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第7話

左鷺玲を病院に連れてきて、どのくらい時間が経ったのだろう―――

幾つかの診療が終わり、人足が少なくなりつつある二階の待合椅子に私は腰掛けていた。

しかし、水怜唯一の医療機関であるこの病院。

そんな時間となっても、入院の見舞いにエスカレーターで上階へ向かう人は絶えない。

今思えば、そうだ。喫茶店で感じた視線―――

つけられていた可能性は否定できない。

もし、私があの時部屋に居れば、もし左鷺玲をつれて出かけていたら、と考えが浮かんではキリキリと私のどこかが締め付けられる。

息が苦しくなる。

彼女は無事なんだろうか。

やはり私に人を守る、救うなどという善の行いは出来ないのではないか。

一度根が腐ってしまえば何をやっても駄目だ。

私は人を殺すことを仕事とする者。それから目を離してはいけなかったのだ。

「おい」

とん、と。

肩が叩かれる。

「随分と待たせたな。悪い」

振り返れば、長髪の医者――――この病院の院長が立っていた。

信頼出来る奴―――左鷺玲に言った言葉を思い出す。

「こんな所で話すのもあれだろう。適当に開いてる部屋に案内してやる」

院長、長井瀬虎。

その長髪は後ろで束ねられ、背を向ける拍子ににさらりと流れた。

私より年上と言っても、総合病院の院長にしては若い年齢。

この男もまた、"闇"とやらに関わっている人物だと私は知っている。

裏の人間とも関わりがある、水怜の鍵ともなる人物。

そう、師匠は言っていた。

院内を先導する男は一つ瞬きをして、

「しかし、お前も弟子を作ったってことなのか? 驚いたが」

と、つぶやいた。

私は視線を落とした。

「…………いや、彼女は弟子じゃない」

いつかサイトーにも同じようなことを言われたなと、思い出す。

「じゃあ何故お前が一介の少女をここに連れてきた?」

そうだ。

私はそんなことはしない。人が一人怪我で倒れていたとしても、それが小さな赤子でも、助けようとはしない。

「彼女を、……助けたかったから」

少し言葉に詰まった私を、目の前の男は「は」と冷笑する。

「めずらしい」

「…………ああ、、、」

この男は、苦手だ。会話していると、何か思考を読まれているような心地悪さがある。

しかし、この男は私と似た思考を持っている。そのように感じるときもある。

「成程。お前、――――自分に非があると思い込んでいるんだろう」

「――――っ」

視線が揺れる。

やはり、見透かされている。

「図星か、だろうな。お前のその性格じゃ、そう思うに決まっている」

私は反論しようがなく、口を閉ざした。

「自分を責めて収束させようとしている。そうだろう?」

思い当たる節がありすぎた。気まずくなり、唇を噛む。

「だが」

男は私の方を振り返ることなく言葉を続けていく。

「それで事が進展するわけじゃない」

男が足を止めたのはこの階の端の部屋だった。

部屋の名称が書かれているはずのプレートは白紙。

男はポケットからカードキーを取り出し、部屋を開錠する。

「大事なのは"何をすべきだったか"じゃない。"これから何をすべきか"だ」

そうだろう?

