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第26話 夢

 ――その日の夜、俺は夢を見た。

 夢の中では――桜色の着物姿の、髪をまとめた美女が、幼子の手を繋いでいた。

 その女性が亡くなっていると、俺は直感した。

 俺はそこにいた子供に……時島の面影を見て、「ああ。この女の人は、時島のお母さんだ」と、夢の中で理解していた。

 時島は池の方へと走っていく。

 池には、錦鯉が泳いでいる。

 幼い時島は、池のそばにしゃがむと、鯉を楽しそうに眺めた。

 母親は穏やかな顔でそれを見ていた。だが、少ししてから、不意に俺の方へと顔を向けた。俺は完全なる第三者として、その場面とは乖離した感覚で夢を見ている――と、思っていたのに、しっかりと視線が合った。すると……優しく微笑された。そして手を差し伸べられた。

「昴と仲良くしてあげてね」

「はい」

 俺はおずおずと頷きながら、手を握り返そうとした。しかし指先が触れあう直前で、その人は桜の花びらになって消えてしまったのだった。

 不思議な夢だなと思いながら目を覚まし、俺は息を飲んだ。

 仮面姿の着物の女性が、真横に正座していたからだ。心臓が止まるかと思った。

「お目覚めですか?」

「は、はい」

「お着替えをお持ち致しました」

「え、あ、有難うございます……」

 見れば使用人の女性の脇には、金縁の黒長い箱があって、そこには和服が入っていた。

 着る方法が、俺には分からない。温泉の浴衣とは違って、きちんとした和服だったのだ。

 どうしよう。

 そう考えていると、仮面の女の人が立ち上がった。

「お手伝いさせて頂きます」

 そのまま俺は下着以外を脱ぐように言われ、和服を着付けられた。若干照れたが有難かった。だが正直……時島の私服でも貸してもらえた方が良かったし、俺も一応、予備のTシャツ程度は持ってきていたのだが……言い出せる雰囲気では無かった。

 それから朝食が運ばれてきた。

 今回は魚がメインで、昨夜の精進料理じみた夕食よりも、ボリュームがあった。ガッツリと食べてしまった。

 その後、俺は使用人さんに促されて、立ち上がった。

 何処に連れて行かれるのだろうかと考えながら、周囲を見て、首を捻る。

「あの、時島は?」

 朝になったのだから、顔くらい見たいし、その後の容態や状況だって聞きたい。

「昴様でしたら、夕方にはお会いできます」

「え?」 夕方って……何故それまで会えないのだろうか。俺はこれでも一応、不安がっている時島のそばにいるために、ここに来たのだと思うのだが……。

 そのまま連れて行かれた場所は、庭がよく見えるお座敷だった。外には紅い花が咲いている。俺が分かる花は、真っ赤な立葵だけだった。

 中には――十数人の、和服姿の女性がいた。

 使用人達とは異なり、皆、色鮮やかで上品な着物を纏い、正座をしていた。

 髪をまとめている人もいれば、のばしている人もいる。全員が、ポカンとしてしまうほどの美人だった。様々な傾向の美人が揃っていた。

 なんだここは? 大奥か?

 そんな言葉が過ぎった時、俺は座るように促された。そして一カ所空けられていた席に、腰を下ろすよう指示された。

 手前には、いかにも茶道で用いそうな茶碗がある。部屋の奥には、生け花と掛け軸があった。掛け軸には大蛇と牡丹が描かれていた。

 その場では皆が笑顔で、雑談がなされていた。いかにも当然だというように、俺もその輪に組み込まれた。訳が分からない。どういう事なのだろうか、一体。

「どちらからいらしたの?」

「あっ、と、H市からです」

「あら、東京の方なのね」

「それは素敵ですのね」

「お名前は何と仰るの?」

 ――俗に言うハーレムのような気がしないでもない。

 席を移動する事は無く、皆が上品にお茶を飲んでいる。だが、飲み方が分からない俺は、喉が渇いて仕方が無かったし、目の前の茶菓子も食べてみたかったが、その食べ方も分からない。

 そして悩んだ挙句、このお茶会が何なのか、聞く事に決めた。当初こそ危篤と言う話から集まった親戚なのかと思っていたのだが、雑談内容も口調も明るくて、どう考えても、そうだとは思えなかったのだ。時島の顔が見えない事だって気になる。

「あの……皆様は、どうしてこちらに?」

 その瞬間、場が静まりかえった。

 ……聞かなければ良かったなと、俺の顔は引きつった。

「蛇神様に選ばれる事を、聞いていらっしゃらないの?」

「え?」

 しかし予想外の言葉が返ってきた。

「今の大神様は、蛇憑きの時島様でいらっしゃるから、大変名誉なことですの」

「我が家は猫憑きよ」

「わたくしは、犬神憑き。わたくしこそが、昴様にはふさわしいわ」

「まぁなにを仰ってるいるの? 狐憑きの私の家の方が歴史は古いわ」

 俺は呆然とするしかなかった。全く意味が分からなかったからだ。すると、奥に座っていた、それまでただ一人だけ沈黙を貫き通していた女性が、静かに俺を一瞥した。二十代後半くらいに見える。洗練された美を誇っていた。

