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第6話

 しかし梅雨時とは、嫌な季節だ。いいや、梅雨でなくとも、僕は雨が降ると、時折同じ夢を見る。連続性はないのだけれど、僕は同じ夜の街に立っている。誰かが先を歩いているのだけれど、その顔ははっきりしない。

 はっきりしているのは、僕の足元に、黒い仔猫の姿があるという部分だ。繰り返し、この夢を見る。僕は夢の中で、この仔を助けたい、と、強く想っている。なのに僕は知っている。その猫は、亡くなってしまう事を。それを、先を歩く誰かが、酷く悲しんだはずだという事を。その日は、小雨が降っている。そして、僕は大抵の場合、そこで飛び起きる。この夢には続きがあるはずで、何故亡くなるのかも夢で見ている気がするのだけれど、目を覚ますと曖昧になってしまい、僕はその部分を思い出す事ができない。

「また……見ちゃったなぁ」

 夢なんて漠然としたものであるし、日中残差の影響だって色濃いだろうから、特別この夢に意味はないのかもしれない。けれど飛び起きた場合、僕はいつもびっしりと汗をかいている。

 手を伸ばしてスマホを手繰り寄せれば、時刻はまだ午前四時だった。起床するには少し早いけれど、眠れそうにもなかったので、僕は軽くシャワーを浴びる事にした。

 温水が、僕の茶色い髪を濡らしていく。頭からシャワーのお湯をかぶっていると、汗とともに怯えや疲労も溶けだしていく気がした。入浴後は髪を乾かし、僕は少し早いが朝食の準備に取り掛かる事に決める。

「今日は洋食にしようかなぁ」

 洋食とはいっても、日本風にアレンジされた、家庭料理の一つだ。

 山縣は何故なのか、僕に家庭料理を求める事が多い。山縣の生育環境や家族構成すら僕は聞かせられていないから、漠然と、幼少時にあまり食べなかったなどの理由で、恋しいのだろうかと考えている。

 冷蔵庫を開けて、僕は赤いパプリカを取り出し、まずはサラダの用意をした。

 他にはズッキーニを焼き、ふわふわのスクランブルエッグを作る用意する。

 山縣が起床する頃に、最適な状態になるように、僕は心掛けている。

「あとは、少し作り置きをしようかな」

 そう呟いてから、僕は鶏ささみとキュウリの梅和えなどを作り始めた。そうしていると時間はあっという間に過ぎていき、山縣を起こす時刻が訪れた。そろそろまた、犯罪・事件マッチングアプリで、次の依頼を探さなければと思案しつつ、僕は毎日の通り、山縣の部屋へと向かい、ドアの前で一度天井を見上げた。

 僕は事件が起きてほしいわけではないし、山縣がいつか言っていた通り、身の危険を感じたいわけでもない。それでも――……。

「山縣の活躍が、僕は見たいなぁ」

 思わず独り言ちてから、僕はドアをそっと開けた。

 青波警視正が来てから、二週間が経過した。

 七月に入り、梅雨明けした。

 テレビの報道では、梅雨明けをお天気キャスターがにこやかに告げているほか、ここのところ、連日、連続放火事件のニュースがトップを飾っている。

 小学生の犯行ということもあり、実名は公表されていないが、映し出された家屋や状況から、僕にはすぐに先日の事件だと分かった。

 しかしメディアが山縣を囲む事はない。

 探偵の氏名は、探偵自身が、公開・非公開を選ぶ事ができる。山縣は、氏名を公表しなかった。

 別段有名人になってほしいというわけではないから、僕はその選択は別にいいと思っている。

 ただ、ちょっとだけ残念ではある。山縣の才能の片鱗を、初めて目にしたからだ。

「……」

 僕はテレビを消した。

 そして立ち上がり、キッチンへと向かう。昼食の用意をするためだ。

 山縣は二度寝すると述べて、朝食後に部屋へ行ったっきり出てこない。

 本日のメニューは、パエリアを予定している。

「山縣は、称賛を浴びるとか、目立ちたいとか、そういう欲求はないのかな」

 ぽつりと呟いてから、僕は料理をした。

 それが落ち着いたので、紅茶を淹れてリビングへと戻る。するとポストに何かが投函された音がしたから、僕はエントランスの方を見た。立ち上がって見に行くと、白い封筒が入っていた。