と、そこで男は私の方を向いた。ぱちりと部屋の明かりが点く。

「お前は何をしたいんだ?」

明かりがついても尚、少し薄暗い室内は診察室のように見えた。

――――我等外れ者専用の診察室。

「座れ」

男は椅子を出し、私に有無を言わせず座らせる。

この構図。少し、私が患者であるかのような錯覚を起こす。

男も同じように、椅子に腰を下ろし先から手に持っていたファイルを広げた。

「色々検査をしていたら時間がかかった。まあ、それだけじゃないが」

ぽいと、中から紙の束を投げられる。

一番上の紙は血液検査のデータだろうか、びっしりと数値が出力されていた。

素人の私が見て、左鷺玲の状況が分かるわけがない。

男の説明を待つようにそちらに目を向けると、あろう事か男は部屋の隅から酒の大瓶を引っ張り出していた。

「それは」

「向こうで飲むと看護師が五月蝿いんだ」

それはそうだろう。

「ここに入れるのは俺くらいだからな、いくら飲んでも分かるわけがない」

それでいいのか。院長。

「お前も飲むか」

「遠慮します」

「だろうな」

男はそう言うと瓶の蓋を開けた。

「簡単に言えば、注射されていたのは睡眠薬のような物だ」

男は、たった今開けたばかりの酒瓶をそのまま口に付け、ごくごくと無表情で喉を潤す。

「――――難しく言えばどうなんですか」

そう切り返す。それを聞いた男は、私の方を面白そうに一瞥すると大瓶を机に置いた。

「その話が長くなるからここに呼んだわけだろ」

男は分厚いファイルの紙を捲りながら続ける。

「連中が睡眠薬だけ打ってはい終わりなわけがないと思って色々と調べた。

そうしたら面倒な物が出てきたわけだ」

男の腕が伸びてきたかと思うと、私に渡した紙の束から英字の混じった書類を引き抜く。

「****」

聞きなれない単語。

「外国の研究施設で開発された物らしい」

「それは――――」

と聞きかけた私を、男がまた冷笑で返す。

「急ぐな。ゆっくり順序立てて話してやる」

酒瓶が再び持ち上げられ、ごくごくと男の胃にアルコールが注がれる。

そして、っはーと一息つく男。

酒に強いのか、顔が赤らんでいる様子はない。

表情も変わらず淡白なままである。

「GPSの仕組みを知っているか?」

突然の話題の切り替え。

虚を突かれた私を置いて、男は説明を始める。

「GPSは人工衛星を利用した測位システム。軍事用に打ち上げられた衛星約30基のうち、3つ以上の衛星との距離から位置情報を求めている」

「……はあ」

「GPSがあれば位置情報、流通情報、プレゼンス情報――人がどこにいるかを把握することが出来るが、もちろんGPS以外でもそれを把握することは可能だ。その内の一つにRFIDというのがある」

「RFID……?」

どこかで聞いた事はあるが、今一ぴんとこない。

ぐっと、男は酒瓶を傾け、残っていた酒を胃へ流し込む。

「RFIDってのは、ID情報を埋め込んだRFタグから、電磁界や電波などを用いた近距離の無線通信によって情報をやりとりする技術のことだ。使われている例を挙げれば、肉のトレーサビリティや図書館の物品管理なんかか」

そう言われて、なんとなく想像できるようになる。

「GPSは衛星とやり取りをしているが、衛星は電波を飛ばしているだけで、肝心の位置情報はGPS機器が解析している。衛星が探しているわけではないってことだ。つまり、動力源確保のためにGPS機器の小型化には限度がある。が、RFタグには自ら電源を持たないパッシブタグが存在する。これはGPSとRFIDの電波の伝達方法が異なることによる。

まあ長くなるからこの説明は省こう」

この男は私にそんな豆知識を教えて何をしようというのか。

やけに饒舌な気がするが、これは酔っているからなのか、それとも元来なのか。

男の顔は至って真面目である。

「さて、電池を搭載するが故小型化に難があったGPS。一方で電源を必要としないパッシブタグ。そう、このパッシブタグは電源を必要としないために極限まで小さくできるわけだ」

「こんくらいにはな」

男は自分の髪の毛を一本つまむと、「は」と笑った。

ぞわり、と嫌な予感がした。

まさか。

「そう、――――少し勘付いたか?」

男は自分のファイルから一枚の紙を引き出した。

そこには白黒の写真が映っている。

それは―――――

「****、――――これは粉末状のRFタグ」

「そして、睡眠薬と共に注射された内訳だ」

衝撃が、走る。

粉末のRFタグ――――それが血液とともに左鷺玲の体内を巡っているというのか。

そして、何者かに彼女の居場所を教えているのか。

私は少し眩暈を感じた。

男が差し出したその紙を、私は受け取らざるを得なかった。

「お前、何かやばいもんにでも関わったか?」

彼女と私が共に行動している今、左鷺玲の行動を特定するということは私の居場所を特定するということに程近い。

私は先日の出来事を思い出す。

市長と杵築とのやり取り。

そして、――――カシワギという人物。

――――心当たりが有り過ぎた。

「そうかもしれない」

知らずのうちに踏み入れていた。

いや、この仕事に就いた時点で踏み入れていたのか。闇へと。

ただでは帰されない場所へ。

男は空の酒瓶を床へ転がした。

「どうするんだ」

男が問う。

――この状況、先方の狙いが私だとすれば

左鷺玲を匿う事は圧倒的に不利。

「守り続けるのか?」

彼女を。

狙われているのは彼女も同じだ。

「それとも他の輩に殺される前にお前が殺してやるのか?」

それが医者の言う言葉か、と。

「このまま行動を共にすればお前は仕事をしづらくなるぞ」

彼女は明らかに邪魔な存在。

自分を守るだけではない。

二人だ。

そのくせ相手が何人いるか分からないときた。

無理だ。

そんな戦いは。

「それでも――――」

手に力が入る。

私は手中の書類を握りつぶした。

「私は彼女を守りたい」

今までろくでもない人生だ。

どうせ死ぬなら誰かを守って死んでやる。

男は眉を動かさずに、

「そうか」

とつぶやいた。

「なら、気をつけろ」

意外な言葉だった。

私は男を見上げた。

「自分を責めすぎて前方不注意になるなよ」

男の目はどこか遠くを見つめていた。

もしかすると、この男も私と似たような状況にあったことがあるのかもしれない。

ふと、そう思った。

「お前だけの責任じゃない。あの少女にも責任がある。

――――お前に助けを求めちまった責任が」

もうそれは、運が悪かったとしか言いようがない。

男は椅子から立ち上がる。

「彼女が起きたら俺が説明しといてやる」

そうしたら呼びにきてやるよ、と。

男は部屋から出て行った。

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