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6話 それぞれの失敗(後編)

(山を下りてくる気配が二つ……。菰野様と久居様でしょうか)

葵は、城からそう遠くない森の中で、木の上に潜み気配を窺っていた。

葵の指が木の葉を掠める音を、フリーの人間より大きくよく聞こえる耳が拾う。


キョロキョロとあたりを見回すフリーに、菰野が気付いた。

「どうかした?」

「うーん……何か音がした気が……」

(この辺まで来れば、動物もいるのかな……)

不安そうなその様子に、菰野が宥めるように告げる。

「もうこの辺でいいよ」

「う、うん……」

頷くフリーが、それでもまだ何か言いたげで、菰野は静かに次の言葉を待つ。

「……」

「……」

沈黙を破って、意を決したように、フリーがやや叫び気味に言った。

「あ、あのね菰野、握手しよう!!」

「え? うん……」

フリーの勢いにちょっと気圧された菰野が、それでもすぐに手を差し出した。

出された右手に、フリーは自分の右手を重ねて握る。

(わー……。フリーさんの手、柔らかいなー……)

菰野は、その手を傷付けることのないよう、そうっと優しく握り返した。

(菰野の手、あったかい……。ぽかぽかしてる……)

手を繋ぐ二人の頬に、それぞれ赤みが差す。

二人は恥ずかしさから、相手の顔ではなく握り合わされた手を見詰めながら、言葉を交わす。

「え……っと、じゃあ……行ってくるね」

「うん……」


((手……離したくないな……))



一方、木の上では、葵がフリーの声を聞き取っていた。

葛原皇の指示を胸中で繰り返す。

『菰野と親しくしている女がいれば、連れて来い』

葛原皇の仰っていた『女』とはこの子の事だと、葵は確信する。

しかし、この子を攫って、葛原皇はどうなさるおつもりなのか。

良いことであるとは思えなかったが、葵にはそういったことを考える権利はなかった。



「か、体に気をつけてね」

二人はようやく手を離したらしく、立ち去る菰野の背に、フリーが声をかけている。

「うん、ありがとう」

そんな何度目かの別れの言葉にも、菰野は振り返り、笑顔を添えて答えた。


(本当に……、無事に帰ってきてね……。ずっとずっと、待ってるから……)

遠ざかってゆく菰野の背中を、フリーはいつまでも見送っていた。

「……見えなくなっちゃった……」

木々の奥へ、完全にその姿が消えてしまうと、フリーはようやく振り返る。

「一年って長いよね……」

重い足取りで、一歩踏み出しつつも、フリーはその別れに涙を滲ませていた。

「これからもっと暑くなって、それから秋が来て……、寒い冬が終わったら、やっと春なんだよね……」

菰野に再び会えるまでの時間を思うフリーの元へ、葵は音もなく近付いた。

はずだった。


「何、この音……?」

フリーが聞き慣れない小さな音に振り返る。

その時には、葵はもうフリーの目の前まで迫っていた。


(人間!? こんな近くに!?)

「ーーい」

声をあげようとするフリーに、葵は強硬手段を取った。

「いやぁっ……!」

ほんの少しの悲鳴だけを残して、フリーは昏倒する。

葵はフリーの体を手早く縛ると、麻袋へと詰め込んだ。



リルが凄い勢いで山裾を振り返り、久居は異常を察する。

「どうしました!?」

「今の……フリーの……悲鳴……?」

真っ青な顔で呟くと、リルは駆け出した。

「フリーっ!!」

久居もすぐに、後を追って走り出す。

ここまでの自身の甘さを酷く悔いながら。

この少年の姉である、フリーが手遅れでない事を、切に祈りながら……。



一方で、菰野はようやく加野の墓前まで戻っていた。

少し離れたところに、まるで隠すようにして、馬が繋がれていることに気付く。

(こんな所に城の馬が? 久居か……?)

馬の顔を覗いてみるも、馬は菰野の知っている久居の馬ではなかった。

(城で何かあったんだろうか。この辺で俺を探してるとか?)

