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26話 縛るもの(前編)

「クォォン」

空竜の声をリルが「あ、もう顔出しても大丈夫だって」と訳した。

ここまで、空竜は体を超巨大化して、空気抵抗の少ない上空を高速飛行していた。

それが目的地……カロッサの拐われているであろう城に近付いたため、低速飛行に切り替えたようだ。

「クォン!」

「ちっちゃくなっていいかって聞いてるよ」

「このままですか?」

「みたいだね」

空竜の顔はずっと先で、久居にその表情は見えない。

久居は眼下に広がる景色を眺めつつ思う。確かに、この辺りにこの大きさの空竜が着地できるほどの広さは確保できそうにないが、空中で少しずつ小さくなると言う事だろうか。着陸できそうな場所を探して、そこから移動するよりは遥かに時間短縮できそうだが……。

「クォンン」

「くーちゃんが、心配いらないって言ってるよ」

「……そうですか。では空竜さん、お願いします」

久居の不安を感じ取った空竜に気を遣われて、久居が苦笑しつつ荷物を抱える。

なんだか久居は、リルを見ていると自分ばかりが余計に心配しているようで、情けなく思えてくる。

どうやら空竜にも、カロッサがさらわれた事で焦る気持ちがあるようだ。

空竜が、二人を落とさないよう気を付けつつ徐々に小さくなってゆく。最終的に二人乗り程の大きさになった頃、森の奥にくすんだ石の壁が見えてきた。


「ここですね」

久居が地図と眼下の居城を見比べながら言う。

その石造りの建物は、広さ自体は庭も含めたウィルの屋敷とそう変わらなかったが、四隅に物見櫓の役割をするのだろう高さのある塔があり、壁の高さも人の背の三倍ほどはある。住居というよりも要塞といった様相だ。

こんな森の奥に、いったいいつから建っていたのか、全体の風化具合から、相当昔からあったのだろう。

(……この土地と鬼に、どれほどの繋がりがあるのでしょう……)

久居は改めて、自分達が敵の懐に飛び込もうとしている事を実感した。

「人はそんなに居ないよ。全部で十人くらいかなー?」

「鬼とカロッサ様も入れて、ですか」

「うん」

リルの言葉に、久居は少し励まされる。

屋敷の規模からすれば、信じられないほどの少人数だ。

その人数がもし全員鬼だとしたら喜べる数ではないが、ウィルから聞いた限りでは、四人以外は地元の人間だろうという事だった。

カロッサも除けば、人間の数は五人ほどだろう。

いざという時の犠牲者は、少ない方が良い。


久居は、服の下に着けた手首の環を、そっと握り締め、その時が来ない事を祈る。


「あ、これは……レイかな?」

リルの視線を追って空を見上げると、日の傾いてきた空に砂粒のような小さな影が、見る間にぐんぐん近づいてくる。


「お、お前達、……移動、早い、な……」

翼をバッサバッサと激しく動かしながら、ゼイゼイと肩で息をするレイに、とりあえず着地を提案されたので受け入れる。

「ホバリングは体力使うんだよ……」と呟いて草の上に腰を下ろしたレイは、息切れに汗だくだ。その姿には、天使らしさというか、神々しさは感じられない。

「ホバ……なに?」というリルに「ホバリング、空中、停止な」と途切れ途切れながらも律儀に答えつつ、精一杯息を整えながらレイが言う。

「いや、俺の方が、着くの、早いくらいだと思ってたんだけど、な……」

「……よろしければ、お水をどうぞ」

息切れで汗だくの天使が少し不憫に思えて、久居が水筒の水を分け与える。

「ああ、助かる……」

レイは差し出された軽い木製の器を受け取って、がごくごくと水を飲み干す。プハっと息をついて、天使は前置きをした。

「これは天使の常識なんだが、お前達に言い忘れていた。すまない」

頭の上に疑問符を浮かべたリルと、若干緊張した久居が次の言葉を待つ。


「天使は、夜は動けないんだ」


レイの真剣な声と表情に、リルは首を傾げ、久居は僅かに眉を顰めた。

「いや、比喩とかじゃなくてな、天使は暗いところが苦手なんだ。日の差さない場所が苦手だと言ってもいい。地上で夜を越すことはまず出来ない」

「レイ、暗いのが怖いの?」

「ああ。天界に夜は来ないからな。天使は皆、暗闇が怖い」

リルのちょっとズレた質問に、答える天使の表情は真剣なままだった。

久居にはそんな世界など想像もできなかったが、レイが夜間は戦力にならないという事だけはハッキリ分かった。

「暗い場所は、よく見えないしな……」

レイの言葉には、自身を不甲斐なく思っているのか、そんな響きがある。

「ボクも、久居とかお父さんみたいには見えないよ。暗いとこ」

リルの発言に、それは比較対象を間違えているのではと思いながらも、久居が尋ねる。

「だとしたら、そろそろ日が暮れてきます。レイさんは大丈夫なのですか?」

「ああ、すまないが、一度上に戻る。それと、この城には結界が張ってある。これ以上は近付かない方がいい」

レイは、カロッサが結界の中に入って以降、カロッサの位置情報も分からなくなってしまったらしいが、リルの位置を追ってきたそうだ。

「カロッサは今のとこ元気そうだよ」

「!」

リルの言葉に、レイがハッとリルを振り返ると、嬉しそうに笑った。

「そうか、良かった!」

あまりに嬉しそうな、無邪気な笑顔に、リルもつられて微笑む。

久居が、そんな二人にそっと日暮れを告げる。

レイは、この二つを伝えにきたのだと言って、飛び立った。全力疾走を経て。

空へと真っ直ぐ上ってゆく白い翼が夕焼けの赤に染まって、不意に空の色に溶け込む。

まるで、ふっと空に溶けて消えたかのような天使に、久居は、彼もまた自分とは違う理の中で生きているのだと実感する。

視線を戻すと、薄茶色の瞳が久居を覗き込んでいた。

「リル、カロッサ様はどの辺にいらっしゃるのか、わかりますか?」

久居は懐から取り出した紙に、先ほど上空から見た屋敷の平面図をサラサラと書き込む。

「んーと、この辺でごろんごろんしてるかなぁ」

リルが指したところに印をつけ、横に現時刻を書き込みながら、久居は、予想していなかった単語を思わず繰り返した。

「ごろんごろん……」

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