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第2話

 僕は自分だけの探偵、運命の相手を一瞥し、深く溜息をついた。

「山縣……っ、あれほど、あれほど僕は、食べ終わったらせめてお皿は、キッチンへと運ぶように言ったよね?」

 散乱しているゴミを見て、僕は泣きたくなった。

 体が震えてくる。

 リビングの黒い横長のソファに、よれよれの白いシャツと緩んだ黒いネクタイ姿で寝っ転がっている山縣正臣は、僕と同じ二十三歳。

 僕の運命の相手――即ち、探偵である。

 常々思う。よく国家資格をもらえたな、と。

「うるせぇな。今、ガチャに忙しいんだよ」

 山縣はスマートフォンを片手に、アプリのゲームをしている。

 僕はこの三日ほど、実家の法事で帰省していたのだが、事務所の上階にある居住スペースに戻ってきて、眩暈がしそうになった。

 黒いローテーブルの上には、肉まんのゴミがのった皿が放置され、ペットボトルのキャップや空になったペットボトルが散乱し、食べかけのピザと箱があって、そのチーズなど干からびている。

 床には雑誌や発泡酒の空き缶が投げ捨ててあって、僕から見るとその部屋は、最早人間の過ごす場所には思えなかった。

 ――探偵に生活能力がないことは、とても多い。

 そのため一流の助手は、掃除や料理をはじめとした家事技能も学ぶ。そして探偵がきちんと社会に適応できるように、少しずつやり方を教えたりする。

 僕だって、家庭料理から一流のフレンチまで料理ができるし、洗濯や掃除も極めている。

 だが、だからといって、最低限の暮らしぶりを、探偵に求める事は間違っていないし、世間一般の探偵だって、ここまで破綻した生活は送っていない。

 溜息をついてから、僕は虚ろな眼差しで、ゴミ袋を手にし、その場の掃除を始めた。

 端的に言って、山縣はダメ人間だ。

 かつ、ダメ探偵だ。

 助手ランクとは異なり、探偵ランキングは毎年四月に更新されるのだが、前回の判定はランクEであり、それはほぼ一般人という評価だった。

 また、ランキングを集計するポイントはその年に事件を解決した数や、事件の難易度により与えられるのだが、現在そのポイントは2である。一度だけ、迷い犬の発見をした結果得たポイントだが、それだって山縣にとってはいつもは失敗してばかりの依頼だった。

 どうしてエリート中のエリートの僕の相手が、山縣のようなダメ探偵なんだろうか?

 僕はやりきれない。

 これまで頑張ってきたのに、山縣が相手では、部屋の掃除にしか僕の技能はいかせない。泣きたくなるというのはこの事だ。

 僕が実家の支援を受けて事務所と居住スペースを、マンションを一棟借りて用意したら、山縣はアルバイトもやめて、最低限の収入さえ得なくなってしまった。

 それまで……僕と一緒に暮らす前は、アパートの家賃と水道光熱費やスマホ代は、コンビニのアルバイトをして稼いでいたらしいのだが、今ではそれすらない。

 完全に僕に寄生している無職だ。

 探偵の仕事もしないのだから、無職というしかない。

 山縣を一瞥すれば、シャワーは浴びていた様子で、黒い髪は艶やかだ。目の色も同色の黒で、髭も幸いそっていた様子だから、そこは安心した。部屋は汚いが、せめてもの救いは、山縣がシャワー好きという部分だろう。

 少々釣り目だが、形のいい大きな目をしている山縣は、鼻筋も通っていて、薄い唇も形が良い。顔面だけは、男前だし、食生活は破綻しているが、それなりに背丈があり、筋トレも好きらしく細マッチョだ。

 僕は山縣よりは背が低いが、世間一般と比較すれば決して低くはない。平均よりは少し大きい。だが筋力はあまりない。髪と目の色は生まれつき茶色で、これは朝倉家に多い色彩だ。耳につけているピアスは、いつ買ったのか覚えていないが、なんとなくこれがないと落ち着かない。

「朝倉、腹減った」

「……何が食べたいの?」

 幸い掃除が一段落していたので、僕は尋ねた。するとスマホをテーブルの上に置いてから、ソファに座りなおした山縣が、まじまじと僕を見る。

「肉じゃが」

「今から……?」

 現在は午後三時を少しまわったところで、三日前には材料もあったが、肉じゃがを作るには時間がかかる。

「僕、急いで帰ってきたから、疲れてるんだけど」

「食べたい」

「……分かったよ」

 僕としては宅配サービスを利用したかったが、おずおずと立ち上がる。何故なのか、山縣は僕に家庭料理を作らせる事が非常に多い。その後僕は、黒いエプロンを身に着けて、肉じゃがを作る事にした。

