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第4話

代えのズボンがあって良かった。

私と左鷺玲は、ささやかな荷物を片手に喫茶店に出向いたのだった。そして、もう一人。私が呼んだ相手――サイトーは、待ち合わせ通り8時ぴったりに姿を現した。

「お二人さんは食事だろ? 悪いけど俺は飲み物だけで一杯だわ……。昨日飲みすぎて、これから何か食ったら吐く気がする」

「ブローカー様は大変だな」

  サイトーは頭に手を当てうなだれた。

「……ブローカー? って何ですか?」

  私の言葉に、左鷺玲が首を傾げる。

「仲介人だよ、小娘ちゃん。俺は請負人を求めてるお客様と、仕事を求めて彷徨うハイエナの中間に入って金の取引をしてやってんのさ」

  サイトーは運ばれて来た水に口を付け、そう言った。すると、また左鷺玲は不思議そうに私の方を見た。

「? 高倉さんと斎藤さんは同期なんですよね?」

「ああ、そうだ。何てったって、こいつと俺は同じ日にこっちに足を踏み入れちまったんだからな」

「まったく、べらべらと言ってくれるなサイトー」

  サイトーは昨日相当飲んだらしく、頭に手を当て頭痛が酷いのか顔をしかめていた。

「タカクラだってブローカーになれる程の経験と地位は有るんだぜ」

  確かにそれはそうなのだった。

「だが、私は人付き合いが下手なものでね」

「ま、確かにタカクラがブローカーじゃ、取引が成立しなさそうだよな」

  私と左鷺玲はトーストと目玉焼きのモーニングを、サイトーはオレンジジュースを注文した。

「なんだ、今日はクリームソーダじゃないのか」

「阿呆。流石にあれは胃に来るっつーの」

  私が聞くと、サイトーは口を尖らせた。

  サイトーの基準は分からないが、私の経験から言うと、今日のサイトーの仕事は軽いのだろう。以前、酷い二日酔いだというのに死にそうになりながらクリームソーダを口に運んでいるサイトーを見た事がある。あの時のサイトーは中々大きな仕事を抱えていた。だから、きっと今日のサイトーは暇なのだろう。

「で、何の用よ。俺を呼んだのは」

  サイトーが私を見るのと一緒に、左鷺玲も興味有り気にこちらを覗き込む。

「そういや、昨日は派手にやったみてえだな。堂々とマスコミ共に報道されてんぞ」

  サイトーが鞄から新聞を取り出して寄越した。見出しには『杵築秘書殺害!? 杵築氏と女給に一体何が』とある。ご丁寧に現場の写真が掲載されていたが、我ながらえげつない写真である。きっと、今頃これを見た購買者から苦情が殺到していることだろう。逆によくこんな写真を紙面に載せる気になったものだ。

「まさか、タカクラに女の顔をぶっ飛ばす趣味があったとは驚きだ」

「全くもって誤解だ。この女が勝手に死んだんだ」

  と、私が弁解するとサイトーは面白そうに笑った。

「なんだそれ、タカクラなりの冗談なのか?」

「違う」

  私はイライラした。

「本気だぞ、私は。今日サイトーを呼んだ理由の一つでもある」

  そう言うと、サイトーは興味有り気に身を乗り出した。

「なんだよ、マジ話なのか」

「杵築を殺す所をその女に見られていたらしい。殺した後にメールの送信音がした」

「その女は、タカクラが杵築を殺したことを報告したってことか?」

「だと思う。それで女を捕まえて話を聞こうと近寄ったら、勝手に爆ぜて死んだんだ」

「そりゃ、愉快な話だ」

「冗談じゃない。頭から血を被ってスーツが駄目 になった。今日サイトーを呼んだ理由の二つ目はそれだ」

  私はシャツの袖に手をやった。これも代えの物だった。隣に座る左鷺玲は、私が血濡れで帰ってきたワケを知ってか時折頷いていた。

「はいはい、新品のスーツを届けておくようにしてもらうよ」

  サイトーは携帯を取り出した。私は間髪いれず問う。

「彼女の分も、頼めるか?」

  左鷺玲の分だった。

  私がそう尋ねると 、サイトーは面白い物を見るような目でこちらを見た。ほう、とサイトーは詠嘆にも似た溜息をつく。

「もしかして、弟子にでもするつもりか」

「そんなつもりはない。ただ、この制服で一緒に行動されると色々面倒だからな」

   私は左鷺玲をちらりと見る。そう、彼女が身に纏う紺色のセーラー服は、中々目立ってしまうのだ。

「分かった、分かった。手配しておく。ただし、サイズが大きくても文句は言うなよ?」

  そう言うと、サイトーは携帯を操作し、早くも依頼主に連絡を入れた様だった。そうこうしているとウェイターがやって来て、サイトーのオレンジジュースと私と左鷺玲のモーニングをテーブルに置いていった。サイトーがオレンジジュースを手元に引き寄せるのを見てから、私は口を開く。

「そうだ、さっきの話に戻るのだが」

  左鷺玲は、私とサイトーの会話に耳を傾けながら、水怜に来てから初めての食事に手をつけようとしていた。半熟の目玉焼きに醤油の瓶を傾ける。

「『カシワギ』という人物に心当たりないか?」

  サイトーはくるくるとストローでオレンジ色をかき混ぜてから、首を捻った。

「カシワギ――カシワギねぇ……」

  私は、湯気をくゆらせるトーストの焦げ目にバターをたっぷりと塗りつけた。固形だったバターの塊はバターナイフに押し付けられ、じわりじわりと溶けて行く。その溶けかけのバターをトーストの端まで引き延ばし、ムラがないようにバターナイフを数往復させる。――その動作が完了すれば、バターが適度に染み込んで丁度食べ頃になっているのだった。

