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30話 地動説(中編)

びっしりと石で囲まれた円筒状の部屋は、天井も高く、三階分ほどの高さはありそうだ。

部屋の奥で凍結されている人物は、ゆったりとした肘掛け付きの椅子に掛けていて、そのまま椅子ごと凍結膜に包まれている。

室内にはたくさんの書物が、壁面にずらりと設えられた本棚にも、床の上にも沢山積まれている。


カロッサは、壁のレバーのようなものを上げて地下室の明かりを付けた。

光源は、久居も以前リリーの持っていたランプとして見た事のある、光る石のようなものだった。

レバーを上げたその近くの石がじわりと輝き出し、室内にいくつも設置されていたらしい光る石が順にじわじわと輝きを繋げ、広げた。


「説明して、いただけますか?」

白いマントを翻して、レイがカロッサを振り返る。

それはいつもの赤い顔ではなく、沈鬱な面持ちだった。

自分達は裏切られたのかと、青い瞳が問う。


その瞳から逃れるように、カロッサは凍結膜に寄り添った。

凍結膜をゆっくり撫でると、カロッサはその中に眠る人を見つめる。

「ごめんなさい……。どうしても、時間が欲しかったの。リル君と久居君を育てる時間が……」

カロッサの言葉に、リルが久居を見上げる。

向けられた不安げな視線に、久居はリルを視線で宥める。

ゆらり、と風もない地下でリルの炎が揺れる。

「ボク達のため……?」

リルの言葉に、カロッサの胸が痛む。


正しくは、世界のためなのだろう。久居はそう思いながら、リルを側に呼ぶ。

「リル、炎を収めて、こちらへ」

久居が、炎が完全に消えた事を確認しつつ、リルの頭をそっと抱き寄せる。

ここは、レイとカロッサで話をして貰う方が良いだろう。

今は、リルには少し黙っていてもらう必要があった。

「久居……」

不安そうに久居を見上げる薄茶の瞳。どうやら眠るヨロリの姿に、少なからず罪悪感を感じているようだ。

……そんな必要など、全くないのに。

「心配要りませんよ」

久居は、小さな少年を慰めるように、なるべく優しく微笑む。

その微笑みに、リルがほんの少し弛んだ。


「危機は見えていたのだけれど……、それが訪れるよりも……御師匠様が亡くなる方が、先だったの……」

ぽつりぽつりと話すカロッサ。

レイは何も言わず、彼女を見ていた。

「御師匠様が亡くなってしまえば、天界は、未熟な私の言葉を天啓とは認めてくれない……」

カロッサの、ウェーブのかかった鮮やかな紫色をした髪が、室内を明るく照らす光に揺れる。

「けれど、このタイミングで天界の協力が得られなければ、世界の危機は回避できなくなってしまう……」

カロッサの言葉を、三人は静かに聞いていた。

「だから、御師匠様は命が尽きると同時に、その体を凍結すると決めたの……」

カロッサが膜にピタリと寄り添う。

本当は、中の人物に縋りたいのだろう。

その姿は、あの日のリルや久居と同じだった。

「御師匠様の魂が、今もこの中に閉じ込められて……獄界へ行くことすら出来ないのは、全て未熟な……私のせいだわ」

膜を伝い、カロッサの足元に落ちた小さな水滴に、リルがカロッサの名を呼ぼうとした時、レイが動いた。

カロッサへずんずんと近付いたレイが、カロッサの小さく丸めた震える肩に、手を伸ばして………………そのまま、触れるか触れないかのところでプルプルしている。

リルが「ぎゅってしたらいいのに」と久居の隣で呟いたので、久居もリルにだけ聞こえる声で「そうですね」と同意した。

真っ赤な顔のレイが、彷徨わせていたその手をぐっと自身の胸に握りしめ、カロッサの背に叫ぶ。

「貴女は何も悪くありませんっっ!」

至近距離で叫ばれて、カロッサの肩がビクッと跳ねる。

「貴女も、時の魔術師殿も、世界を守るために正しい行いをしたのです!」