 宛名は山縣宛で、裏返すと赤紫のシーリングスタンプがあった。これは世界探偵機構の日本支部のものだ。

 目を見開いた僕は、慌てて山縣の部屋へと向かう。

「山縣!」

「うるせぇな、なんだよ?」

 二度寝すると話していた山縣だが、寝台に寝転んでスマホを弄っていた。

 きっとまた、ゲームだろう。

 山縣のスマホ代の九割は、ゲームへの課金代金だと、支払いをしている僕は知っている。実際にお金を出してくれているのは、僕の実家だが……。

 一応僕も、僕の名義の会社をいくつか貰っているので、そこの収入といえばそうなのだが、名前ばかりだ。

「探偵機構から手紙が着てる。すぐに開封して」

「……そんなのどうでもいいだろ」

「よくないよ。中身が気になる。僕があけてもいい?」

「好きにしろ」

 一応山縣から同意をもらったので、僕はその場で、手紙の端を切った。

 自室に戻ってペーパーナイフを手にする心的余裕がない。

 緊張しながら中身を見て、僕は思わず破顔した。

「やった……やったよ、山縣! 探偵ランキングが、一気にBになったよ! ポイントもすごい。ポイントの特典で、カニが届くって!」

「カニ? そんなもん、この前お前の実家からも届いただろ」

「でも、山縣の働きで食材が届くなんて始めてだ。僕、嬉しくて泣きそうだよ」

「……」

 僕が喜ぶ前で、山縣が半眼になった。

 しかし嬉しさが極まって、僕は満面の笑みを浮かべた。

 本気で感涙しそうである。

 そうしていると、封筒の中に、他にもなにか入っている事に気が付いた。

 それを手に取ってみる。

『ミステリーツアーのお知らせ。探偵スキルの向上を目的とした、陸の孤島の洋館で行われる推理合戦への招待状です。七月二十日、フェリーで出航します。チケットを同封しましたので、ご確認ください』

 と、書かれていた。そして、船のチケットが二枚入っていた。

「山縣、これ、こ、これ!」

「あ?」

「選ばれたBランク以上の探偵と助手だけが参加できるって噂の、ミステリーツアーのチケット!」

「怠ぃ。行かん」

「えっ」

 それを聞いて、僕は目を見開き、泣きそうになった。

 多くの探偵と助手は、一度でいいから行ってみたいと感じるだろう、夢のイベントだ。探偵機構が開催するミステリーツアーは、人々の憧れの的であるし、僕だって行ってみたい。

「……」

 しょんぼりしてしまったら、目が潤んできた。

「お、おい? そんなに行きてぇのか?」

「……うん。でも、山縣が嫌なら断るよ。探偵が参加しなきゃ、助手には権利がないからね……」

 思わず小声で述べてから、僕は俯いた。涙ぐんでいる姿を見られたくなかったというのが大きい。

「っ、あーもう。分かったよ、行けばいいんだろ?」

「!」

 すると急に、山縣が折れた。驚いて僕は顔を上げる。

 普段僕が何を言ってもこんな対応はない。

 山縣はやりたくないからといって、事件を解決しないように、家事もなにもかもしないのだから。

「でも行くだけだからな。推理なんかしない。ちょっとたまには旅行もいいかな、って思っただけで、別にお前のためでもないからな」

「あ、ありがとう! 参加するって返事をするね」

 嬉しさのあまり、僕の声は上ずった。

「……はぁ。本当、仕方ねぇな。ってか、腹減ったな。飯は?」

「準備はできてるよ」

 僕は今度は、満面の笑みを浮かべた。

 すると片目だけを細くした山縣が、小さく頷いた。

 本日の朝食は、西京焼きと用意しておいた作り置きから数品だったのだが、山縣はいつもよりは呆れたような顔をしつつ完食し、その間もちらちらと僕を見ていた。僕が行きたがっていた事に気づいていたのだろうと悟り、なんだか気恥ずかしくて、僕は知らんぷりをしたものである。

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