なお、Sランクに到達した事のある探偵は、過去に五人ほどしかいないそうで、犯罪者に狙われる可能性があるからと、氏名は公表されていない。まぁ探偵の場合はランキングが下降するので、今はSランクではない可能性もある。
逆にEランクの探偵は、珍しいとすらいえる。
探偵ランキング最下位、ポイント最低者として、山縣は非常に有名だ。
そんな方向性で名を売らなくてもいいと僕は思う。
だが山縣本人には、向上心ややる気というものが欠落している。
それでも山縣だけが、僕の運命の探偵であるから、僕はそばにいるしかない。
それが、世界探偵機構の取り決めた規則だ。
たまに他の探偵と助手に会うと、僕は憐れみを含んだ目で見られる事が多い。
「はぁ……」
これでまだ、山縣が性格的にいい人であったならば、僕も我慢できる。だがそろそろ限界だ。山縣はゲームで遊んでばかりで、たまに僕を見ると、我がままをいうのみだ。
「朝倉ー!」
山縣が浴室から僕の名前を呼んだ。
「バスタオルが無ぇんだけどー! 下着も出しといてくれ」
それくらい自分で用意しろよと思いつつ、僕はひきつった笑みでそれらが入っているクローゼットへと向かった。
僕は笑顔だが、キレそうである。
だというのに、言われたままに僕は準備をしてしまう。
なんとなく、山縣の世話をしてしまう。
これが、運命の絆という事なのだろうか?
そんな探偵と助手の絆、僕はいらなかったと心底思う。
洗面所兼脱衣所にある洗濯機の上に言われたものを置いてから、僕は横長のソファへと戻った。そして再びマッチングアプリを眺める。
「山縣に出来そうなものは……そうだなぁ、猫探しかな。他にないなぁ」
ぶつぶつと呟いていると、山縣が戻ってきて、僕の隣に座った。僕は半眼でそちらを見ながら、少し横に移動して距離をあける。すると指の長い骨ばった手で、不意に山縣が僕の頭の上をポンポンと二度叩いた。
「鬱陶しいな、やめろよ!」
「ん」
山縣はなにかと僕の頭を撫でる。
「俺はお前がいないとダメなんだよ。帰ってきてよかった」
「それはそうだろうね。僕がいなかったら、家もなくなるからね」
「そういう意味じゃねぇよ。とにかく、いないとダメなんだよ」
山縣は僕をまじまじと見ると、真面目くさった顔でそう述べた。
僕は運命を感じられないが、どうやら山縣は、僕を運命の助手だと考えているようだ。
そこだけは、僕も悪い気はしない。
他者に求められるというのは、誰だってそこそこ嬉しいと感じるんじゃないだろうか。
「じゃ、この依頼……猫探し。僕はそこに行きたいから、いないとダメならついてきてくれるよね?」
「猫? GPS、ついてねぇの? 首輪とかに」
「依頼文には、書いてないけど? 明日とにかく、事情を聴きに行こう」
「……怠ぃな」
「山縣! 今月もまたゼロポイントになっちゃうだろ? お願いだから……!」
「別にポイントなんかなくても俺は気にならん」
「僕が気になるんだよ!」
僕は常日頃穏やかな物腰だといわれるのだ、山縣が相手だと思わず声を上げてしまう。山縣は僕を苛立たせる才能の方が、探偵としての才能より明らかに優れている。
「分かったよ。だから笑顔でキレんなって……」
「怒りもするさ」
「機嫌直せよ」
「……はぁ。僕、そろそろ寝るね」
「おやすみ」
こうしてこの日は、それぞれ就寝した。
翌朝、僕は六時に起きて、朝食の用意にとりかかった。
本日のメニューとして考えている品は、厚焼き玉子、ほうれん草の胡麻和え、油揚げとねぎの味噌汁、焼き鮭、そして白米だ。僕の実家にはシェフがいるから、料理を作るのも久しぶりだ。だからというわけではないが、山縣の好物ばかりを無意識に作る事に決めた僕は、我ながら山縣に甘いなぁと感じてしまう。
白米は炊飯器でたく場合と、土鍋でたく場合がある。朝は、炊飯器で予約をする事が僕は多い。ただ山縣は、土鍋の方が好きらしいと分かっていたので、今朝は土鍋だ。焼き鮭はフライパンにクッキングシートをしいて焼き上げてから、飾りと香りづけのために、大葉の上にのせる。油揚げとねぎの味噌汁の匂いがキッチンに漂う頃、僕は厚焼き玉子の準備をした。僕も山縣も、少し甘めの玉子が好きだ。食の好みの一致は、共に暮らす上では重要だと思う。ざるでこした卵液を、専用のフライパンで整形していき、僕は熱がとれてから、均等に切った。輝くような黄色は、それだけで食欲をそそる。ほうれん草の胡麻和えに関しては、昨夜の内に朝を見越して作り置きしておいた品だ。不在時以外は、僕は多くの場合、週末にいくつかの品を作り置きしている。
それらを僕はテーブルに並べていった。うん、我ながら上出来だ。
次の仕事は、山縣を叩き起こす事だ。山縣はどんなに轟音がする目覚まし時計をかけても、アラームをかけても、僕が起こさないと起きない。聴覚に困難があるのか疑うほどだが、日常会話はできるのだから、単純に寝穢いだけだろう。
一応ノックをしてから、山縣の部屋の扉を開ける。
山縣の部屋には、巨大なセミダブルのベッドしかない。だからこの部屋のみ、山縣がいても綺麗だ。余計なものを置かなければ、山縣も汚さないのである。
「山縣、朝だよ。起きて」
「……」
「山縣!」
端正な顔立ちの寝顔を見る。瞼はピクリとも動かない。山縣は、思いのほか長い睫毛を揺らす事もせず、ただ寝息はたてずに眠っている。
「山縣!」
「……」
「朝だって言ってるだろ!」
「……うるせぇな」
「!」
僕の腕を取ると、山縣がベッドに引きづりこんだ。護身術を極めているらしく、抱きこまれた僕は必死に押し返そうとしたが、全然体が動かなくなってしまった。
「山縣!」
思わず僕は、目を閉じたままの山縣を睨んだ。週に一度は、僕はベッドに引きずり込まれている。
「起きろ!」
「あ? ああ……なんだよ、朝倉?」
やっと起きた山縣が、僕を放して、僕の両側に腕をつき、体を浮かせた。押し倒される形で、僕は山縣を見上げた。山縣は僕を睨むように見て怪訝そうにしている。その顔を見据えてから、僕は素早く腕から抜け出して床に降りる。
「だから朝だって言ってるよね? ご飯が出来てるよ!」
「おう……おはよ」
「おはよう! さっさと着替えて! 今日は猫探しだからね!」
僕は強い口調でそう告げてから、リビングへと戻った。
着替えてから、山縣が顔を出す。
欠伸をしている姿を、僕は半眼で見守る。
だがすぐに、山縣はローテーブルの上を見て目を丸くし、それから嬉しそうな顔をした。
「美味そう」
「見た目もいいけど、味もいいと思うよ」
「思う……か。俺が代わりに断言する。美味いよ、朝倉の料理は」
「な、なんだよ。改まって……いいから、食べて。仕事があるんだからね!」
僕はそう告げ手を合わせた。
山縣も席に着くと、箸を手にして食べ始める。
美味しそうに食べてくれる穏やかな瞳の山縣を見ていると、結局は嬉しいし、仕方がないなぁという心地にさせられる。ただそれは、決して悪い気分ではなかった。