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15話 力(後編)

夢の中、リルは必死で走っていた。

暗い夜の森で、耳を頼りにフリーを追う。

あの日の焦りが蘇る。


リルは、あの夜の出来事を思い出していた。


これは……、フリーが凍結した日だ。

と、夢の中の幼い自分を見つめる、もう一人の自分が居た。


その先で、烏帽子をかぶった男が、刀を振り上げている。

ここで、フリーが斬られそうになって……。


ヒュッと風を切り、刀は真っ直ぐに振り下ろされる。

そこへ飛び込んだのは、あの日の自分だった。


男の刀から、刃が失われる。

男は怯えた顔をしていた。


あの日の自分は、それに全く気付かない。


男は後退り、逃げようとしていた。

けれど、あの日の自分は、男へ炎を放った。


ダメだ!!

早く炎を引っ込めなきゃ!!


その人が融けてしまう!!!!


リルは強く念じる。


引っ込め!


引っ込め!!


ダメだ!! 引っ込め!!!


----------


「うーん……うーん……」

リルがうなされだした事に気付いたのは、リルの上で丸くなっていた白い塊だった。

ふんふんと鼻先をリルの顔へ近付け様子を見たそれは、ザラザラとした舌で『ザリッ』と音を立ててリルの頬を舐める。


「うわぁっ!?」

いまだかつて感じたことのない感触に、リルは飛び起きた。


(ーーあれ……? 今ボク、何か夢を……)

その夢は、何か、とても、大事なことで、忘れてはいけないような事だったはずなのに……。

リルは何も思い出せない自分に、どこか恐怖を感じた。

心臓はまだ早鐘を打っている。

冷や汗のようなものが、じわりとリルの全身を濡らしてゆく。


ふと目の前を見ると、白猫がころんと転がっていた。


猫は、慌てて立ち上がると、フーーッと威嚇を始める。

『こっ、このくそガキが!! うなされてるとこわざわざ起こしてやったってのに、なんつー態度だ!!』

どうやら、リルが跳ね起きた拍子に、上に乗っていた牛乳が転がったようだ。


「…………ぎ……」

白猫の元気そうな姿に、リルの瞳に涙が浮かぶ。

『フン、泣いて謝るんならまあ許してやらんこともな……』

「牛乳っ!!」

リルは、喜びに任せて白猫を抱き締めた。

両腕に絞られた猫が、ギニャァァと悲鳴をあげる。

「よかった!! 生きてたんだね!?」

『やめろぉぉぉ!! 死ぬぅぅぅ!!』

リルは嬉しそうに、白猫の背に顔を埋めている。

白猫は、ジタバタと派手にもがいた後、ぐったりした。


「リル!? 目が覚めたの?」

二人の声に、クリスが駆け寄る。

その足音に、リルはびくりと肩を揺らした。

悲しげに伏せた薄茶色の瞳を、じわりと持ち上げながらおそるおそる振り返るリルに、クリスは罪悪感を感じつつ笑顔を見せた。

若干引き攣った笑顔ではあったが、クリスに笑顔を見せられて、リルがキョトンとした顔になる。

(え、えーと……。まず謝って……。ううん、お礼が先かしら。な、なんて切り出そう……)