「そいつは誰だ? こっちの人間か? それとも向こうの有名人なのか? それによるな」

  サイトーの言うことはもっともだった。

「先の女が自爆する前にメールを送った相手だ。カシワギと携帯には登録されていた」

「ふーん。そいつが、ねえ……。そのカシワギとやらの電話番号は分かるのか?」

「残念ながら。市長が壁一枚向こうにいたものでね、確認する暇はなかった」

  サイトーは眉間に皺を寄せて唸っていた。電話番号が分かっていれば、捜索のしようもあると言うのに。過去の自分を憎みたい所だが、そんなことをして一体何になるのだろうか。

  下らない思考を傍に除け、私はトーストに噛り付いた。香ばしい香りと口の中でじわりと溶け出すバターと小麦の味。美味しい。美味しかった。

「まあ……どうせこっちの人間だろうな……知り合いのブローカーにも聞いてみるけど、ここ最近の依頼主にはカシワギなんて奴はいなかったと思うぜ……?」

「偽名だろうとは思うけどな。それともう一つ、気になってることがある」

  持っていた醤油の瓶を置き、サイトーに目配せする。ここから先はもっと面倒な話なのだった。サイトーはそれに気づくとオレンジジュースをテーブルの中央に寄せた。

「――その、杵築を殺しに行った時、奴は市長と話をしていた」

  サイトーはゆっくりと目を瞑り、椅子に寄りかかった。サイトーは私の話に集中していたのだった。

「その話がどうも、規模の大きい『面倒事』の様でね――」

  からん、と。音を立てたのは水のグラスに浮かぶブロックの氷。

「――と、くりゃあ、俺達の稼ぎ時かぁ?」

  サイトーは閉じていた目を開くと、白い歯を見せてニヤリと笑った。

「ああ、多分な。重ねて今は不景気だ。もしかすると、私達の代で歴代年収記録を更新することになるのかもしれない。――だがね」

  はは、と喜んでいるサイトーに、続けて言う。

「騒動が大きくなれば、当然私達も――タダでは済まないのだろうよ」

  水怜が出来る時も一悶着あったと聞く。殺し屋同士の暗殺が相次ぎ、億単位で金が動いたと。ふと、私は師匠を思い出す。

『あのくらい金廻りが良きゃあ、不景気になんかならねーのにな――』

  そう言って虚しく笑っていた師匠は、同僚が次々に殺されて行くのを見届けてから少し後に、殺されたのだった。

「だから。気をつけろよ、サイトー」

  一区切り、着いて。私はふと左鷺玲に視線を向けた。彼女はモーニングを食べ終わり、少し眠そうに目を擦っていた。そりゃあ、新しい土地に来て見慣れない場所で寝たのだから、熟睡は出来ていないのだろう。食事も終わったことであるし、早めに新しいホテルに居を移したい所である。

「なんだよそれ。タカクラ、お前俺のこと心配してくれてんの? は、笑い物だなこりゃ」

  私は妙な物を感じた。サイトーの言葉にいつもと違う腱があったからである。そして、それは私に対してではなく、――店内でじっと身を潜めている輩に対してであることを理解する。

  サイトーは椅子に寄り掛かりながら、オレンジジュースを胃に流し込み周辺を睨みつけた。

「……俺にかな? いや、お前にかもしれないぞタカクラ。『お前に』用があるのかもしれない」

「とんだ物を引き連れて来てしまったらしいな、私は」

  周囲を見ようとすると、何が起きているのか把握出来ていない左鷺玲の心配そうな視線と交わった。そうか、と私は思い出す。彼女もまた、追われている身なのだ――

「いや、この面子なら、追っ手がつかない方が不思議なのかもしれないな」

  私はそう言うと、少しばかり笑った。冷笑だった。職業柄、こうしたことはよく起こり得ることだった。私はズボンのポケットにいつも通り小型ナイフが入っているのを確認すると、腕時計に目をやった。時計の針は九時を少し通り過ぎた所だった。私達がこの店に来てから、一時間が経過していた。

「そろそろ、会計を済ませるかな」

  私はふっと気を緩めた。向かいの壁には、船を漕ぐ男の絵がかかっていた。ずっと、前からあるものだった。おそらくそれは、開店当時からそこにかけられている。いつの間にか、絵は店に飾られた装飾品ではなく、店の一部となっていた。しかし、こうして食事を終えた後の気が抜ける一時だけ、絵の中の男は私に存在を訴える。オールを握った状態で、上半身をこちらに向けて。哀愁漂う表情で、じっとこちらを見つめるのだ。

「もう行くのか」

  サイトーが言った。

「ああ、知っての通り、仕事もあるしな」

「ふうん」

  サイトーは興味なさげに返事した。私の仕事は大抵サイトーから紹介されていると言うのに、当のサイトーはとぼけているのだ。

  席を立とうと椅子に手をかけた時、サイトーが言葉を投げた。

「コーヒーは飲まねーの?」

  私は暫し停止して、

「サイトー風に言えば、そうだな。今日はコーヒーを飲むと胃に来る気がしてな」

  にやり、と笑った。サイトーは頬杖をついて、煤汚れた壁を見つめていた。どうやら、お気に召さなかった様子だった。

「あっそ」

  返しは実に簡潔。それで充分だった。

  私は左鷺玲に仕草で合図し、席から立ち上がった。

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