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4話 揺れる炎(中編)

菰野と久居は城の中を駆けていた。

本来ならば走るべきではない場所だったが、今は一刻を争っている。


上がった息も流れる汗もそのままに、菰野がバタンと部屋に入ると、葛原が振り返った。

「菰野、静かに入って来い」

「……っ、すみま、せん……」

はぁはぁと荒い息の合間から、菰野が詫びる。

「来て、くれたか、菰野……」

葛原のすぐ隣から、弱々しく掠れた声がした。


「譲叔父様……」

菰野がその寝台の脇に膝を付く。


「菰野と……、二人で、話をさせてくれ……」

葛原はギリッと小さく歯を鳴らし「……はい、父上」と下がった。

葛原は苛立たしげに、そばに控えていた女官達を共に下がらせる。


「……菰野」

呼ばれて、菰野はもう一歩、譲原へと身を寄せる。

「はい……」

「最後の頼みを……聞いてくれるか?」


最後、という言葉に、菰野の胸は締め付けられる。

「私に……出来ることでしたら」

「そんな顔を、しないでくれ……」

譲原が差し出した手を、菰野は大切そうに支える。

「お前には、いつも……辛い思いばかり、させてしまうな……」

譲原はすっかり細くなった指で、菰野の頬を撫でる。

菰野はその手に頬を寄せると「そんなことはありません」と答えた。

ゆっくり目を閉じて、開く。

「父上、母上と共に過ごせて、私は幸せでした」

その言葉に、譲原はハッとなる。

「ーーお前……、知っていたのか……」

「はい」

とだけ、菰野は答えた。

「私を……恨んでいるだろうな」

「そのようなこと、決してありません!」

菰野は大きく首を振る。

頬を包む譲原の手を、菰野は両手でしっかりと握り締める。

「私を生かしてくださったこと、お傍に置いてくださったこと……。

 本当に……、感謝しています……」

堪えきれず、菰野の頬を涙が一筋伝う。

それは、幼い頃からずっと傍で見守り続けくれた、父への感謝の涙だった。


譲原は口元を弛める。

「そうか……」

譲原は、最後の頼みと称して、一度だけでも父と呼んでくれればと思っていた。

けれど、菰野の中で、自身はずっと父でいられたのだ。

それを知り、譲原の心は満たされてゆく。

よかった……、本当に……。

もう、思い残す事は何も無い。

(久居……、菰野を頼むぞ……)

部屋の壁際に控えていた久居が、ハッと顔を上げる。


菰野は、握り締めていた手から、ほんの僅かに重みが消えたことを感じ取る。

それは、魂の重みだった。


「ゆ……譲叔父様……?」


事態に気づいた葛原が、譲原の名を呼び縋る菰野を突き飛ばすようにして、場所を入れ替わる。

「父上! 父上っ!!」

譲原は、もう目を開けなかった。


「お前達! 何をぼさっとしている!!」

怒鳴られて、女官と医師が慌ただしく譲原を取り囲む。


その外側で、突き飛ばされて床に手をついていた菰野が、ゆっくり顔をあげる。

「お怪我はありませんか?」

そんな菰野を、久居が助け起こした。


二人は、人の輪から距離を取るようにして、部屋の壁際に控えた。

壁を背に立つ菰野の足元で、久居は静かに膝を付く。

「小柚は、まだ来てないんだな……」

菰野の呟きに、久居は「そのようですね」と同意する。

本丸ここまでは距離があるからな……」

「はい……」

寝台の脇では、今も葛原が必死で父を呼んでいた。

「父上っ!!」

(最後の最後まで……菰野だけなのですか!?

 何故私には何も仰ってくださらないのですか!?)

葛原の瞳から止めどなく涙が溢れる。

寝台で眠る父は、満足そうに満ち足りた表情を浮かべていた。

……それが葛原には、悲しくてたまらない。

自分がどれほど、彼にとって必要でないのかを、はっきり見せつけられているようだった。

「父上ーーーーっ!!」

葛原の慟哭が、広い寝室に響き渡る。


菰野は、その悲しげな声に胸をじわりと締め付けられた。

義兄は最初で最後の支えを失ってしまった。

もう、この世で彼を気にかける者は自分しかいないのではないか、と菰野は思う。

けれど、自身は、その兄に疎まれていた。


確かに距離を取られている。

けれど、まだ嫌われているわけではないと、菰野は内心思っていた。


葛原が菰野を見る目には、嫉みや悲しみこそ滲んでいたが、嫌悪の色が映る事は未だ無かった。


「父上……」

葛原の声が、徐々に小さく、涙に濡れて溢れ落ちる。

見れば、医者も女官も、譲原から一歩離れていた。


菰野は、譲原の言葉を思い返す。

『最後の頼みを……聞いてくれるか?』と父は言った。

何だって、聞くつもりでいた。

けれど、父はそれを告げることなく、逝ってしまった。


(……最後の頼みを、伺いそびれてしまったな……)


久居は、主人の靴を濡らした雫に気付く。

けれど気付かぬフリをして、視線を戻した。


菰野は、溢れる涙を、もう止められなかった。

せめて声を漏らさぬよう、歯を食いしばる。

自分が泣けば、きっと兄はそうと見せずに心を痛めるだろう。


孤独な兄を支えたい。

菰野はずっと、そう思い続けてきた。


……本当は、父に、兄を救ってほしかった。


けれど、もうそれは叶わない。永遠に……。


いつも優しかった譲原の笑顔だけが、胸に広がる。

自分は置いて行かれたのだと、心が理解する。


(父上……)


