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33話 過ぎた事(後編)

「ここに、空間凍結の終了を宣言します」

カロッサの宣言と共に、久居を包む膜の色が薄くなり、ふわりと大気に溶け込んで消えてゆく。

それと同時に、辺りには血のにおいが広がった。

「あとは頼むわよ」

それだけ告げるとカロッサが下がる。

「おう、任せとけ」

クザンが人懐こい笑顔でにっと笑い、強い決意と共に久居の胸の穴を塞ぎにかかった。

(久居、絶対助けてやるからな)

胸と背中側の両方から、両手で挟むようにして、なるべく素早く、太い血管、肺の内側、その外、細い血管、骨、肉、もっと細い血管……と治癒を進める。

肋骨は一本砕けていたが、背骨は無傷だ。

「火端、寄越せ。少しずつな」

「はい!」

ヒバナはクザンの背に当てた両手に集中する。

彼は直接治癒はしないものの、クザンが久居に注いだ分足りなくなる血液を補うための、いわば輸血パックのような役目をしていた。

「うおっと。こら、少しずつだ、少しずつ!」

注がれた量が多すぎたのか、クザンが姿勢を崩しかけて怒鳴る。

「は、はいっ、申し訳ありません!

 ですがその、私めの体液を、玖斬様に受け入れていただけると思うとつい……」

うっとりと目を細めて変態が言うと、クザンの額に青筋が浮かんだ。

「黙れ変態。二度と口を開くな。後で殺す」

低い声で呪うように罵倒され、変態が、心から幸せそうに頬を染めて俯いた。


その姿に、その場にいたクザン以外の全員が、ああ、あれは本当に変態なんだなぁと変態への理解を深める。

……誰も、深めたくはなかったが。


そんな微妙な空気の中、久居が、びくりと体を揺らした。

「……っ」

「お、気付い――」

久居はガバッと顔を上げて、叫ぶ。

「リル! リルは……」

ごぼごぼとした水音とともに吐き出された声も、そこまでしか続かず、久居が盛大に咳き込んだ。

肺に溜まった血が、次々に口端から漏れる。

「久居、まだ動くな」

「……クザン様……」

クザンの姿に、久居がようやくホッとした顔をする。


リルは、いつのまにか母の腕を抜け出して、治癒の邪魔にならないよう、レイと二人で遠巻きにその光景を眺めていた。

「あ。久居の安心した顔。久しぶりに見た気がする」

リルが呟くと、レイがどこか感心した様子で答える。

「あんなふやけた顔もするんだな」

「久居はふやけてないよ」

キッとレイを見上げるリルに、こいつ久居の悪口には反応早いよな……と、レイは面倒な気分になった。

久居の視線がこちらを向いたのを良いことに、レイはそちらに話を振る。

「ほら、久居がこっちみてるぞ」

「あ、ほんとだ。久居ー。僕は元気だよー。環も無事だよー!」

リルがブンブン手を振ると、久居が微笑んで返した。


意識が戻った久居は、自身の腕の治癒をしながら、クザンに治癒されていた。


「よし、もう喋っていいぞ」

胸の穴をすっかり塞いで、クザンが言った。

クザンは、続いて久居の太腿の傷へと手を伸ばす。

久居が「それは私が……」と言いかけるも、クザンに「俺がやる」と被せて言われ、しゅんと黙った。

申し訳なくて堪らないといった様子の久居に、クザンは内心苦笑する。

「お前はまだ血も足りてねぇだろ。大人しくしとけ」

「はい、ありがとうございます」

「礼を言うのはこっちだ。リルを助けてくれて、ありがとな」

クザンの声が、いつもより柔らかく響く。

「いえ、そんな……」

恐縮する久居に、クザンは叱るように、言い含めるように、言った。

「だがな、久居。リルに一発も入れねぇように戦うのはもうやめとけ。

 あいつが二〜三発食らっても、お前が無事ならお前が治してやりゃいい。

 リルと二人で動く時には、お前が生き抜く事を第一に考えて動けよ?」

「は……」

真剣な眼差しで諭すクザンに、せめて目を合わせて応えるべく視線を上げかけた久居が、ギシッと固まる。

クザンの背後からヒバナが「リル様が傷付くくらいならお前が死ね」と言わんばかりの眼光を放っていた。


「ん?」

クザンが久居の固まった原因に思い当たる。

「おいこら変態。顔で喋んな。一生黙ってろ」

クザンが冷たい声で突っ込むも、変態は幸せそうだ。


「……失礼ですが、後ろの方は?」

久居が声を潜めて聞いてくる。

ヒバナはツノも耳も隠していなかったので、少々の小声では筒抜けな事は久居にも分かっていたが、ここは気持ちの問題だった。


挨拶をするべきかと思案している様子の久居に、クザンはほんの少し眉を寄せて「あいつに声をかけるのは、怪我が治ってからでいい」と答えた。


「リル君とレイ君もお茶しない? リリーのクッキー美味しいわよー」

カロッサとリリーは、敷布の上に座り込み、お茶の時間を楽しんでいた。

「ボクも食べるーっ」

「……お、お言葉に甘えて……」

そこへさらに二人が上がり込む。

一人は飛び込むように。もう一人は遠慮がちに。


わいわいと取り止めのない事を話し続ける女達の会話は、尽きることがない。

楽しそうなカロッサとリリーの姿を、顔を上げたクザンが幸せそうに眺める。

久居の太腿の穴は、元通りに埋められていた。

「……お二人は、仲がよろしいのですね」

久居の呟きに、クザンがリリーから目を離さないまま答える。

「ああ。リリーがじーさんとこで修行を始めたのが……十四だったか。その頃カロッサは十一くらいじゃねぇか?