「貴方に分かりやすいように言えば、お見合いなの、これは」

「え」

「霧生様と言ったかしら。お名前を聞いた事は無いけれど、貴方だって、候補に選ばれたのだから、『ただ人』では、ないのでしょう?」

「いや、あの俺は……時島のただの大学の同級生で、それで――」

 すると場がざわついた。

「昴様を、時島家のお方を呼び捨てにするだなんて……!」

「それほどまでに仲がよろしいご友人なの?」

「ぜひ昴様のことを教えて下さいな」

 何がなんだか分からないが、先ほどまでとは異なる混乱が発生した。何故お見合いの場に俺がいるというのだ。しかもだ。亡くなりそうな方がいるのに、お見合いなんてするものなのだろうか? その上、俺の耳が確かなら、猫憑きだの犬神憑きだの狐憑きだのと聞いた気がした。一番分からないのは、『大神様』だ。狼だろうか?

 それにしても皆、争っているようではあるが、それすらもどこか冗談めかしたやりとりで、本当に上品だった。多く喋る人もいれば、物静かな人もいるが、皆、和やかだった。

 そのようにして、昼食も彼女達と共にし、俺は夕方までそのお座敷にいたのだった。

 トイレはすぐ側にあったのだが、着物の直し方が分からないから、正直限界まで我慢した。だが、行く度にトイレの前まで使用人さんがついてきて、出る度に直してくれたので、恥ずかしかったが問題は起きなかった。

 やっと時島に会えたのは、夕食の時である。

 俺は和服を着たまま、箸を手に取った。

 漆塗りの椀で、お膳の上には、本日も精進料理のようなものが並んでいる。もうとっくに季節を過ぎ去っているだろうが、コゴミやゼンマイなどの山菜もあった。どうでも良いが俺は、山菜にマヨネーズと醤油をかけて食べるのが好きだ。よく、「普通醤油だけだよ」と、弟に嫌な顔をされたものである。

「それで、時島。お父さんは、本当に大丈夫なのか?」

 会って早々聞くのも何だったが、やはり肝要なのは容態である。

 何せ、今日は一日中、時島がいなかったのだ。何か変かがあったのかもしれない。

 時島は驚くほどの無表情で、茶碗を置いた。仏頂面はよく見るが、無表情というのはあまり見た事が無かった――と、この時初めて気がついた。

「ああ、もう大丈夫だ。先が長くない事は、ずっと前から分かっていたしな」

「お母さんも亡くなってるんだろ? それじゃあお姉さんと二人きりになるのか?」

 使用人さん達がいたとしても、それでは寂しかろうと思う。不安にもなるだろう。

「――何故知っているんだ? 母の事を、誰に聞いた?」

「え?」

 はたとそこで、俺は、ただの夢だったと思い出した。

 気まずい思いで俺は、豆腐に箸を伸ばす。

「夢を見たんだよ。小さい頃のお前の」

「……母は離縁して実家に帰った事になっている」

「は?」

 まず、『なっている』という言葉に引っかかった。離縁なんて古めかしい言葉に引っかかっている場合では無かった。しかしそれ以上は……時島が何も言いたくなさそうだったので、俺は聞かずに、話を変える事にした。どうしても聞いてみたい事が、他にあったのだ。

「時島さ、そう言えば、お見合いをするのか?」

「……俺がするわけじゃない」

「でもみんな、『昴様・昴様・昴様』って言ってたぞ。しかも何であの場に、俺が行かなきゃならないんだよ。不自然すぎて気まずかった。まぁお前の話で盛り上がって、楽しかったけど。綺麗な人ばっかりだったし」

 実際に今思えば楽しかった。

 俺は庭の花々も綺麗だったなと考えながら笑った。夢の中で見た桜の木の、実物もあった気がしたのだ。だが、笑っている俺とは対照的に、時島は無表情のままだった。どうしたのだろう?

「蛇神が伴侶を選ぶんだ」

「え?」

「あそこにいたのは、お前も含めて候補者だ」

「ちょっと待って、何で俺が?」

「左鳥は……左鳥の事は、俺が愛しているから――だから、どこにいても蛇神が選びに来る可能性がある。それが怖かったんだ。なのに、お前が選ばれて欲しいと思う俺もいる。最低だな」

 時島の声は細くて、いつもの力強さが無い。時島は、普段はどこか芯の通った響きの声をしている。それが、心地良いと感じる事が多い。ただ、今は違う。理由は何だろうかと考えていたら、『蛇神憑き』という語が頭に浮かんだ。

 憑き物筋というだけでも、何か気落ちする事があるのかもしれない。

 もしそうならば――元気を出して欲しい。そう思って、俺は精一杯明るい声を出す事に決める。

「最低なんかじゃないって。時島は良い奴だと思うよ。ちなみに選ばれると、どうなるんだ?」

「ウミコになる。今はそれしか言えない。詳細は、当主とその一族、ウミコ本人にしか知らせられない決まりなんだ」

「ふぅん。歴史ある家柄だと大変なんだな。この家、相当古そうだし。豪華だけど」

「左鳥、真面目に聞いて欲しい事がある」

「ん?」

「今夜もし、蛇の夢を見たら、その事は誰にも言うな。絶対に、だ」

「あ、ああ。蛇の夢、な。分かった」

 俺は軽い気持ちで答えたのだが、時島は俺の言葉に漸く肩の力を抜いたようだった。

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