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32話 変態登場(前編)

「久居君! 久居君しっかり!!」

傍で叫ぶカロッサの声にも、血溜まりに蹲るように伏した久居の反応は無い。


空竜は、リルの火柱を見てすぐに、カロッサを連れて地上に戻ってくれた。

けれど、もう、久居から聞こえる音はほとんどが小さく、今にも途切れそうだった。


「どうしようカロッサ、ボクどうしたらいい?」

おろおろと尋ねるリルにカロッサは叫ぶ。

「リル君は久居君から腕輪を外して! 凍結させるから!」

その言葉にリルが息を呑んだ。

「凍結……しちゃうの?」

「死ぬのとどっちがいい!?」

「し、死なないほうっ」

涙声で答えたリルが、ぴゃっと慌てて動き出す。

久居の血に浸かった腕輪がぬるぬる滑って、焦れば焦るほど、なかなか外れない。

カロッサは、他に凍結を妨げるような所持品がないかを何かの術で確認した後、宣言した。

「これより空間凍結を行います!」


久居が足元の血溜まりごと青緑色の膜に覆われてゆく。

それをリルは唇を噛み締めながら見つめた。


……ボクは、フリーの凍結を解除したくて、そのために久居と一緒に修行したり、クリスを助けたり、してたはずなのに。


今度は久居まで、膜に閉じ込められてしまう。


……ボクが、ぼんやりしてたから。


すぐに炎を出せてたら、久居はあのくらいの攻撃、きっと何ともなかった。


ボクを庇わなかったら。


ボクが、せめて久居の真後ろにいたら。


とめどない後悔に、大粒の涙が次々地面に落ちる。

じっと立ち尽くすリルに、空竜がそっと寄り添った。


「キュイ……」

いつもなら、ガバッと抱きついてもっふもっふして、その怪力で空竜を困らせるリルだが、今日ばかりは反応が無い。


カロッサの息が荒く、額に汗が滲んでくる。

人一人を包み込む大きさの空間凍結は、カロッサにとって全力を注ぎ込んでようやく達成できるかどうかというラインだった。


リルの耳にも、カロッサの苦しさが届く。

「カ、カロッサ頑張って!」

凍結されることにしょんぼりしてる場合じゃない。

もし…………凍結できなかったら………………??


カチャンと手元で音がして、見ると握っていた腕輪は血まみれのままだった。

(久居の血だ……)

リルはなるべく冷静に考えてみる。

いつも、久居がそうしているように。

久居は、血が出ても慌てない。

ボクはまだやっぱり、痛いと怖くなっちゃうけど。

今はどこも痛くないんだから、少しは落ち着いて考えられるはずだ。


ボクがここでカロッサに声援を送っても、多分、邪魔になるだけだよね。

集中しないといけないだろうし……。

カロッサは、リルのことなど見る余裕もなく、久居を包むことに全神経を注いでいた。


リルは、焦りのままに力尽くで外した腕輪にもう一度視線を戻す。

(壊れてないかな……?)

今更少し心配しながら、それを湖の水で洗うことにする。

自分が今、皆のためにできることは、このくらいしか思い付かなかった。


湖の淵にしゃがんで、環を一つずつ洗う。

水面にポトリ、ポトリと水滴が落ちて、雨かな? と思った後、自分の涙だと気付いた。


ああ、ボクまだ泣いてたんだ。


……泣いたって、何にもならないのに。


じわりと自嘲するリルの胸に、久居の言葉が蘇る。

『私の分も、泣いてくださってありがとうございます』

村の人達が皆殺されていた時に、久居が言ってくれた言葉だ。


久居は泣かない。

どんなに苦しい修行の時でも、どんなに痛い思いをしても、泣いたりしなかった。


……ボクも久居みたいに、強くなりたいのにな。


それでも、ボクが泣かない人になるのは、久居はきっと望んでいないんだろうなと、なんとなく思いながら、

すっかり汚れの落ちた腕輪を、いつの間にかのぼっていた月にかざした。


「あれ?」

この腕輪って、こんな色だったっけ?

なんだか、所々黒ずんでる。

まだ血が残ってたかな……?

ごしごしごしごしと、繊細な彫金の隙間まで丁寧に擦り落とす。


やっぱり消えない。


「……リル君……成功、よ……」


か細いカロッサの声に、慌てて振り返る。


「あ、ありがとう、カロッサ! ええと……大丈夫?」

カロッサは、座り込んで、凍結膜にもたれて息を整えている。

「ん、疲れただけ……。喉、乾いちゃったわ」


「ボク飲み物取ってくるね!」

カロッサの家跡地の少し脇、久居が夕食の支度をやりかけていたところに、空竜の急な離陸で食器やお鍋や日用品が散乱していた。

そこから、リルは自分の水筒を取って、また戻る。

ここもリルの炎が届いていた場所だったが、結局、リルの炎は敵以外を何一つ焼かなかった。

なので、辺りも焦土と化してはいない。

ただ、元々カロッサの家の周辺は燃え落ちていたが。


「はい、どうぞ」

「ありがとね」


カロッサがほとんど飲んでしまったが、残りをリルも飲む。

そして、お腹が空いたなと思う。

(うん……。とっても、お腹がペコペコだ……)


さっきの場所から何か食べるものを取ってこようかと思ったリルが、カロッサを振り返る。

カロッサは、凍結膜にもたれた姿勢のままスースーと寝息を立てていた。

「カロッサ、寝ちゃったんだ……」

そうだよね、ヘトヘトになるまで頑張ってたもんね。と、深く納得するようにリルは頷いて、疲れ切ったカロッサの横顔を見る。

小さくなりつつあった空竜が、五人乗りほどの大きさで縮むのをやめると、ふかふかの翼を広げて久居とカロッサを包んだ。


ボクも、何か食べたら寝よう。

そう思って立ち上がったはずの、リルの足がもつれる。

両手もうまく出せずに、リルは顔面から地面に激突すると思った。

が、間一髪のところで、空竜のふかふかした尻尾に支えられる。


「ありがと……くーちゃ……」


お礼を伝えるつもりだったリルが、空竜のふかふかの尻尾から伝わるあたたかさに、激しい眠気を催す。

(くーちゃんのしっぽ……、お日様の匂いがする……)

ホッとした途端に、ここまでの頑張りの疲労が一気に小さな少年を襲った。


「クォォン」


(あ……。くーちゃんが、大丈夫だよって言ってる……。

 そっか、もう……大丈夫なんだ。

 よか……った……)


そうして、空色の竜以外に、動く者は一人もいなくなった。

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