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第10話

「い……――おい! 起きろ!」

 厳しい怒声がして、僕は揺り起こされた。僕は朝が弱いから、思わずぼんやりとした。

「この煩いアラームをさっさと止めろ!」

「ん……」

「止めるからな!」

 激高しているのは、山縣だった。僕はそれを見て、飛び起きた。自分が昨日から、ここに住んでいるのだと、漸く思い出した。

「三十分も鳴りっぱなしで、よく起きないな? お前の聴覚はどうなっているんだ?」

「ご、ごめん……おはよう、山縣」

「……」

「朝食は食べた?」

「まだだ。だが、だからなんだ?」

「僕、作ろうか?」

「できもしない料理をするというよりも先に、さっさと顔を洗って着替えろ。これから捜査協力を依頼されているから、出るぞ。助手を連れてこなければ協力させないと言われてな。別にこちらだって好きで協力しているわけではないが、事件には興味がある」

 謎を解決したいというのは、探偵才能児が持つ根源的な欲求だ。

 それを思い出しつつも、僕は大きく頷いた。僕にとっては、初の事件だ。

 僕は慌てて身支度をし、リビングへと顔を出した。するとそこには、カフェで出てきそうなクロックムッシュが置いてあった。

「これ……」

「食べたくなければ、別にいい。だが、捜査中は、食べられない可能性が高いことを付け加えておく」

「い、いただきます!」

 この時食べたクロックムッシュは、信じられないくらい美味だった。

 またこの日知ったのだが、山縣は非常に規則正しい生活をしていて、どんなに遅く眠ろうとも、朝の四時には起きて、護身術の自主稽古や筋トレをしている。朝が非常に早い。山縣の辞書には、寝坊という単語は掲載されていない様子だ。

 山縣は、本当に何でもできた。一人で完結している。

 それでも僕は、山縣の助手だから、出来る事を探していきたい。

 そう願っていた。

 この日向かった、僕にとっての最初の事件の現場には、他に二名のSランク探偵の姿があった。片方は、Sランク探偵兼助手でもある。Sランク探偵の名前は、春日居孝嗣、その助手兼同じくSランク探偵なのが、十六夜紫苑だった。二人とも、二十四歳だと聞いた。僕から見ると大人だった。国内に五人いるSランク探偵の内、山縣を含めて三人がここにいる。残りの二名は、山縣の両親だ。

 連続猟奇殺人事件の捜査だった。

 到着してすぐに、山縣は嘆息してから、立っていた青波悠斗という警視を見た。

「犯人は、そこにいるだろ」

 僕は驚いた。資料すら見ていないのに、山縣がまっすぐに、一人の警察関係者を見据えたからだ。突然視線が集中したその鑑識の人物は、顔を歪めてから、真っ青になった。なにも言わずに、青波警視が捕らえる。

「事件は終わりだ。帰るぞ」

「……うん」

 出る幕なんて、どこにもなかった。

 ――とにかく、山縣は完璧だった。

「お前にとって、洗濯というのは、洗濯機に服と洗剤を放り込むだけなのか?」

 僕は口ごもる。掃除をすれば、呆れられた。

「朝倉。お前と俺では清潔の概念が違うらしいな。俺は埃一つでも気になるし、分別されていないペットボトルなど論外だ」

 言いながら、いずれも山縣は、僕の前で完璧にやり直した。だから僕は、言葉を失ってばかりだった。本当に僕には、出来ることが何もない。自分が不要だと、見せつけられる毎日だ。

「ね、ねぇ山縣……? せめて家事だけでも僕にやらせて?」

「できない人間になにをやらせろというんだ?」

「頑張るから」

「勝手にしろ」

 その内に、山縣は僕を捜査に伴わなくなった。気づくと山縣は家にいなくて、僕が目を覚ますと家が無人である事は、珍しくなくなった。

 この日も――僕はシチューを作り、テーブルの前に座っていた。

 既に午後の十時だが、山縣が帰ってくる気配はない。

「今日は、どこの捜査に行ったのかな……」

 助手であるのに、僕はそれすらも教えてもらえなかった。

 ――この日帰ってきた山縣の肩を見て、僕は濡れている事に気が付いた。

 本日は、雨だ。

「おかえり、山縣。どんな捜査だったの?」

 僕は体が冷えているだろうと考えて、珈琲を淹れた。ソファに座った山縣にそれを差し出すと、顔を背けられた。その視線を追いかけて、僕はチェストの上を見る。そこには、僕が買ってきた青い花が飾ってある。僕は花が好きだ。山縣が僕に対して文句を言わないのは、僕が花を飾る事と、僕の淹れる珈琲や紅茶に関してだけだ。

