翌日も、その翌日も、山縣は僕を置いていった。僕は次第に、それに慣れつつある。
「はぁ……」
溜息が出てしまう。山縣が僕を連れて行くのは、助手が絶対参加と探偵機構から指示があった場合だけだ。そして最近では、それもめったにない。
もうすぐ、夏休みも終わりだ。
八月に入り、外は蒸し暑い。劈くようなセミの鳴き声を聞きながら、窓を開けて僕は換気をした。その時、インターフォンの音がした。めったに来客なんてないし、鍵を持っている山縣は鳴らした事がないから、不思議に思ってモニターを見に行くと、そこには、笑顔の御堂さんの姿があった。驚いてエントランスに向かうと、御堂さんが僕に対して微笑した。日向の姿はない。
「こんにちは、朝倉くん」
「こ、こんにちは……?」
「遊びに来たんだけど、迷惑だったかな?」
「いえ……あ、どうぞ」
驚きつつも、僕は御堂さんをリビングへと促した。するとテーブルの上に、御堂さんがケーキの箱を置いた。
「よかったら、食べてくれ」
「ありがとうございます。すぐに珈琲を淹れますね」
「気を遣わないでくれていいんだけどね」
気さくな口調で、御堂さんがいう。僕は笑顔を返して、珈琲を二つ用意した。
そしてカップの片方を、御堂さんの前に置く。
「美味しい」
御堂さんの言葉に、僕の胸が温かくなった。山縣からは、決して出こない言葉だ。僕は、いつか山縣に、美味しいと言ってもらえたら、幸せだろうなと考える。
「――だけど、捜査に置いて行かれているというのは、本当なんだね。今日は山縣は、事件の捜査で呼ばれていたから、スクリーニングに来なかった」
「っ……はい」
隠してもしょうがないので、僕は苦笑しながら素直に頷いた。
すると真面目な顔をした御堂さんが、少し悲しげに僕に言った。
「辛いよな。俺はいつでも話なら聞けるからね」
御堂さんは、とても優しい。
僕が小さく頷くと、御堂さんも頷いた。
この日を境に、特に用もないのだが、御堂さんはちょくちょく遊びに来るようになった。正直僕も、置いて行かれて、一人で暇だったので、話をする内に、楽しくなってきた。御堂さんは、素直に僕を褒めてくれるし、冗談も好きらしい。山縣とは百八十度違う性格をしている。
……山縣と、違う。
僕はそればかり考えている。山縣に会いたいし、山縣と話したいし、山縣は今どうしているのかと、御堂さんと話をしている最中も、山縣の事ばかり考えていた。
大体御堂さんは、山縣が帰ってくる前に、家に帰る。
だから現在までに二人が顔を合わせた事はない。山縣は最近深夜に帰ってくる。僕は起きて待っている。するとたまに、戯れに山縣が僕を抱きしめるようになった。山縣の腕の中にいる時は、山縣の存在をじっくりと感じられるから、その内に僕は幸せだと感じるようになってきた。最近の僕は、変だ。どうしてこんなに山縣の事が頭から離れず、その体温が恋しくなるのだろう。よく分からない。
今日も、御堂さんが遊びに来ている。
僕はそれなのに、ぼんやりとしていた。
「――ねぇ、朝倉くん」
名を呼ばれて、僕は我に返った。顔を上げ、すると御堂さんが不意に僕の唇に唇で触れた。何が起きたのか、最初分からなかった。僕が硬直していると、ニコリと笑ってから、御堂さんが僕の事を、ソファの上に押し倒した。
「なっ」
「山縣とはできるのに、俺とは出来ない?」
「!」
僕が目を見開くと、ポツポツと御堂さんが僕のシャツのボタンを外し始めた。僕は抵抗しようと右手を持ち上げる。するとすぐに押さえられ、ソファの上に縫い付けられた。
「や、嫌だ、止めて。それに山縣はこんなことしない!」
「やだね」
「嫌だ! 止め、離して! 離せ!」
僕は声を上げる。御堂さんの体温も手の感触も、違和感しかなくて、気持ちが悪い。僕は震えながら涙ぐんだ。力ではとてもかなわない。
リビングの扉が音を立てて開け放たれたのは、その時だった。
涙が滲む目でそちらを見ると、虚を突かれたような顔をしている山縣の姿がある。
目が合うと、山縣は何か言おうとするように唇を震わせてから、冷たい顔に変わった。
「浮気ならよそでやれ」
言い放たれた言葉に、僕は硬直した。
「ああ、そもそも付き合ってなかったな。失言だ」
それから吐き捨てるように山縣が笑った。僕の体が冷たくなり、震えだした。気づくと僕は声こそ抑えたものの、ボロボロと泣いていた。御堂さんは怖いし、山縣は誤解をしているし、僕を助けてくれるものは、何もない。もう嫌だ。
「山縣。その言い方はないんじゃないのか?」
御堂さんが呆れたような声を出して、僕の上から退いた。慌てて起き上がり、僕は両腕で自分の体を抱きしめる。がくがくと震えが止まらない。
「それと俺には本命がいるから、本気じゃなかったよ。言い訳しておくとね」
「出ていけ」
山縣が冷淡な声でそう告げると、そのまま御堂さんが帰っていった。
僕はその間も、ずっと泣いていた。涙が止まらない。
すると山縣が僕へと歩み寄ってきた。そして手を伸ばし、僕の頭をポンポンと叩くように二度撫でた。その感触に、ついに僕の涙腺は倒壊した。山縣の温度と、優しい手つきに、急に安心して、僕は目を閉じる。すると涙が筋を作った。
「泣くな」
「っ」
「……なんで御堂がここにいるのかは知らないが、大方……あいつは俺をライバル視しているから、俺と朝倉の仲を誤解して、寝とるつもりだったんだろうな。あのな、朝倉。お前な、隙を見せるな。俺の助手になるというのは、今後もこういうことがあるということだ。俺はやっかまれてもいるし、恨まれてもいる」
「っ、っく」
「泣くな」
そういうと、山縣が僕を抱き寄せ、後頭部に手を回した。そして僕の髪を撫でてくれた。僕が泣き止むまでの間、山縣はずっと僕を抱きしめていた。