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第45話 お見舞いから

 ――翌日。

 結局この日も微熱があった俺の所に、紫野が見舞いに訪れた。

「静かにしていろよ」

 麦茶を差し出しながら、時島があからさまに目を細めた。

「時島こそ、左鳥に体力を使わせるなよ」

 それに正面から向き合って、唇の片端を持ち上げて笑ってから、紫野が俺のすぐ隣に座った。

「気分はどうだ?」

「大分楽だよ」

 俺が答えると、紫野が安堵するように吐息した。

 時島もまた俺の側に座ると、額に触る。

「嘘だな。どう思う? 紫野は」

「左鳥の顔、見ただけで分かる。嘘に決まってる」

 二人のやりとりに、俺は、曖昧に笑う事しか出来ない。体感的には本当に平気だからだ。

 そうしていると、紫野がお見舞いなのだろうか、ゼリーをコタツの上に置いてから、改めて俺を見た。

「暇にしてるだろうと思って、ネタ仕入れてきたから」

「ネタ?」

 聞いた俺は、自分の思いの外掠れた声に動揺した。結構具合が悪いのかも知れない。

「この前病院に行った時に、実習してる看護学生がいて、その子から聞いたんだよ」

「何を?」

 俺が横になったまま首を傾げると、時島がそれとなく食塩の瓶を握ったのが見て取れた。

 ああ、オカルト話だなと分かる。

 正直それを期待している自分もいた。

「なんかな、毎日毎日ナースコール押してくるお爺さんがいたんだって」

 紫野が静かに話し始めた。

「それで?」

「それで、嫌々ながらも相手しに行ってたんだってさ」

 ナースコールなんて、俺だったらよほどの事態じゃなければ、申し訳なくて押せない。

 毎日と言う事は、気軽に押せる人だったのかもしれない。あるいは相当、具合が悪い人だったのか。

「でさ、実習最後の日に行ったら、また鳴ったんだって」

「へぇ」

「だから病室に行ってみたら……ベッドの片づけ中だったんだとさ」

「え?」

「前日の夜に亡くなってたんだって。車いすに乗った患者さんだったらしいんだけどな。その後も無人のその個室から何度もナースコールが鳴ったらしいんだけど、先輩看護師さん達は全員『無視しろ』って言ったらしい。それから夕方になって……ナースステーション前でギシギシって音がしたんだってさ。車いすの音」

「……」

「それからその人が生前に……ナースコールを無視された時と同じように、自由に動く手で、元気だった頃のように、ダンダンダンってナースステーションの窓を叩く音がしたんだってさ。絶対その課には配属されないようにって願ったらしいぞ。亡くなった後も、自分が死んだっていう事実に気づかない患者さんて案外多いらしい」

 少々ゾクリとした瞬間だった。

 その後俺は、一眠りした。

 次に目を覚ました時、俺は、唇に柔らかい感触を感じていた。

「ん」

 二度ゆっくりと瞬きをすると、真正面に紫野の顔があった。

「……早く治せよ」

 ばつが悪そうにそう言って紫野が視線を逸らした。

 風邪が治った翌日、俺は高階さんと待ち合わせをした。

 呼び出されたから応じたのだ。てっきりホテルに行くのだとばかり思っていたのだが、その日は、ライターのバイトの打ち合わせだった。高階さんが新しい仕事を振ってくれたのだ。

「――って感じなんや。どう?」

「やってみたいです」

 二人でこういう話しをするのは随分と久しぶりだなと思う。

 ここの所は、会っても体を弄ばれるばかりだったからだ。

「じゃあそう言う形で話し通しとくわ――それより」

「はい?」

「顔色悪いけど、具合悪いんか?」

 まだ万全とは言えなかったから、俺は息を呑んだ。ただまさか、高階さんにそれを気づかれるとは思わなかったのだ。失礼かも知れないが、彼は俺の顔色になんて興味が無いと、どこかで考えていたのだ。

「ちょっと病み上がりで」

「無理せんでも良かったのに。悪い事したな、呼び出して」

「いえ……」

「出かけてたって聞いて、ちょっと嫉妬してしもうたんや。だからどうしても顔が見たくて、メールや無くて、呼び出したんや。俺の我が儘」

「え?」

「他に誰かいるのは知っとるけどな――なんでか、霧生君の事を他の奴に触らせたくない。はは、これ、恋かもな」

 まさか高階さんの口からそんな言葉が出てくるとは思わなくて、俺は瞠目した。

「最近ずっと霧生君のこと考えとる」

「どうして……」

「迷惑か?」

「そう言う事じゃなくて」

 あんなに軽く誘われたから、意外すぎただけだ。勿論リップサービスという奴なのかもしれないとも考える。

「俺は普段ふらふらし取る分、本気になったら、狙って行くんや」

「え」

「狙わせてもらうよ」

 ドクンドクンと心臓が音を立てた。獰猛な高階さんの視線に絡め取られそうになる。

 その眼差しと、時島や紫野の顔が、脳裏で交錯した。

「俺無しじゃいられなくしてやる」

「そんな」

「覚悟した方がええよ。と言うか、諦めろ、他の未来を」

 高階さんはそう言うと肩を揺らして笑った。俺はただ呆然とそれを眺めている事しかできなかった。

 ――その日は、ホテルには行かなかった。

 高階さんから毎日メールが届くようになったのはその日からだ。

 俺は返信したり、しなかったりした。

 ただ、俺の中で、これまでよりも高階さんの存在感が日増しに大きくなっていく。

 それは別段高階さんの事を好きになったという意味じゃない。

 何せ時島の好意にすら何の返答も出来無いでいる俺だ。紫野のキスの意味すら考えている俺だ。それでも高階さんと体を重ねる頻度が次第に増えていった。

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