クリスが引き攣った笑顔を張り付けたまま、悩み出す。

無言で見つめ合う二人。

先に口を開いたのは、リルだった。

「クリスは……」

途切れた言葉に、クリスはリルの瞳を見る。

柔らかな薄茶色をした瞳は、不安げに揺れていた。

「ボクのこと、怖くないの……?」

拒絶される事を恐れながらも、僅かな期待を宿して見つめられ、クリスは言葉に詰まる。

「そ、それはえっと……」

少女は胸いっぱいに息を吸い、全部吐いて、それから話し出した。

「全然怖くないって言ったら、嘘になっちゃうけど……」

クリスは今度こそ、リルに向かってまっすぐ微笑む。

「もう、怖がらないって決めたの!」

胸を張って言い切るクリスの、金色の髪とリボンが揺れる。

陽の光を浴びてきらきら輝くその姿に、リルと牛乳は目を奪われた。

クリスは、そんなリルの腕から、ヒョイと牛乳を抱き上げた。

「ほら、牛乳の手には鋭い爪が生えてるでしょ?」

クリスが牛乳の前足を手に取ると、指で押し広げて見せる。

普段隠されている鋭い爪が、二人の前にあらわになった。

「うん……?」

リルは、突然何だろうという顔をしながらも頷く。

「やろうと思えばこの爪は、私の手だって簡単に切り裂けるけど」

「そんなことっ」

リルが慌てて反論するのを、クリスは笑って受け止める。

「うん、牛乳はしないよね」

『当然だ』と腕の中で牛乳も笑ったような顔をした。


「リルの炎も、同じだと思うの」

クリスは、牛乳を下におろしてやりながら、続ける。

「リルの炎は、私のこと傷つけたりしないって思えるから」

顔を上げて、クリスが微笑む。

「だから大丈夫。もう怖くないよ」

リルは、クリスを驚いたような顔で見ていた。

「あ、あのね、リル。それで、えっと」

クリスの頬が、じわりと熱くなってくる。

お礼を伝えるだけなのに、なぜかとても恥ずかしく感じて、クリスは思わず俯く。

「今回は、その、助けてくれて……」

「ありがとうっっ!」

元気に礼を言ったのは、リルの方だった。

「な、何でリルがお礼言うのよ……」

(私が言おうと思ってるのに……)

困った顔のクリスの前で、リルはじわりと目尻に涙を浮かべた。

「えへへ……」

リルは、嬉し涙を指先で掬いながら、幸せを噛み締めるように笑った。

「クリスの言葉が、すごく嬉しかったから……」

リルの可憐で儚げな笑顔に、クリスはさらに赤面した。

「わ、私も、ほら、その、あの、えっと!」

どうしてこんなに赤くなるのか、自分でもわからないまま、半ばやけくそにクリスが叫ぶ。

「たっ、助けてくれて、ありがーー」

「あれ? そういえば久居は……」

クリスの言葉を遮って、リルは久居の姿を探す。

キョロキョロとあたりを見回したリルは、木の幹にもたれたまま動かない久居を見つけた。

「久居!?」

まさか……。とリルの頭に嫌な予感が過ぎる。

「久居! どうし……」

「待ってリル!」

慌てて駆け寄ろうとするリルを、クリスが止める。

「寝かせといてあげて!」

「え?」

リルが振り返った。

「久居さん、牛乳のために……」

クリスの言葉に、リルは牛乳を見る。

「そっか……牛乳酷い怪我だったもんね……」

今はすっかり元気そうにしている牛乳だったが、一時はひどい有様だった。あの状態からここまでに戻すには、相当数の作業を、一つ一つ正確にこなしたのだろう。

「久居、頑張り過ぎちゃったんだね……」

そっと顔を覗くと、久居は青ざめて疲れ切った顔をしていた。

(いっつも、ボクの分まで頑張ってるから……)

リルは思う。

倒れそうな時、久居はいつもみたいにすぐ駆けつけてくれた。

ボクのこと、全然怖がってなかった。

お父さんの炎を見慣れてたからかな?

それとも、久居は分かってたのかな……。

ボクの、力を……。


リルは、自分の足元を削り、リルの力を逸らしてくれた久居の行動を思い返す。


(力……)

リルは自分の手の平を見つめた。

(ボク、あの時、力が使えたんだよね……?)

ぎゅっと両手を握って思う。

(これからは、ボクも少しは久居の役に立てるかな……)


「リ、リル……?」

物思いにふけるリルに、クリスが声をかける。

今度こそ、ちゃんと謝ってお礼を言いたい。と少女は思っているのだが、当のリルは全く聞いていそうにない。


(まあでも、最初は耳を隠す練習からって言われちゃうんだろうけど……)

リルは、苦笑を浮かべながら、自分の耳を布の上から押さえた。

……つもりだった。


けれど、その手は何にも阻まれる事なく、側頭部に触れた。


(あれ?)

リルはもう片方の手で、反対側の耳にも触れてみる。

しかしこちらも、耳に触れる事なく側頭部に触れる。

(あれ??)

「リル? どうかし……」

(無い!?)

リルは、顔を真っ青にして、叫んだ。

「ボクの耳いいいいぃぃいいぃぃぃ!!」

リルの絶叫に、心配して声をかけたクリスの言葉は、かき消えた。

眠っていたはずの久居が瞬時に起き上がる。

「リル! どうしました!?」

「うわぁぁぁぁんっ久居ぃぃぃ!」

リルが、泣きながら久居の胸に飛び込む。


(あーあ、起こしちゃった……)

と、クリスはリルを宥める久居を見る。

(久居さんにもお礼言いたいんだけど……)


「耳がぁぁ、ボクの耳がぁぁぁっ!」

「まずは落ち着いてください!」


何だかよくわからないけれど、リルは耳が無いと大泣きしている。

そんな事あるわけがないと、クリスは思う。

多分、布の上から触ったからじゃないだろうか。


クリスは、まだしばらくお礼を聞いてもらえそうにない二人の様子に、がっくりと肩を落とし、大きくため息を吐いた。


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