「別に。俺がどこに行こうと、勝手だろう」

「教えてくれてもいいだろ? 僕は助手なんだよ?」

「――今日は、捜査じゃなかった。話す事は何もねぇよ」

「へ? あ、ああ、ごめん。プライベートって事か……」

 山縣にも遊ぶ友達がいるんだなぁと漠然と思い、僕は少しだけ驚いた。それから改めて、山縣の肩を見る。この濡れ方は、考えてみると、相合傘をしていた時にはこうなりそうだ。

「もしかして、デート?」

「っ、なんで?」

 すると珍しく山縣が、驚いたような声を出した。僕へと視線を向けて、怪訝そうな顔をしている。

「うん? そうかなって思っただけ」

 僕は気をよくして、笑顔になった。すると山縣が、虚を突かれたような顔をしてから、腕を組んだ。

「変なところは鋭いんだな。もっとそれを別の場面でいかせないのか?」

「う……」

「で? 俺がデートをしてきたというんなら、なんだというんだ?」

「え? いや、別に……。山縣のカノジョがどんな人かは気になるけど」

「別に恋人じゃねぇよ。それに今日の相手は、男だった」

「――え?」

 山縣の言葉に驚いてから、僕は意味を理解し、一気に赤面した。僕はずっと助手としての自己研鑽……今となってはかなり不足していたようだが、とりあえず励んできたから、恋愛をした事がない。とはいえ多くの場合、男子は女子を好きになるものだと思っていた。

「ああ――そうだ。お前にも取柄が一つあるな」

「へ?」

「顔だけはいい」

「それって……?」

「恋人にならしてやってもいいぞ」

 呆気に取られて、僕は目を見開いたまま、硬直した。

 僕が呆然としていると、カップを置き、山縣が立ち上がった。そして僕の腕を引っ張る。僕はそのままソファの上に押し倒された。後頭部をクッションにぶつけた僕は、狼狽えながら、のしかかってきた山縣を見上げる。

「や、山縣……っ、冗談は……」

「俺は冗談は好きじゃない」

 そう言って山縣が、唇の端を持ち上げた。その黒い瞳が獰猛で、獲物を捕る前の猫のように見える。ゾクリとした。僕は体を震わせてから、慌てて山縣の体を押し返す。

「やだ、止めて……」

 山縣が僕の首元の服を開け、肌に吸い付いた。ツキンとその箇所が疼いたとき、いよいよ僕は恐怖から涙ぐんだ。

「やだ、っ……お願い、やめて……」

 思いのほか僕の声は小さくなり、そして震えていた。

 するとハッとしたように山縣が息を飲み、涙ぐんでいる僕を見下ろした。

 暫くの間、山縣はそのまま僕を見ていた。

 そして嘆息すると、顔を背ける。

「――萎えた」

 そう言って、山縣がソファから降りた。その後、僕は部屋に戻って考えた。探偵の性欲解消も、助手の務めなのだろうか? だとすれば、僕はまた失敗したということだ。

「……」

 僕はタブレット端末を手に取り、男同士のSEXの仕方を検索した。この日から、僕の新しい勉強が始まった。フェラやアナルセックスの知識を蓄えていく。練習は出来ないけれど、知識をとにかく詰め込んだ。そして必死に勉強してから、ある日リビングにいた山縣に声をかけた。

「や、山縣……あ、あの……」

「あ?」

「……そ、その。勉強してきたんだ」

「何を?」

「男同士の方法!」

 僕は我ながら真っ赤になって、そう告げた。すると息を飲んだ山縣が、呆気にとられたような顔をした。そして――僕から視線を逸らすと、吐き捨てるように言った。

「探偵のためなら体も差し出すって? 見損なった」

 グサリと、僕の心が抉られた。俯き、僕は思わず震えた。

「でも……他に出来ること、ないから……」

「……っ」

 僕が涙ぐみながら述べると、しばしの間山縣が沈黙した。

 それからポンポンと僕の頭の上を叩いた。

「俺は冗談は嫌いだが、たまには冗談も言う。笑って流してくれ。泣かれるほど滑ったつもりはなかった」

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