菰野が焦りとともに城へ向かって足を早める。


そんな菰野の耳に、馬を繰る者の掛け声が聞こえた。

振り返ろうとした菰野とすれ違うようにして、馬は菰野の背後を駆け抜ける。

馬の後ろ姿から分かったことは、乗っていたのが城の隠密だったらしいことと、何か大きな袋を抱えていたことくらいだった。

「城の隠密……? の割には行動が派手だが……。今、山から出てこなかったか?」

そこまで呟いてから、菰野は気付く。

(……山から!?)

途端、血の気が引いてゆく。


「菰野様!!」

そんな菰野を引き戻すように、久居が力強く叫んで茂みから飛び出す。

「久居!?」

驚く主人に、全力で走ってきたらしい従者は荒い息を整えながらも、必死に告げた。

「フ、フリーさんが……、攫われました……」

「……え……? 何……だって……?」

突然のことに、菰野は思わず聞き返したが、先ほど隠密の抱えていた大きな麻袋がハッと脳裏に浮かぶ。

(あの袋か!!)


「久居……フリーは……?」

ガサガサと茂みを割って、小さな少年が顔を出す。

「リル!!」

少年に、久居が慌てて駆け寄った。

「出てきてはいけません! この辺には人が……」

「で、でも……。フリーが……、フリーが……」

ぼろぼろと大粒の涙を零す少年の頭には、見た事もない黒っぽい何かが生えている。

耳も、フリーのものとは違ったが、やはり人とは似つかない形をしていた。

そんな少年を、久居が迷いなく胸元に抱き寄せるのを見て、菰野は内心驚いた。

「大丈夫です。フリーさんは私達が連れ戻します。ですから、リルは山の中で待っていてください」

久居は少年を抱き締めると、大事そうに撫でながら諭し、言い含める。

「久居、その子は……」

菰野の言葉に、久居はまだ泣いている少年を主人に示すと紹介した。

「フリーさんの双子の弟、リルです」

菰野は(双子にしては、随分小さいようだが……)と思いながらも、それを表に出すことなく、その少年の両肩を自身の両手で優しく支える。

リルは、突然触れてきた菰野へ、驚いたような顔を向けた。

「リル君、君のお姉さんを、その……巻き込んでしまってすまない」

自責の念からか、菰野のあたたかな栗色をした瞳が陰る。

「必ず無事に助け出すから、待っていてもらえるかい?」

菰野は真っ直ぐ、誓うように、真剣な目でリルを見つめた。

「う、うん……」

(この人……ボクと同じくらいの歳なんだよね……?)

リルは、目の前の少年の落ち着いた様子と、その強い意志に、思わず彼の年齢を疑ってしまう。

「ありがとう」

リルの返事に、菰野がふわりと花を散らして微笑んだ。

その顔は、確かに、同じくらいの歳の少年の笑顔に見えた。


「久居、行くぞ!」

「はいっ」

城へと駆け出す菰野に応えて久居も駆け出そうとしたが、ぼんやりしているリルを見て、足を止める。

リルは(コモノサマって何だかすごいなぁ……)とまだ惚けていた。

「リル!」

「な、何!?」

ハッと我に返ったリルの手に、久居は素早く自身の首に巻かれていた布を解くと、押し付ける。

「どうしても山に戻らないなら、せめてこれで頭を覆っていてください。この辺りは人がいますので」

「う、うん」

久居はそう伝えると、先へ走る主人の元へ急ぐ。

走りながらも、久居はチラと振り返り「出来る限り、山に入っていてくださいね!!」と、まだこちらを見送っている少年に伝えた。


菰野は、背後に従者が追いついた気配を感じると、足を緩めぬままに口を開く。

「久居……、お前、首元気をつけるんだぞ」

「はい」

久居は、主人の忠告に一瞬沈鬱な面持ちを浮かべ、支給服の僅かな襟をできる限り引き上げた。



リルは、久居に渡された長い布に顔を埋めていた。

(久居の首巻き、ふかふかだ……。けど、今、初夏だよね……?)