菰野は、母の元へ逝ってしまった父に縋るように、胸の内で呼んだ。


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すっかり夜中になった頃、リリーは帰宅した。

その横顔には、疲労の色が濃い。

「あ、お母さん、おかえり……」

家に入ると、すぐの廊下に、フリーが毛布に包まるようにして座り込んでいた。

「フリー? どうしたの、こんなところで……」

「ん……、お母さん待ってた……」

「ごめんなさい、遅くなって」

「ううん、私達のせいでしょ?」

フリーは、母を気遣った。

「リルは?」

「疲れたみたいで、ご飯食べたらすぐ寝ちゃった」

「そう……」

初めての力の発現に消耗したのだろう。とリリーが推測する。

「お母さん、リルね、あの時意識がなかったみたいなの……」

フリーは、母をまっすぐ見上げて続ける。

「何やっちゃったのか、まだ分かってないみたい……」

「それで、フリーがこんなところで待っててくれたのね」

リリーはフリーの隣に並んで座り込んだ。

「うん……。リルに本当の事を言った方がいいのか分からなくて……」

リリーは、フリーがリルの事を大切にしてくれている事を嬉しく思う。

けれど同時に、その為にフリーは少し無理をし過ぎているのでは、とも思う。


あ。とフリーは思い出したように尋ねた。

「あいつ、手の怪我は大丈夫だった?」

リリーは微笑んで答える。

「ええ、すぐ治療したみたいで、私が行った時には綺麗に治っていたわよ」

「よかったぁ……」

フリーがホッと胸を撫で下ろすのを見ながら、リリーは尋ねる。

「あなたの怪我はどうなの?」

「あ、うん平気平気。切れたの手の甲ばっかりだし、動かさなければほとんど痛くな……」

そんな娘の手を、リリーはつついてみた。

フリーはガバッと手を抱え込んで、声にならない悲鳴を飲み込む。

「痩せ我慢しないで、フリーも明日は病院に行きなさいね」

「だ、大丈夫だって。ちゃんとガラスの欠片も取り除いたし……」

ズキズキと痛む右手を体で庇いながら、フリーは左手でパタパタと遠慮する。

今日買ってもらったガラス玉も結構高かったのに、病院にかかれば、もっとお金がかかる。

そう思うフリーの心を見抜いてか、リリーは

「子どもがお金の心配なんてしないの」

と笑ってみせた。

案の定、フリーはギクリと肩を揺らす。

「ダメになっちゃったガラス玉も、また買いに行きましょうね」

リリーが微笑んで言うと、フリーもようやく明るい表情を見せた。

「う、うんっ!!」


金色の瞳から、ぽろっと涙が零れる。

「あれ?」

(わぁぁっ、安心したら涙腺が!!)

フリーが、恥ずかしさから慌てて母に背を向ける。


リリーは、そんなフリーの顔を見ないように背中側から肩を抱きよせる。

「リルを守ってくれたのね。ありがとう……」

感謝を込めて、リリーはフリーの頭を撫でた。

「う、うん、リルは私の弟だしねっ」

フリーが、照れ隠しからか、小さいしねっ。鈍臭いしねっ。と言葉を足していくのを、リリーは苦笑しながら聞く。


弟。と言う言葉に、リリーは先ほどまで顔を合わせていた、自身の弟の姿を思い浮かべる。

リリーと同じ淡い金髪を短く整え、両サイドの髪を後ろに撫でつけた清潔感のあるスタイルの、リリーの双子の弟。

彼は、まだ若くはあったが、今では立派にこの村を治める長だった。



リリーはあの後、リルが怪我をさせたという子とその友達の両親達に囲まれていた。

言われるのは至極もっともなことばかりで、リリーはただ、彼らの言い分に頭を下げる他なかった。


「皆さん、この一件は私に預けていただけませんか?」

そこに現れたのが、弟だった。

「まあ……村長がそう仰るのなら……」

と村人達は、まだ憤りを抱えつつも、渋々リリーを解放した。


感謝の言葉とともに「人徳があるのね」と声をかけると、弟は「まあ、それなりに」と返した。

「治癒術者の手配をしてきたら、こっちが遅くなっちゃったな。ごめん、姉さん」

そう苦笑する弟は昔のままのようにも見えたが、やはり彼は、立派な村の長となっていた。


「それで……、リルの事なんだけど」

こちらに背を向けて話し出す弟に、リリーは覚悟を決めながら相槌を打つ。

「ええ……」

「俺が庇ってやれるのも、もう……限界なんだ……」

弟は、苦しげに、絞り出すようにして告げる。

「リルを……村から出してもらえないか?」

彼もきっと、こんな事を言いたくはないのだろうと思うと、リリーには何も言い返せない。

言葉に詰まる姉へ、弟は慰めるように囁いた。

「すぐにとは言わない……が、前向きに考えてほしい」

リリーはしばらくの沈黙の後

「……分かったわ……」

と返事をした。



「お母さん」

フリーの声に、リリーはハッとする。

「……いつまで撫でてくれるの?」

フリーはまだ、あのまま大人しくリリーに頭を撫でられていた。

「フリーがハゲるまで?」

思わず誤魔化すと、フリーは慌てて後退り「ハゲてたまるかぁぁっ」と突っ込んだ。


リリーは思う。


フリーは、リルと離れられるのかしら……。

ずっと一緒だった二人を引き離した時、二人がどうなるのかが、リリーには未だ読みきれなかった。


リルは、あの人と二人で生活していけるのかしら……。

あの、のんびりのほほんとした子が、果たしてあの短気な人と二人きりで生活できるのか、これもリリーには僅かに不安だった。


ここに今、あの人が居てくれれば……。と。

今まで何度繰り返したかも分からない思いと共に、リリーは檜皮色の髪と目をした頼れる夫の名を、胸の内で呼ぶ。


(クザン……)


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