 アイランドキッチンの向こうへ行き、僕は黒いギャルソンエプロンを腰もとに身に着ける。僕の実家の地方では、肉は豚肉を用いるのだが、牛肉も決して嫌いではない。いつもこの部分は、冷蔵庫の食材と相談している。その結果、本日は豚肉に決まった。

 じゃがいもとたまねぎ、およびニンジンは、いつも常備するようにしている。それぞれ皮をむいて包丁で適切なサイズに切っていき、まずじゃがいもは水にさらした。味がしみ込むに越したことはないが、煮崩れを阻止するためだ。その後白滝の処理をした。

 油を少しひいた鍋で、僕は特にじゃがいもの加減に気を配りながら、食材を軽く炒める。

 そして鉄板といえる、砂糖・みりん・醤油、それからだし汁を、事前に混ぜておいたので、ゆっくりと鍋に加えた。火加減と煮込む時間に気を配りつつ、それから豚肉を入れて、淡々とアクを取り除く。いよいよ白滝を入れてから、味を確かめ、火を止め蓋をした。冷ます事で味が馴染むのを待つ。

 腹が減ったという割には、それなりに時間を要するこの工程を、大人しく山縣はリビングから時折こちららを見ながら、大人しく待っていた。

 僕は皿に盛りつけ、最後に彩りを考えて、絹さやをのせる。

 こうして完成した肉じゃがを見れば、じゃがいもには調味料の色がしみ込んでいて、具材は全て柔らかそうに見えた。僕の作るこの家庭的な肉じゃがは、僕自身はとても味が気に入っているが、何故山縣が好むのかはあまりよく分からない。

 なお山縣には好き嫌いはみえず、僕の用意したものならばなんでも食すのだが、肉じゃがとハンバーグは中でもリクエストが多い。ただ他にも、僕は見ていて、山縣が好む料理をいくつもすでに覚えた。

「出来たよ」

「ん」

 僕の声に、山縣が頷いた。僕は完成した肉じゃがと、土鍋を用いて炊いたばかりの白米、他には切り干し大根を簡単に用意して、リビングへと運んだ。食事は、黒いローテーブルの上でとる事が多い。

 山縣は、僕がそろえた皿や箸、グラス類に文句をいう事も無かったので、現在は僕とそろいの品を用いている。あまり物品には、こだわりがないのかもしれない。

 少し早いが、僕も急いで戻ってきたため、昼を抜いていたから、一緒に食事とした。

「いただきます」

「いただきます」

 僕達の声が重なった。その後手を合わせ、箸を手に、僕はまず、豚肉を口へと運ぶ。じゅわりとしみ込んでいた煮づゆが、口腔に香りとともに広がる。我ながら上出来だ。

「美味しい?」

「おう。朝倉の肉じゃがは、最強だよ。美味い」

 僕はその言葉に満足した。山縣はいつも、料理や掃除、洗濯をはじめとした僕の家事能力については、惜しみなく褒めてくれる。

 ……そんな時は、嬉しくもあり悲しくもある。

 僕でなく、ハウスキーパーの方を雇おうかと、何度か考えた事すらある。

 だが、探偵福祉士として、これは助手である僕の仕事だと思いなおした。

 こうして食後僕は、山縣がシャワーを浴びに行ったので、お皿を食器洗い機に入れてから、洗濯機をまわし、絨毯には掃除機をかけた。一棟まるまる我が家なので、生活音を気にしなくてよいのが救いだ。

 一階が駐車場、二階が探偵事務所、三階が事件資料庫、吹き抜けにして螺旋階段で繋いでいる四階から六階までが居住スペース、七階が書庫だ。八階は屋上で、一応ヘリコプターが発着できる。僕の生家の持ち家の一つだった。都心に近いこのマンションは、交通の便もよく、近隣のショッピングモールにも近い。

 一仕事終えてから、僕は珈琲を淹れて、ソファに座りなおした。

 正面のチェストの上には、僕が買ってきた花がいけられている。

 僕は花が好きだ。

 そしてタブレットを起動し、『事件・犯罪マッチングアプリ』を開く。そこには、様々な依頼が並んでいる。警察機関からの依頼も多いし、一般市民からの迷子犬捜索の依頼も数多い。依頼にも難易度別のランキングが存在している。

 僕は何気なくテレビをつけた。探偵は人気職なので、たびたびメディアに登場する。

 今も丁度、難易度の高い殺人事件を解決したとして、不動のAランク探偵である御堂皐月とその助手の高良日向が、報道陣に囲まれている光景が流れ出した。僕は、ぼんやりとその映像を眺めていた。

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