僅かな疑問は置いて、リルはもう一度二人の向かった城を……、姉が捕らえられているであろう城を、見上げる。

(フリー、無事でいて……)

まだこの時、祈る他に、リルに出来ることはなかった。


----------


そこは、城の敷地の端にある、以前太鼓櫓として使われていた小さな櫓だった。

葛原は自身が改造させた重い鉄製の扉を閉めると、内から打掛錠を下ろした。

重い金属のぶつかり合う音が、狭い櫓に響く。

床には大きな麻袋が一つ転がされている。

そばには葵が控えていた。

葛原は麻袋へと歩を進めながら確認する。

「これが菰野の女だな?」

「はい」

と答えて、葵が続ける。

「薬を嗅がせていますので、しばらくは目覚めないものと思われます」

「そうか」

葛原はその答えに、ほんの少しだけ満足げに目を細めた。

袋を開くと、見た事もないような明るい黄色が目に入る。

(ん?黄色い……これは、髪か……?)

見たことはなくとも、異国の人々は髪色が様々なのだと、葛原は知っていた。

まさか、菰野が隠れ逢っていたのは異国の女なのだろうか、と疑問に思いながらも、葛原は麻袋を完全に取り払う。

(こ、これは……!!)

想像をこえた異質なその姿に、葛原は目を見開いた。


葛原は息を呑むと、側に黙って控えている小柄な隠密を見る。

「……葵。お前、目は全く見えないのか?」

全く動じる様子もなく、葵は答えた。

「はい、城仕えの隠密は皆目を潰しておりますゆえ……」

「不相応なものを見ない事も仕事のうち……か」

「はい」

変わらぬ調子の答えに、葛原は口端を弛ませる。

「くだらん風習だと思っていたが……、意外と役に立つものだな」

その言葉に、ようやく葵が動揺する。

「お前が連れてきたものが何なのか教えてやろう」

葛原は、横たわる黄色の髪の少女を見下ろしながら、どこか楽しそうに告げた。

「こいつは紛れもない本物の妖精だよ」

葵の伏せたままの顔が、驚愕に歪む。


葛原は、自分と全く違った形をしたその耳に触れてみる。

それは思ったよりもずっと柔らかく、ひやりとして心地良かった。

「加野叔母様の話は、真実だったと言うことか……」

小さく呟かれた声には、どこか懐かしげな響きが混ざっていたが、それに気付く者はここには居ない。


「よ……、妖精というのは……その……死の呪いをもたらすと言う……」

葵の戸惑いと怯えの混じった声に、葛原は思わず嘲笑を漏らす。

「お前まで、その話を信じているとはな」

(え……?)

驚きに言葉を失っている葵を余所に、葛原はあの頃の菰野を思い出す。

今よりも柔らかくもちもちとした頬に、明るくあたたかい、父上と同じ栗色の髪と瞳。

人懐こい笑顔を振りまいて、私の後ろをどこまでもついてくる、可愛い可愛い義弟……。

(菰野はすっかり信じていたようだったが……)

葛原は、懐かしさと愛しさに弛んでしまった眼差しを引き締め直すと、床に横たわる菰野と同じ歳頃の少女をじっくりと眺める。


ふと、その大きく開いた服の背を隠すように挟まれた布に気が付いた。

気を失ったままの腕を掴み、ぐいと引くと、流れるような髪の合間から、隠されていた背が露わになる。

……翅を隠しているのか?

もしかして、この妖精は、正体を隠して菰野に会っていたのだろうか。

姿を偽って……?

耳はどう隠していたのか分からなかったが、よく見れば触角のような物も、同じく隠されているようだった。


葛原の胸が躍る。

菰野は騙されていたのだ。

あの、人の良い義弟は、この妖精に欺かれていた……。

それを知った時、菰野はどんな顔をするだろうか。


「目覚める前に、頑丈な鎖でしっかり繋いでおけ」

言われ、葵は慌てて答える。

「はい」

「くれぐれも目を離すなよ」

「はっ」


葛原は、サラサラと床に広がる長い金髪を指で掬う。

張りのある生き生きとした髪は、手の中で光を返し元気に跳ねた。


(この妖精がいれば、たとえ城内で菰野を片付けようと、十分話が通る……)


期待に、葛原は知らず笑みを浮かべていた。

敬愛する父の為、父に喜んでもらえるその日を待ち望むその顔は、普段の彼の険しい表情しか知らぬ者が見れば驚くほどの、純粋な笑顔だった。


(父上……、もうまもなくです……)

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