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6話 それぞれの失敗(前編)

静かな森の中を、手足まで黒尽くめの小柄な女性がふらつく足取りで進んでいた。

息も上がっているのか、小さな肩が絶えず上下している。

山を登り進むほどに、彼女の体調は悪化していた。

(いけない……。これ以上近付くと、山の気にあてられてしまう……)

葵は、繰り返される目眩にふらつく頭を押さえて、その先へと意識を集中させる。

この山を、自分よりも先に登って行った、自分よりも幼い二人の姿を思う。

(菰野様と久居様はご無事なのでしょうか……)

あからさまに尾行を警戒しつつ山の奥へと進んでいった菰野と、それを気付かれぬよう慎重に追っていた久居。

どう見ても挙動不審な二人ではあったが、その程度の不審では揺るがぬほどに、葵は二人が幼い頃からずっと、二人の日々を見守っていた。


そんな二人が、自分のように体調に異常をきたしているのではと、山の奥へ不安を残しながらも、葵は元来た道を戻ることにして振り返る。

登り始めた頃は何ともなかったはずだ。

どこまでなら体調に異変をきたさずいられるのか、その境界を見極めるべく、葵は慎重に下山する。

どうか、この体調不良を引き起こしている呪いが、死に至るようなものでないように。と祈りながら。

震える手足は呪いによるものなのか、それとも呪いへの恐怖からなのかは、自分にも分からなかった。


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「え……?」

リルは、自分の耳に届いた言葉を飲み込みきれず、聞き返す。

「……じゃあ、今日から一年も……、久居に会えないの……?」

自分の声が震えて聞こえて、リルは小さな手で口元を押さえた。

「……すみません……」

久居は、ただ静かに頭を下げる。

そんな仕草に、リルはじわりと罪悪感を感じた。

「う、ううん。お仕事だもん、仕方ないよね……」

風が木々を揺らす。

静かな森に、葉擦れの音だけが波紋のように広がった。

「でも……ちょっと」

リルが、久居から目を逸らす。

俯いた薄茶色の大きな瞳には、涙がじわりと滲んでいた。

「……淋しい……かな……」

溢れた言葉とともに、涙がポロポロと足元に降り注ぐ。

我慢しきれなかった涙を隠すように、リルは久居に背を向ける。

泣きつく事もなく、心配させまいと背を向けて、こしこしと小さな指で涙を拭う少年の様子に、久居は胸が痛んだ。

(リル……貴方にとって私はどのような存在なのですか……?)

少年の後頭部には、前に結ってやった髪が、同じように括られていた。

紐には、久居の譲った古いものがそのまま使っていて、それもまた、久居を苦しくさせた。

「フリーも、しばらくコモノサマとはお別れなんだね……」

背を向けたままのリルが、小さくぽつりと呟く。

「そうですね……」

同じく悲しい思いをしているだろう姉を思う少年の背に、久居は自分が何を見ているのか、自問する。

(では、私にとって、リルは……、どのような存在なのでしょうか……?)

けれど、その答えは、まだ久居には出せなかった。


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「じゃあそろそろ戻るね」

おもむろに立ち上がる菰野に、フリーは思わず手を伸ばす。

「あ……」

それに気付いて、菰野は柔らかい笑顔で尋ねた。

「うん、何?」

「えー……と」

思わず伸ばした手を、慌てて引っ込めながら、フリーは言葉を探す。

「き、気をつけて行ってきてね」

「うん」

「お土産、期待してていいのかな?」

「何か選んで帰ってくるね、楽しみにしてて」

フリーの直接的な要求にも、菰野は変わらぬ笑顔で答える。

「それじゃ、フリーさんも元気でね」

背を向けた菰野の服の裾を、フリーは思わず掴んでいた。

「うわっ!!」

一歩進むはずだった菰野が、姿勢を崩して転びかける。

「あ……、ごめん……」

フリーは謝りながら、その手を離した。


「ど、どうしたの?」

菰野がまだバクバクしている心臓を押さえつつも、極力変わらぬ表情で尋ねる。

「えー……、えーと……」

フリーは、自身の行動を説明できずに困惑していた。

(何だろう……。何か、菰野をこのまま行かせちゃいけない気がして……。

 けど、これって、ただ私が菰野と離れたくないだけなのかな……?)

困った顔で黙ってしまったフリーに、菰野が気遣わしげに尋ねる。

「……フリーさん?」

そんな声に、フリーは俯いていた顔を少しだけ上げると、どこか必死さのある潤んだ瞳で菰野を見つめて尋ねた。

「し、下まで一緒に行ってもいい?」

(もう少しだけなら平気だよね、結界……)

フリーの脳裏で母の姿がチラつく。

「う、うん。いいけど……」

菰野は、そんな彼女を可愛くと思いながらも、そんなに村から離れて大丈夫なのかと、心配せずにはいられなかった。


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「……あ」

久居の膝の上で甘えていたリルの瞳に、悲しみが宿る。

「どうしました?」

「コモノサマ帰っちゃうみたい……」

音を聞き取るために上げていた顔を、リルはもう一度久居に押し付けた。

「そうですか……。では私も戻りますね」

そう答えながらも、久居は優しくその小さな頭を撫でる。

「うん……早く帰ってきてね?」

縋るように囁かれて、久居は答えに詰まった。

(それはーー……)

久居は、もう彼らに会わない。いや、会わせないつもりでいた。

けれどそれを、どうしても、まだ、この少年に告げることができないでいる。

「あれ?」

思い詰める久居の耳に、リルの焦るような声。

「フリーも一緒に山を下りてきてる!?」

「え……」

「うわわ……。ど、どうしようこれ以上近付くとフリーにもボクの声聞こえちゃうよぅ」

あわあわと慌てる少年に、久居は声をかける。

「リル」

「ののの登れないけどぅぅぅ下りるのは怖いよぅぅぅ」

「リル」

ぐるぐると混乱している様子のリルには、久居の言葉が届いていないようだ。

「リル、こちらです」

久居は、小さな少年を片手で小脇に抱えると、そのまま移動を始めた。

登るでも下りるでもなく、山に対して水平に移動する久居に抱えられたまま、リルはぼんやり気付く。

(あ。そっかー。横に移動すればよかったんだ……)

(山を下りそびれてしまいました……。

 こうなってしまっては、菰野様が下りきった後を追うしかありませんね……)

この判断を彼が悔いるのは、そう後ではなかった。

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