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16話 四つの腕輪(後編)

「リル君、もうちょっと、こう。力が手の中で回るように向き合わせてみて」

言いながらカロッサが、両手を向き合わせるリルの手を取り、その角度を整える。

リルと久居の二人は、制御に関して、基礎のきの字も習っていないに等しい状態だった。


それでも久居は、カロッサが教える事を全て一度で吸収し、二十分とかからずに力を形として整えられるようになった。


「……すごい……完璧だわ」

久居の手元を覗き込んで、カロッサが感嘆するように呟いた。

「ありがとうございます」

「この短時間で完全に扱えるなんて、久居君の制御能力はリリーに劣らないわね」

カロッサだって、そこらの術者に比べれば、制御力には自信があるつもりだった。

しかし、この青年は資質という点では自分よりも上だろう。

人間であるということを、一瞬疑いたくなるほどの腕だ。

「けど、攻撃は放出系なのよね?」

「はい」

久居は変わらぬ様子で、両手の間で上下の尖った六角柱のような形を美しく保つ事に集中している。

カロッサは、久居の手の中で綺麗に形を保たれている無駄の無い最小限の力の塊を見ながら思う。

クザンが使うのは、放出系の技ばかりだ。

制御するとこなんて、量と向きくらいしかないのだから、あれに師事していたのでは、制御らしい制御を知らないと言うのも仕方ないだろう。

「久居君、放出系は向いてないんじゃないかしら」

カロッサに言われ、久居の手の中で力の結晶がゆらりと形を崩しかける。

慌てて修復に勤しむ久居に、カロッサはクスっと小さく笑って言う。

「ああいうのはね、力が有り余ってるバカ向きなのよ」

バカというのが誰を指しているのかは明白だったが、久居がそれに口を挟む事は無かった。

「久居君は制御力があるから、力を成形して扱う方がきっと効率がいいわよ」

言われて、久居が心の中でそれを繰り返す。

(成形して、扱う……)

それは、正に、今求めている新たな力に繋がると、久居は感じた。

「盾の応用みたいなものだから、久居君ならきっとすぐ出来るわ」

ピッと指を立てて明るく励ますようなカロッサに、久居は真摯に答えた。

「はい、やってみます」


(では、もし……)

と、手の中で力の形を整え直した久居が、それを維持しつつチラリとリルの様子を見る。

リルは両手を向き合わせて「うぬぬぬぬぬぬ」と唸っていた。

そんなに肩に力を入れたところで、制御力は上がらないだろうが、リルなりに精一杯やっているのだろう。

リルはあの時、コートの男へ、力そのものを一切制御する事なく、純粋な高エネルギー体としてぶつけようとしていた。

それで、あの威力だ。

それをもし自在に操れるようになった時、一体どれほどの脅威となるのだろうか……。

久居の理性より、もっと深いところで、本能が久居の背筋を震わせた。


当のリルは、難しい顔で、まだ手の平同士に熱が伝わる距離を少しずつ広げる練習をしている。


そんな努力する二人を、カロッサが眩しそうに、けれどどこか苦しげに眺めていた。

(私に、もう少し先が見えたら……)

カロッサは自身の力不足を、いつだって、歯痒く思う。

(御師匠様(せんせい)のようにうまく導いてあげられるのかな……)

カロッサは頼りない自身の手を見つめ、決意と共に握り締める。

(私も、もっと頑張ろう!)


----------


「腕輪ってのは、これだろう?」

言葉とともに手渡されたそれを、黒髪の少女……と呼ぶべきか女性と呼ぶべきか、微妙な年齢に見える黒髪の女が受け取る。

月明かりに、きらりと輝くぽってりとした丸みのある腕輪には、雪の結晶の模様が刻まれていた。

「……間違いない」

じっとそれを確かめてから、女は懐からずっしりと重みのある袋を出し、腕輪を渡してきた男の手に落とした。

「報酬……」

「ああ」

受け取った男がその中身を確認しながら、チラリと女を振り返る。

「その腕輪に、こんな価値があるようには見えんがな」

「……」

長い黒髪を三つ編みに結い、右肩から前へ垂らしている女は、そんな男に視線だけを返す。

男がそんな風に思ったのは、おそらく相手に力を使われる前に、奪って来れたからだろう。

しかし、女には、この腕輪の価値を男に伝える気はカケラもなかった。

「……」

返事の戻りそうにない女を見て、男は思う。

おかしな奴にはなるべく関わらないのが一番だ。と。

こんな仕事をするようになってもう随分と経つ男は、経験からそれを分かっていた。

目の前の女は、ローブで全身を覆っている事を除けば、一見どこにでもいる女の顔をしていた。

が、少なくとも、こんな額の金をひょいと渡せるような奴は、普通であるはずがない。


男はそれ以上何を言うでもなく、その場を後にした。


(これで二つ目……)