「レイ君……」

カロッサが振り返ると、レイは、いつも通り真っ赤ではあったが、まるで怒っているような、力の入った顔で、カロッサをまっすぐ見つめていた。

レイを見るカロッサの紫色の瞳から、ぽろりと一粒涙が零れる。

レイはそれに、酷く心を痛める表情を見せた。

露草の花のような青く澄んだレイの瞳に、裏切りを責めるような色はなく、むしろカロッサに対する同情やそれ以上の感情が溢れていた。


久居の隣で、リルが耳を押さえて「キーンてする……」としょんぼり呟く。

この完全に囲まれた部屋の中でのレイの叫びは、リルの耳には大きすぎたのだろう。

久居にはどうという事はなかったが、緊急時に備えて、リルの耳を使える状態は保つ必要がある。

久居は、レイには後で少し声の大きさについて話しておいた方が良いだろう。と思った。


かくして、カロッサが正しい順序で情報を開示したおかげで……というより、単にレイが個人的にカロッサ寄りだったからかも知れないが、天界への偽りは明るみに出る事なく、地下への扉は再度閉じられた。


カロッサが名残惜しそうに部屋を出るのを横目で見ながら、久居は感じる。

結局のところ、自分達を駒として使う彼女ですら、世界の危機の前には同じ駒のひとつに過ぎないのだと。


地上に戻ると、空はもう夕暮れに差し掛かっており、レイが慌てた顔で言った。

「じゃあ今日のところはこれでっっ、俺は帰るからな!!」

ばさりとレイの背で白い布が翻り、その姿を大きな翼へと変えてゆく。

天界に帰ろうとするレイを、リルが引き止める。

「ええっ、レイ帰っちゃうの!?」

「すまない! 明日の当番は何とかする、明日必ず来るからなっ!」

むんずと羽を掴むリルを何とか振り切ろうとするレイだが、幼くとも鬼であるリルの手はそう簡単には振り払えなかった。

「まだこれからあの人達来るかも知れないのにー!?」

「いや、ほんっっっっとに悪いが、俺は夜はポンコツなんだよ!!」

「えぇー、昼間だってカロッサの前だとポンコツだよ?」

「お、おまっっ……!!?」

そこへ、当のカロッサが

「まあまあ、レイ君は女性に慣れてないんでしょ、そっとしといてあげて」

と入ってくる。

「そうなの?」

リルがレイを見上げるも、レイはすでに真っ赤に茹で上がっていて、返事は望めそうになかった。


「ちょっと試してみませんか?」

久居が静かに声をかける。

「ん? 俺か?」

「はい。リルの炎を纏ってみませんか?」

「……俺の名前は?」

レイは、ここまで、久居が一度も自分のことを名前で呼ぼうとしないことに、もう気付いていた。

「…………そんなことより、もう日が暮れてしまいますよ。どうしますか?」

久居が強引に話を進めてくる。

確かに、空は夕暮れの色に染まりつつある。

レイがチラリと暮れゆく空を見て、焦りを浮かべつつ視線を戻すと、リルがパアッと破顔して言った。

「あ、そっか。そしたら明るいもんね。ボク、レイの事結構好きだから、大丈夫だと思う。たぶん!」

「いやいや『たぶん』が力強すぎる! その技、失敗したらどうなるんだ?」

レイの問いに、リルと久居が無言で顔を見合わせる。

「……溶けちゃう、かなぁ」

「残念ですが、原型は留められないでしょうね……」

沈鬱な表情で、渋々答える二人。

「いやいやいやいや、怖すぎるだろ!!」

青ざめた顔で必死で訴えるレイに、

「前に一度、空竜ごと炎で包んだ時には、乗っていた三人の人間と、私とリル自身の五人と一匹が無事でしたよ」

と笑顔でフォローを入れる久居。

途中、リルの動揺から炎が蒼炎になりかけ、五人と一匹が死を覚悟しそうになった事は黙っておくつもりのようだ。


久居もやはり、敵が来るなら夜だろうと思っていた。


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