結局、翌日も俺は泰雅の家にいた。
泰雅に借りた服は少しだけ大きかった。
降りしきる雪の中で、車から降りてくる人物を、俺はフード付きの上着を羽織って待っていた。黒塗りの車が、まるで時島の車みたいだなんて思って――ああ、俺はまだ忘れる事が出来無いでいるのかと、一人苦笑した。その時だった。
「左鳥」
降りてきたのは――時島だった。
初めは願望が見せた幻覚かと思い、俺は数歩、後退った。
「左鳥」
しかし静かに名を呼ばれ、改めて顔を向け、俺は息を呑むしか出来無かった。
そこには確かに、時島が立っていたのだ。
鋭すぎる視線を見た時、脳裏を蛇が過ぎった気がした。
「馬鹿。怖がらせてどうするんだよ」
緊張感が途切れたのは、そんな時島の頭を、車から降りてきた紫野が、後ろから小突いた時である。
俺は思わず吹き出すように笑ってから、二人をまじまじと見た。
「久しぶり。元気にしてたか?」
俺がそう言うと、改めて二人がこちらを向いた。もう怖いとは思わなかった。そもそも何が怖かったのかといえば、決して時島の眼差しではない。己が――幻覚を見ているのでは無いかというその一点だけだ。
「俺の台詞だ」
「言ってやるなよ時島。あー、けど心配して損したってやつだな」
「損? 紫野……俺達が来るのは、遅すぎたくらいだ」
「間に合ったんだから、早いだろ」
そう言って笑う紫野を、時島が一瞥する。その次に、何も言わずにこちらを見守っていた泰雅を、時島が睨めつけるように見据えた。その眼差しの意味が分からなくて、俺は首を傾げる。どうして睨んでいるのだろう? すると紫野が深々と溜息をついた。
「馬鹿だな、本当に時島は。俺は、慣れてるんだよ。何回、今の時島と同じ気持ちになったかなんて、時島は知らないだろ」
紫野のそんな言葉の意味も、俺には分からなかった。
そもそも俺は考え事をしているから、今はそれどころではない。
どうして、泰雅の家に二人が客としてやって来たのか。それが、一番分からない。俺に会いに来たというのが、嬉しい『現実』だったとしても――それならば、右京経由で俺の家に来る方が自然に思えたからだ。確かにこの二人が客ならば、俺が居たほうが話は合うだろうが――何故泰雅はこの二人と面識があるのだろうか? 分からない事だらけだった。
もう十二月も半ばの、雪深いこの土地――。
この場所と、俺の中で東京の象徴である二人の姿は、どこか不似合いに思えた。
「とにかく、左鳥に会えて良かった」
紫野はそう言って笑うと駆け寄ってきた。正面から抱きつかれ、俺は雪の上に転ぶ。
その時、どさりと音がした。見れば紫野の後頭部を雪玉が襲っていた。
「あ、悪い」
泰雅だった。いい年をした大人が、客人に雪を投げつけるとは思わなくて、思わず笑った。すると今度は、紫野の頭にさらに巨大な雪玉がぶつかった。まさか、時島が投げるとは、俺は考えてもいなかった。そして砕け散った雪の破片は、俺にまで被害を与えた。
「紫野、どいて。――甘いな、二人とも。雪はこうやって固めるんだ」
俺が参戦した結果、その場で雪合戦が始まってしまった。
三十分は遊んだと思う。
なんだか俺は、全てがどうでもよく思えてきた。あるいは、どうでもよく思いたかっただけだ。忘れたかったのだ、何もかもを。
――これが、終わりの始まりだった。