女はその背を見送りながら、手の中の腕輪を確かめるように握り直す。

(これを持って帰ったら、きっと父さんが喜ぶ……)

誰も居ない路地裏で、喜ぶ父を想いそっと微笑む女は、とても純粋で幼い表情をしていた。

(待っていてね、父さん)

すっかり昇った月を見上げて、黒髪の少女は夜空に微笑んだ。


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「あら? 久居君、まだやってたの?」

カロッサの声に、一人練習部屋に残っていた久居が振り返る。

「ご迷惑をおかけしてすみません。もう少しで形を掴めそうで……」

久居は、どれほど長く集中していたのか、ぽたぽたと髪の先から雫が垂れるほどに汗をかいていた。

「いや、どこも迷惑ってことはないけど、リル君はもうお風呂入っちゃったわよ」

カロッサの言葉に、久居の顔色が変わる。

(それは危険です!!)

そこへ、リルの悲しげな悲鳴が家中に響いた。

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!」


「お風呂場からだわ!」

(遅かったですか……)

カロッサの声を背に、久居は駆け出していた。


「リル、大丈夫ですか!?」

久居がバタンと風呂場の戸を開けると、リルが手を伸ばしてきた。

「久居ぃぃぃ、目に水が全部かかるぅぅぅ」

(やはり……)

久居は思った通りのびしょびしょなリルを前に、腕と足の服を捲ると首巻きを短く括り、風呂場へ足を踏み入れた。

「今お手伝いします」

「うわーん、目が痛いよぅ」

久居に顔を拭かれて、ようやくリルが目をしぱしぱさせながら開いた。

久居はそのまま、リルの頭を洗ってやる。

「ふー……危ないとこだったねっ」

「え? ええ……」

湯船に入ってひと心地ついたリルの言葉に、久居は内心疑問を抱きつつも同意してやる。

こちらの地域では一般的に湯船に浸かる習慣はなかったが、この家では元家主の趣味で、大きな浴室に大きな浴槽が作りつけてあった。

湖に隣接し、水が豊富に確保できることもあるのだろう。

「では私はこれで……」

風呂場から出ようとする久居に、リルが元気に声をかける。

「よーし、お礼にボクが背中流してあげるよっ」

「え!?」

「カロッサのお風呂広いし、二人でも十分入れるよー」

「い、いえ私は……」

断ろうとする久居に、リルの寂しげな声が届く。

「久居……戻っちゃうの? ……一緒に入りたいよぅ……」

潤んだ瞳で縋るように見上げられ、久居が「ゔっ」と小さく呻る。

「た、鍛錬の続きが……」

リルは、まるで捨てられた子犬かというような顔で、懸命に久居を見つめている。

「……続き……が……」

たじろぐ久居を見つめるリルの、薄茶色の瞳がじわりと滲む。

久居には、それを押してまで誘いを断ることはできなかった。

はぁ……。と、久居はため息を吐いて、観念する。

「では、少しだけ……」

「わーいっ」

途端、花を振りまくような笑顔を見せるリルに、久居は内心苦笑しつつも渋い顔で告げる。

「背中は自分で洗います」

「えー」

リルを湯船に残し、久居が自身の髪を洗っていると、リルが「あれ?」と声を上げた。

「久居、背中に傷があるよ?」

言われて、久居が濡れた前髪を掻き上げながら肩越しに振り返る。

その背、左肩に近い辺りに、何度も刻まれえぐられた様な傷痕があった。

「あの鬼にやられたの? 治さないの?」

「ああ、これは……」

久居は、ほんの少し言い淀むような間をおいて、ゆっくり答える。

「古い……傷なんです……」

「ふーん……」

その傷の奥に、何かアザのようなものが浮かんでいる。

(なんだろう。なんか模様が、透けて見える……?)

こしこしと目を擦るリルは、ふやけてきた頭が考える事をやめようとしていることに気付く。

(あれ……?)

視界がぼんやりと霞んでゆく。

ぶくぶくという音に、久居は慌てて立ち上がる。

「リル! 湯船で寝ては危険です!」

リルは、浴槽の淵に両手をかけたまま、静かに湯の中へ沈もうとしていた。


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リルを寝室に寝かせ、久居は一人、練習室にいた。

夜はもう随分と更けている。

カロッサも、既に眠っていた。


久居は一人静かに呼吸を整えると、慣れた仕草になるように、形作っていたそれを腰の左へと仕舞い込むように解いた。

(これなら……)

と、久居は高揚する心を抑えつつ思う。


思ったよりも時間はかかってしまったが、ようやく納得のゆく状態まで、実戦で使用できる段階まで、技を調えることができた。

(これなら、あの鬼にも応戦できるやも知れません!)


カロッサの教えにより、新たに手にした技術は、久居の胸に希望の火を灯した。


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