目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第5話

 翌日の午後、僕は小雨が降る中、黒い傘をさして歩道を進んで行った。そして目的地であるビルの二階、天草クリニックへと向かう。エレベーターを降りてクリニックの扉を開け、僕はよい匂いのする加湿器を一瞥した。観葉植物の緑が落ち着く。

 ここの医師の天草先生は、国内でも数少ない探偵機構認定医だ。主に探偵才能児の判定や、探偵と助手へのカウンセリング、探偵喪失感や助手不在時不安症、事件被害者の診察などを行う探偵関連スペクトラム科の専門医である。僕は日本に帰ってきてから、ずっとこちらへ通っている。留学前にも半年ほど、このクリニックに入院していた。ビルの三階から七階までは入院病棟だ。

 受付をしてから、待合室の白いソファに座り、僕はタブレットを見ていた。

 犯罪・事件マッチングアプリをタップしながら、何かいい事件がないかと探していた。

 事件を探すのは、まるで事件の発生を祈っているようで、僕はあまりいい気がしない。けれど、僕は山縣のために、日々依頼を探している。

 山縣は、現在周囲にもダメ探偵の烙印を押されている。

 僕はそれを払拭したい。

 実際にダメ探偵ではあるが、少しでも僕の力で前向きにさせたい。

 それも、探偵才能児だったというのならば、僕次第で山縣は、もっと探偵として活躍できるはずだ。探偵才能児は、特別なのだから。

「朝倉さん、どうぞ」

 その時、第一診察室が開いて、黒縁眼鏡の医師が、僕に声をかけた。顔を上げて、僕は天草先生を見る。年齢は三十代前半で、いつも白衣姿だ。

 慌てて診察室へと向かい、僕は扉が閉まるのと同時に、促されて椅子へと座った。

「最近はどう?」

 天草先生が、微笑しながら僕に聞いた。僕は苦笑を返す。

「全然ダメです。変わりありません」

 ちなみにこれは、山縣の事ではない。

 ――実は僕は、十六歳から十八歳直前までの、即ち高校二年生から三年生の後半までの記憶が欠落している。留学する直前に、ある日このクリニックの病室で我を取り戻した。僕は高校二年の十六歳のある日の記憶……前期末テストの結果を見ていた後から、病室で目を覚ますまでの間の記憶が、すっぽりと抜けている。記憶喪失だ。

「そう。焦る事はないよ。ゆっくり向き合っていこう」

 天草先生は頷くと、電子カルテに記入を始めた。

 僕は頷きつつも、やるせない気持ちになる。

 僕が記憶喪失になった理由は――世界探偵機構指定極秘事件Sに分類される、特殊な事件のせいらしい。その分類の事件は、実際の関係者……たとえば仮に被害者であっても、資料を閲覧する事は禁止されている。

 だから僕は、己がどんな事件でどんな目に遭って、なぜ記憶を喪失するに至ったのかを、知らない。

 世界には、犯罪が溢れている。

 だが、Sランクの事件は、決して多くはない。

 記憶にある僕の自分の生い立ちは、物心がついてからは、ほぼ助手としての勉強していた事ばかりだ。裕福な実家に生まれ、幼少時からピアノと語学を習っていた僕は、小学校の入学前の全国一斉検査で、助手としての適性が明らかになった。

 そこで両親の勧めもあり、小学校から、助手育成を専門としている名門校へと進学した。そして中等部からはより専門的な助手教育を受け、難関の進学試験に合格し、高等部へと進学した。

 学業成績も助手としての技能も、僕は首席だった。

 運動も得意な方だった。

 二期制で、単位制の梓馬学園においても、僕は一目おかれる存在だった。逆にそのせいで、気心がしれた友人はできなかったのだが、かといって仲間外れにされていたというような事もない。

