――紫野の薬が完成した。その知らせを聞き、俺は紫野の家へと直行した。予定よりは完成が少し遅れた。しかし文句を言う気にはならない。ただ激しい動悸がしていただけだ。鎮まるのだろうか――そうしたら、俺の体はどうなるのだろう?
現在では、時島には触られるだけで、それだけで体が蕩ける。その上、一日でもいないと相変わらず辛い。なのに今日で、不在は三日目だ。もう体の抑えが効かず、昼間だというのに歩くのが辛かった。
しかし紫野にそんな事を悟られるのは嫌だったので、すぐに扉を開けて家に入れてもらってから、俺は早速切り出した。
「それで、薬は?」
「これ――とりあえず、一ヶ月分は作れた」
すると小さな和紙にくるまれた粉薬を手渡された。同様の物がいくつも入った袋を紫野は持っていた。
「すぐに飲むか?」
「うん、頼む」
俺の声に、紫野がコップに水を入れて持ってきてくれた。安堵しながら受け取ろうとした時――紫野の手に俺の指先が触れた。その瞬間に快楽が俺の背筋を駆け抜けたから、俺はコップを取り落とした。
フローリングの床の上で、コップが割れる音が響く。
後退りながら、這い上がった快楽に怖くなった時には、俺の体は最早蕩けだし、力が抜けて倒れかけた。慌てたように紫野が、腕で俺を抱き留める。
――その温もりが、辛すぎた。
「……左鳥?」
呆然としたように呟いた紫野を見て、俺は泣き出しそうになった。紫野にはこんな姿を見られたくなかった。
「あ、あ、紫野ッ……俺に触らないで……俺……」
「薬が効くまでに、一時間はかかる――それまで我慢できるか?」
紫野に耳元で言われた瞬間、俺は悲鳴を上げた。
泣きながら俺は紫野の腕に縋っていた。指先が震えた。首だけで紫野を見ると涙が零れてくる。
「抱いてくれ」
自分が何を口走っているのか、俺にはこの時もうとっくに分からなくなっていて、同時に理性が跳んだ。
行為が終わった後だからなのか、薬のおかげだからなのか、次に気がついた時、俺はすっかり体の熱が消失している事に気がついていた。俺は前者だと直感的に思った。やはり――時島が相手ではなくとも良いのだと、悟ったような気がした。その事実に、自分の体が怖くなる。俺がそんな事を考えてぐったりしていると、紫野が俺の首筋を強く吸った。
じんと甘い疼きと痛みが走る。 以来、紫野とも体を重ねるようになった。時島のいない日は、ほぼ全て紫野と共に過ごすようになっていった。ただこの日はまだ、そうなるとは思っていなかった。
「左鳥、俺はちゃんとお前の事が好きだからな。体の事もだけど――辛くなったら俺の所に来て欲しい。好きだっていうのも本音だから、気持ちの方の答えも考えておいてくれよ」
紫野にそう言われた。
その後、俺はシャワーを借りてから、朝になって帰宅した。
帰ると、時島もまた帰ってきていた。
時島は何故なのか、じっと俺の首筋を見ている。険しい瞳に見えた。何だろう?
そう考えてハッとして、俺は思わず手で押さえた。
紫野にキスマークを付けられた場所だったからだ。
しかしその日……時島は、その件について何も言わなかった。
――時島は、どうして何も言ってくれなかったんだろうか。
何故こんな事を考えるのかは分からなかったが、俺は心のどこかで、確かに気まずさを感じていた。しかし、時島はちょっと嫌そうな顔をしただけだ。何も言わずに、その日は二人で食事をし、普通に眠った。
その後薬を飲んだら、大分落ち着き、熱は三日に一回程度訪れるようになり、一週間は堪えられるようになった。
しかしそれでも、俺は頻繁に、時島と体を重ねている。
終わってから、俺はぼんやりと思い出していた。
時島に、紫野の薬の事を話をした時の事を、だ。あの時時島は淡々と頷いた。
「そうか……」
そして少し口ごもるようにしてから、しっかりと俺を見据えた。
「これまで……嫌だったか?」
「時島の方こそ――」
「俺は、お前といると幸せだ」
その時俺は、虚を突かれた。時島にそう思ってもらえるのが嬉しかった。
なお――体の熱は薬を飲んでも結局完全には消えない。だからその自分の感情の理由が、体が熱くなるせいなのか、それとも違うのか、俺には分からなかった。