーと久居の悲鳴が重なる。

久居はすぐさま駆け寄ると治癒を始め、叫んだ。

「クザン様! 骨折三本、うち一本は粉々です!!」

久居にギッと睨まれて、クザンが慌てて治癒に参加する。


「悪りぃ悪りぃ、なんか意外とちゃんと構えっから、ちょい力入れてもいいかなぁと……」

「よくありません!!」

「お前なら、こんくらい飛ばなかったろ?」

「私と比較しないでください!」

「他に人間なんか殴った事ねぇしなぁ……」

「それならそうと仰ってくだされば、私が説明いたします!」

「軽く殴る分には壊れねぇかなぁーと……」

「軽くなかったですよね?」

「や、だから悪かったって、俺もちゃんと治してんだろ?」

「治せば良いという問題ではありませんっ」


菰野は頭を振ってしまったのか、酷い目眩を感じていた。

フリーが繰り返し自分の名を呼んでいる。

けれど、それに応える事はできなかった。

手足も、口すらも、感覚が無く、今は動かせそうにない。

耳鳴りがして、会話が、とても遠い。

(なんか……仲良さそうだな……)

菰野は、久居がフリーの父親と言い合う様に驚きを感じたが、同時に嬉しかった。

俺の居ない間……三年もの間、お前を一人きりにさせてしまったのかと思ったが……。

お前が一人じゃなかったなら、本当に……。


……本当に、よかった――。


菰野は安堵と共に意識を手放した。


「菰野様!?」

「げっ、頭揺らしてたか!?」

気を失った菰野に気付いた久居とクザンが焦りの言葉を口にする。

「菰野っ!? お母さんっ離して!!」

異変を感じたフリーが、ついにリリーの静止を振り切って駆け寄る。

「菰野! 死なないで!!」

涙を滲ませて訴える娘に、クザンがちょっぴり引き攣った苦笑いを浮かべつつ応える。

「や、死ぬほどのこたねーって」

娘を安心させようとした父の言葉に、娘は思い切り噛みついた。

「何言ってんの!? お父さんが殴ったんでしょ!? 菰野が死んだらお父さんとはもう一生口きかないから!!」

「んなっ………………」

娘に正面から叩きつけられた絶交宣言に、クザンの手元で淡い光が霧散する。

「クザン様! 集中してください!」

久居が、焦りを隠さぬままに声を上げた。



そんな四人を、少し離れたところから眺めるリルがポツリと呟く。

「……変態さん、いなくてよかったね」

その声に、レイとカロッサが同意した。

「そうだな……」

「ほんとにね……」

変態は、血液をがっつり搾り取られた後「お前がいるとややこしくなるからもう帰れ」とクザンに無理矢理地中へ埋め戻されていた。


リルは、フリーが凍結から戻ったら、自分のようにヒバナに触られまくるのではと心配していた。

けれど、妖精の姿をしたフリーに、ヒバナはまったく興味を示さなかった。

一度も目を合わすことなく、一度も声をかけることなく。

まるでフリーがそこにいないかのようなヒバナの態度に、リルは自分への対応との激しい差を感じて、胸の奥がざわついた。


(ボクみたいにされるのも嫌だけど……。ああいうのも、なんだかちょっと…………嫌だな……)


リルは、まだ自分が何を嫌だと思ったのかまでは把握できなかったが、ヒバナの態度にじわりとした嫌悪感を感じた事だけは、理解した。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?