 ただ助手を育成する学園だったから、運命の相手がより優秀である者は、自慢げにしていた事を覚えている。

 運命の探偵は、早い者ならば中等部の内には判明する。

 僕はその中にあって、探偵が見つからず、そういう意味では劣等感があったようにも思う。

 だからこそ、いつか自分だけの探偵が見つかった時には、存分に己の力を発揮し、役に立ちたいと思っていた。

 助手同士は、ある種のライバルだ。

 それは探偵同士も同じだろう。

 しかし僕は、事件に巻き込まれて記憶を失ったらしい。そして極秘事件であるため、周囲の助手教育を受けていた級友には、緘口令がしかれていたようで、僕がそれとなく尋ねても、決して口を開かない。

 僕の扱いは休学になっていたが、復学する気にはなれなかったし、周囲の勧めで留学する事にした。

 なお家族も事件については、決して僕には教えてくれなかった。

 だが留学先で僕は、新たな友人を得たし、記憶がない事から来る不安も次第に消失し、改めて自分だけの探偵のために、頑張ろうと決意できた。

『運命の探偵と引きあわせたいから、帰国してほしい』

 そんな知らせが届いた二十二歳の冬には、僕は歓喜した。

 だが、春になって引き合わせられた相手は、繰り返すが山縣である。

 今年、僕と山縣は、ともに二十三歳になるが、果たしてどちらかが誕生日を迎える前に、一つでも事件を解決できるのか、僕は疑問だ。

「じゃあ、また来月に」

 天草先生の言葉で我に返り、僕は頷いた。

 帰宅すると、エントランスに黒い革靴があった。来客だろうかと首を傾げながら、僕はその場合に備えて、静かにリビングへと向かった。するとまだ午後だが灯りがついていた。今日は雨だから、薄暗い。

「だから、頼んでるだろう。力を貸してほしいんだ」

「検討しておく。朝倉が帰ってきたみたいだから、そろそろ口を閉じろ」

 その声に、僕は邪魔をしてしまったようだと判断しつつも、リビングの扉を開けた。

 するとそこには、背広の上に緑色の外套を羽織っている青年が一人立っていた。

 切れ長の目をしていて、黒い短髪をしている。僕を見ると、その青年は満面の笑みを浮かべた。三十代半ばくらいに見える。

「お。こんにちは」

「こ、こんにちは」

 僕が会釈をすると、ソファに寝そべっていた山縣が、キッチンの方へと視線を向ける。

「朝倉、珈琲が飲みてぇ」

「あ、俺も飲みたいな」

「青波はとっとと帰れ」

 それを聞いて、僕は対面する席に座っている青年の前に、何も飲み物がないことに気が付いた。慌てて僕はキッチンへと向かい、珈琲を三つ用意して、リビングへと戻る。すると起き上がった山縣が、僕の座る場所を開けていた。

「お気遣いなく。でも、ありがとう。ごちそうになる」

「いえ……ええと……」

「――こいつは、青波悠斗。よろしくする必要はない」

 山縣の声に、僕は座りなおす。

「はじめまして。山縣の助手で、朝倉水城といいます」

「――はじめまして、か。そうだな。確かにそうなるんだろうな」

「え?」

「いいや、なんでもない。俺は青波。よろしくな。俺としては、よろしくしてほしい」

 笑顔の青波さんは、楽しそうな目をして僕を見た。

「朝倉くんからも、山縣に言ってくれないか? 事件を解決してほしい、って」

「事件、ですか? え? どういった?」

 驚いて僕が目を丸くすると、外套の胸ポケットから、青波さんが黒い手帳を取り出した。僕は思わず息を飲む。

「警察からの依頼だ。俺は特別指定事件担当の実績で、これでも警視正だ。若いだろ? 史上最年少だ。まだ三十代半ばなんだけどなぁ。ま、職務内容としては、探偵に依頼をもっていって、犯人を教えてもらって、証拠固めをするって係だ」

「それってAランク以上の事件担当の部署じゃ……?」

「その通り。探偵が真相を暴く、警察が証拠を固める。この流れにのっとり、俺は証拠を固める捜査会議のトップをしている事が多い。ただ、探偵に依頼する時は、所轄と同じように、自分の足を使ってる」