 それから五年は一緒に暮らしてたんだ。じーさんは他に人を置いてなかったしな」

なるほど。二人は姉妹のような、学友のような関係らしい。そう受け止めた久居が相槌を打とうして、クザンの瞳が後悔に染まっていることに気付く。

「……俺が、連れ出さなきゃ、あの二人はもっと長く一緒にいられたんだがな……」

「クザン様……」

久居に気遣われた事に照れ臭さを感じたのか、クザンは昔のことだとばかりに、笑ってみせる。

「ちょっと考えりゃ分かるような事も、分かろうとしねぇ、馬鹿だったんだよ、俺は」

途端、一生黙れと言われたはずの男がクザンの背後で号泣する。

「ぉぉぉぉぉおおおおいたわしや玖斬様ぁぁぁぁ」

「あ、もういいぞ変態。助かった」

背に張り付くヒバナを引き剥がしながら、クザンが礼を言う。

ズビーッと大袈裟に鼻を啜るその姿から、じわりと距離を取りつつ。

「はっ!! 玖斬様の御為でしたら、私めの血などいくらでもお使いください!!」

ヒバナが姿勢を正したところで、クザンは久居に向き直る。

「久居、こいつは血液タンク役の、変態だ」

クザンの紹介には、どこにも名前が入っていない。

久居は突っ込みきれないままに、挨拶をした。

「久居と申します」

「俺一人の血じゃちょっとばかし足んなくてな、お前の血の補充に使っちまった。悪ぃな、こんな変態の血入れて……」

クザンは本気で申し訳ないという顔をしている。

それに久居は若干戸惑いつつも、地に膝をつき、最大級の礼を捧げた。

「危ないところを助けていただき、ありがとうございます」

その……と、変態と呼ばれている男を見上げると「火端です」と冷ややかに返される。

「クザン様、ヒバナ様」

その名を呼び、久居はさらに深く首を垂れる。

「おう、気にすんな」

いつもの気安い笑顔でニカっと答えるクザン。

一方ヒバナは返事をする気は無いようで、ただ冷たく久居を見下ろしている。

クザンは、やはりどこか言いにくそうに、確認した。

「菰野を治す時にも、こいつの血を使おうと思ってんだが……いいか?」

久居が切長の目を大きく見張る。

「ぁ、ありがとうございます!!」

久居の声は、感謝のあまり震えていた。

深々と頭を下げる久居に、クザンがふっと目を細め、温かな眼差しを向ける。

途端、ヒバナから不穏な空気が漂った。

久居は、ぐっと心臓が握り潰されそうな感覚に、息が詰まる。

そこへ、不穏な気配がもう一つ増えた。

「……おい、変態。てめぇさっきから久居に態度悪りぃぞ。俺が気づかねぇとでも思ってんのか?」

クザンの檜皮色の髪が逆立つように揺れると、ヒバナがピタリと圧を引っ込めた。

「そそそそそのような事は決して!!」

クザンが、逃げようとする変態の頭を両手で掴んで視線を捉え、低く怒りのこもった声で告げる。

「いいか、よぉく覚えとけよ。

 この久居が居なかったら、リルは死んでる。今も、三年前も、これからもな。

 こいつはずっと、リルの命の恩人だ。分かったら、即刻態度を改めろ!!」

「はいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」


変態の悲鳴を聞きながら、リリーが呟く。

「あらあら……」

カロッサも「とうとう怒られちゃったわねぇ」と苦笑しながら続ける。

「ま、時間の問題かなーと思ってたけどね」

「そうねぇ。あの人、人間好きじゃないものね……」

リリーは、どこか同情するような声だった。

カロッサは指をピッと一本立てて言う。

「好きじゃないっていうより憎んでるのよ、あれは」

「そうなのかしらねぇ。でも、憎まれ具合なら、私も負けないわよ?」

そう言って、リリーはクスクスと可愛らしく笑う。輝く金色の髪がさらさらと揺れた。

それを見ながら、カロッサがうんざりと当時を思い出す。

「いや、もう、あの時は大変だったんだから……」

クザンとリリーが駆け落ちした当初は、ものっっっっっっっすごく大変だった。

何せ、両家からの使者達が、次から次へとカロッサ達の暮らす家に来るのだ。

憤りや悲しみを露わにするそれぞれに、家にはもう居ないし居場所も分からないと説明するだけでも、カロッサ達には一苦労だった。


「ふふふ、ごめんなさいね」

ふんわりと、リリーが微笑む。

「ま、過ぎた事だわ。今二人が幸せならそれで、ね」

カロッサも笑い返す。


今はとにかく、この時間を大事にしたい。

多忙なリリーには日々の時間が無かったし、カロッサには、残された時間そのものが少なかった。

二人は、他愛ない話をしながらも、次離れれば、もう相手には二度と会えないかもしれない。と互いに気付いていた。


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