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9話 物語の始まり(後編)

眩しい朝日の中を、リリーは小屋へ向かっていた。


「リリー様、おはようございます」

小屋の前で、朝食に使った火の始末をしていた久居がリリーに気付き挨拶をする。

「おはよう、リルは中かしら?」

「はい。あ、それは昨夜の……」

久居の言葉に笑みを返して、リリーは扉を開けると、声をかけた。

「リル」

顔を洗っていたらしいリルが、振り返る。

そこへ、リリーがガポッと鍋でできた帽子を被せた。

「わ」

鍋は、その外側を爽やかな青で塗られていた。

フチは白で塗られ、その下に白い布が顔以外をぐるりと覆い、顔の両脇には捲れ防止に赤い雫型の石が下がっていた。

「「おおー」」

と、男性陣から声が上がる。

「うん、上出来だわ」

リリーの満足気な言葉に、クザンも同意する。

「これならバッチリだな」

確かに、それは一見鍋には見えない、立派な帽子だった。

「その赤い石は……」

久居が帽子に使われている赤い石と、リリーの耳元を見比べる。

「ええ、私の封印石を使ったの」

彼女の耳には、いつも下がっていた赤い石が無かった。

「これで、帽子をかぶっている間は、普段よりさらに力が抑えられるわ」

リリーはどこか懐かしそうに、リルの肩の上で揺れる赤い石を見つめている。

「私はもう、力の制御が出来るから、その石はお守りみたいなものだったのよ」

彼女がいつからその石をつけていたのかは久居には分からなかったが、その言葉から推測するに、彼女がリルと同じくらいの頃から、身に付けていたのかも知れない。

彼女の中にはその石との思い出があるのだろう。

「わーいわーいっ、おかーさんのおさがりーっ」

リルは、それをわからないまま、嬉しそうにはしゃいでいた。

「でもボク全然、力発動できないよ」

「え?」

リルの言葉に、クザンがギクリと肩を揺らす。

「そうなの……?」

振り返り尋ねるリリーに、クザンは「すまん……」と謝った。

その後ろで、久居は昨夜、小屋の隣で術を使っていた間も、結局ずっと熟睡していたリルの事を思う。

自分達を信頼してくれるのは嬉しい事だったが、それでも、ここから先は二人きりとなる。

リルにも、もう少し警戒心を持ってほしいと久居は願った。

「クオォォォン」

小屋の外から鳴き声がする。


三年前に手紙を届けにきたあの不思議な生き物は、竜と呼ばれるものの一種らしく、皆に空竜と呼ばれていた。

もふもふした体毛は、ぽかぽかと晴れた春空のような淡い空色で、翼の付け根とたてがみのような部分だけが秋の空のような深い深い青をしている。


空竜は、不思議なことに体の大きさを自由に変えられるらしく、普段は野うさぎほどの大きさだったが、有事には馬や虎ほどの大きさになり、リル達を乗せて空を飛んでくれた。

リルは、空竜とすっかり仲良くなり、空竜を「くーちゃん」と呼んでいた。


空竜の声に「お」とクザンが言う横を、リルは「くーちゃんが呼んでるーっ」と嬉しそうに外へ飛び出した。


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「わぁー」

と感嘆の声をあげながら、リルが空竜へと駆け寄る。

「くーちゃん、大きくなったねーっ」

軽く顔をあげた程度では見上げ切れないほどに、空竜の頭は遥か上空にあった。

「なるほど……体の大きさが、私達の百六十倍……」

久居が、納得しながらも、そのスケールの大きさに開いた口を閉じ切れないまま歩み寄る。

「ある程度サイズがないと速度も出ないしな」

とクザンが説明しながら、二人を空竜に乗るよう促した。

「わぁーっ、くーちゃんふかふか、あったかーいっ」

大きくなったというのに、空竜の体はびっしりと毛で覆われていて、久居は改めてその仕組みを不思議に思う。

自分たちの背丈よりも長い毛の中を、二人は掻き分けながら尻尾から首の付け根あたりまで登った。

「高速で飛んでる最中は顔出すなよー。死ぬぞー」

下から声をかけられて、久居は下を覗き込むも、あまりの高さに下で見送る二人の姿は米粒ほどにも見えない。

「は……はい」

久居は目眩を覚えそうなほどの高さにじわりと手に汗を握った。

今までも、三人で空竜に乗って移動する事は多々あったが、こんなに巨大になった空竜に乗るのは初めてだ。

この大きさになるまで、時間も随分とかかっていた。

二人が無事に乗ったと判断したのか、空竜がその両翼をバサリと振る。

「わぷっ」

ゴウっと巻き起こる風に煽られて、姿勢を崩したリルが毛の海に沈んだ。

羽音を響かせて舞い上がる空竜の勢いに、風を切る音が轟々と鳴り響く。

「じーさんとカロッサによろしくなーっ!! 気をつけて行けよー!!」

下から叫ぶクザンに、久居は心で応える。

もう、この高さからでは久居には小屋の輪郭を捉えるのがやっとだった。

(クザン様……今までお世話になりました。リリー様……菰野様をお願いいたします)

小屋の中の菰野へ、その無事を祈りながら、久居は進行方向へと視線を移した。

(行ってまいります!!)


そこへ、ようやく毛の海から這い出してきたリルが顔を出した。

「まだ、おとーさんとおかーさん見えるかなー?」

空竜の首の辺りから身を乗り出したリルが、ずるりと手を滑らせて、毛の流れに沿って外へと飛び出す。

「あっ」

「リル!!」

久居は、何とかギリギリで服の端を掴むと、必死で引き摺り上げる。

「わー、びっくりしたー」

ドキドキしている心臓を、両手で押さえてリルが呟いている。

そんなリルの倍以上の速度で早鐘を打つ胸を押さえながら、久居が掠れた声で零した。

「寿命が……縮まりました……」


クザンは、二人の様子を脅威の視力で確認しながら、心で久居に詫びを入れる。

(久居、迷惑かけるな……。ホント、リルを頼む……)

クザンの引き攣った顔に、人間とそう変わらない視力のリリーが

「どうかしたの?」

と尋ねた。


----------


「うん、やっぱり明日よね」

部屋で一人、手記のようなものを読んでいた女性は、そう呟くと、パタンと手記の記された本を閉じ、机に戻した。

女性の背には、リリー達のものとはまた違い、蝶の翅ような形状の翅が生えている。

明るい紫色のウェーブがかかった髪は、肩にかからない程度に切り揃えられており、そこから生える一対の触角は、緩やかに後ろへと向かっている。

背に広がる翅は、深みのある美しい紫色をしていた。

「クザンとリリーの息子か……どんな子かしら」

呟くその口元は、楽しみで仕方ないのか、終始弛みっぱなしだ。

アーモンド型に緩やかなカーブを描く目元は、柔らかな紫色の睫毛に彩られている。

その中で瞬く瞳もまた、宝石のように美しい紫だった。

「妖精の子だし、クザン似って事は、ツリ目でやんちゃな感じかしらね」

ふふっと小さく笑うと、細められた目はそれでも目尻側が上がっていて、どこか悪戯っぽい表情に見える。

「時差があるから、向こうを朝に出たとして、こっちに着くのはお昼くらいかな」

彼女は、独り言を続けながら、その部屋……以前誰かの書斎だったような、今はそこら中が埃を被っている、そんな部屋を後にする。

「ふふっ。楽しみだわ」

そんな言葉を残して、彼女が扉を閉める。


後には、扉の衝撃で舞い上がった埃だけが、誰もいない部屋で静かに踊っていた。

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