 明るい声で述べてから、青波警視正が改めて山縣を見た。

「と、いうわけで、山縣にも依頼にきたわけだ。いやぁ、居場所探しにこれほど手間取るとは思わなかったよ、俺は」

「考えてはおくが、マイナスの方向だ。とっとと帰ってくれ」

 冷ややかな山縣の声に、僕は二人を交互に見る。

「あの、どんな依頼なんですか?」

 僕が尋ねると、困ったように青波警視正が笑った。

「連続放火事件なんだ。手がかりが何もない。山縣なら、犯人を見つけてくれると思って、ここに来たんだよ」

「山縣なら……?」

「そ。山縣は、こういう手がかりがない事件も得意だからさ」

「え? そ、そうなんですか?」

「俺が知るかぎりは、そうだよ」

 笑顔の青波警視正の言葉に、僕は目を丸くする。

「青波、余計なことを言うな」

「俺、おしゃべりだから、山縣が引き受けてくれないと言うんなら、もっとペラペラと喋るぞ?」

「――分かった。もう一回資料を出せ」

「そうこないとな」

 僕が見ている前で、青波警視正が、鞄からいくつかの写真や分厚いファイル、捜査資料が入っているらしいタブレット端末を取り出した。

 僕は、山縣に捜査依頼をする警察官が存在する事にも驚いたが、山縣が事件を過去に解決した実績がある事にも驚いたし、犯人を見つけられるそうだという話にも唖然とした。

 山縣が、本当に……?

 山縣は捜査資料の分厚いファイルをパラパラとめくった。読んでいるようには見えない。仮に読めていたとすれば、速読だ。

 続いてそれをテーブルに放り投げてから、山縣はタブレットを手にした。助手には閲覧権限があるので、僕はファイルに手を伸ばす。

 その正面で、青波警視正はカップを持ち上げた。チラリとそちらを見て目が合うと、優しい顔で笑われた。明るく快活な印象を受けながら、僕はファイルを見る。

 連続放火事件の概要が書かれていた。一軒目のあとで、連続して二軒目と三軒目、そして最新の事件で七軒目らしい。共通点は、各家の子供が、全員同じ小学校に通っている事と書かれている。

 テーブルの上には、各被害者宅の全員の写真が並べられている。

「このガキだ」

 山縣はタブレットを置くと同時に、最初の被害者宅の三男である小学生の写真を、指先でコツコツと叩いた。

「ありがとう」

 両頬を持ち上げた青波警視正は、それから資料をしまい始めた。

 何故、とも、理由は、とも、根拠は、とも、尋ねない。

 本来優れた探偵才能児とは、そういう扱いを受ける存在だ。見れば犯人が分かるし、事件の全容も即座に把握できる。そこに間違いはない。

 よって証拠固めや警察の仕事となるのだが……優れたと評されるような探偵才能児は少数であるから、多くの場合は、理由を問われる。

 しかし青波警視正がそうする事はなく、当然のように鞄に全てをしまい、彼は立ち上がった。

「助かったよ。じゃあな、二人とも。珈琲、ごちそうさま」

 朗らかにそういうと、青波警視正は帰っていった。

 僕はポカンとしていた。

「朝倉」

「な、なに? え? 山縣……君って、本当に探偵才能児だったとして、え? レベルは?」

 探偵才能児には、レベルがある。探偵ランキングにも探偵ポイントにも左右されない、生まれながらの資質だ。助手レベルと似たくくりである。

「どうでもいいだろ。それより腹が減った。今日の夕飯はなんだ?」

「すき焼きの予定だけど……」

「おお、いいな。早く食べたい、作ってくれ」

「うん? 待って、状況を説明して。青波警視正とは元々知り合いだったの?」

「ちょっとな」

「ちょっとって何? 詳しく話して」

「やだね。それより腹が減ったって言ってんだろ」

「……山縣。ねぇ、お願いだから教えてよ。僕は君の助手なんだよ?」

「俺の中では、話す事よりも、すき焼きの方が優先順位が明確に高い。早くしろ」

 結局山縣は僕には教えてくれなかった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?