「つかれてるな」
久しぶりに時島に言われて、パンパンと肩を叩かれた。俺は、そうされると肩が軽くなるような錯覚に襲われる。そんな馬鹿な事があるはずがと思うのだが、まるで肩叩きでもしてもらったような気分になるのだ。
「なぁ、何に憑かれてるんだ?」
「顔色が悪いから言っただけだ」
自分の勘違いが恥ずかしくなって、俺は曖昧に笑いながら顔を背けた。
憑かれやすい、と言われた事はあるが、そんなにいつも憑かれているはずは無いし、本当に憑かれているのかどうか、俺には分からない。最近視える事があるとは言っても、自分に何かが憑いている所なんて視た事は無いのだ。
「まぁ、水子がつきまとってはいるけどな」
「――は?」
しかし唐突な言葉に俺は目を見開いた。
水子……? とは、生まれずに亡くなった子供の事では無いのだろうか。俺にはそんな心当たりは一切無い。カノジョがいた事がないわけではないが、正直な話、ヤる前にフラれた。ただ、当初暮らしていた家に、時島が来た時にも言われた。母親と水子、と。
「何で俺に、水子?」
「水子はな、左鳥みたいに流されやすく優しい人間を好むんだ」
「待ってくれ、俺はそんなんじゃない!」
「俺が都度追い払っているのは、大体が水子だ。今だと……お前――その辺の墓……墓地で知らない墓を拝んだりしなかったか?」
それには心当たりがあった。
実は先日、久方ぶりに、サークルで肝試しに行ったのだ。今回は墓だった。俺は、『本当に申し訳ありません、本当に申し訳ありません』と、何度も思って、手を合わせながら回ったものである。しかしそんな話は当然時島にはしていない。怒られそうだからだ。
「知らない墓は、拝んでは駄目なんだよ」
「そうなのか?」
「推奨している所人間もいるかもしれないが、俺が知る限りは駄目だ」
時島は、少なくとも俺よりは博識だと思う。俺はこれでも文筆業志望だったから様々な本も読んだし、ネットで情報を集める事も多かったから、雑学には意外と自信があったりする。しかしオカルトに関しては、まるで歯が立たない。
時島にしろ紫野にしろ、後は――強いて言うなら、ライターの先輩の高階さんは別格として、地元の寺の泰雅も詳しい。この四名と比べると、俺のオカルト知識はかなり弱い。俺がまだまだ甘いのかもしれない。たまに俺は調子に乗る。恥ずかしい。
「とってくれ」
「そうだな」
時島は頷くと、何故なのか俺を抱きしめた。
「時島……?」
力強さと、やはり少し低い体温に、俺はやっぱり胸が騒ぐのを感じながら、首を傾げた。すると耳元で囁かれた。
「散れ」
――少しだけ怖かった。
だが時島の温もりがあれば、何もかもが大丈夫な気がする。それが不思議だ。
「左鳥、お礼をくれないか」
「何?」
「暫く、抱きしめさせて欲しいんだ」
「……うん」
俺は時島の胸に額を押しつけた。すると背後に回っていた手に、ギュッと抱き寄せられる。思わず照れてしまう。
「左鳥といると、すごく落ち着く」
「俺も時島といると落ち着くよ」
「何故お互いに落ち着くんだろうな。ただ――嬉しい」
時島が、小さな声で言った。別に俺は、嬉しいわけでは無かったので、それには何も答えずに、目を伏せていた。
しかし――……俺にとって、時島は、何なのだろうか?
それがよく分からない。俺の中で、時島という存在の入っている場所は、友人のカテゴリである気がするのではあるが……少しだけ、特別感はある。それを当初は、俺が一緒に暮らしているからだと考えていたのだが、今では、一番時島と親しいのが自分だからであるような気もしている。俺は今では、時島と非常に仲良くなったと思うのだ。つまり、友人から親友に変わったのは間違いない。だが……その先が、分からない。
ただ、分からないままでも、良い気がする。俺は、今の状態が心地良い。
さて、その数日後――ふと俺は思い出した。前に紫野が、時島に『実家の話をしたのか』と言っていた事を。何故思い出したのかは分からない――わけでもない。多分だが、電話がかかってきたからだ。
『もしもし、左鳥?』
電話の主は弟の右京で、俺は布団に横になりながら電話に出た。時島は今日も図書館に出かけている。だが時島は、滅多に本を借りては来ない。重いからだろうか?
「どうした?」
『いやさぁ、久しぶりに漫画集めちゃって。村の話だったから、椚原の事を思い出してさ。左鳥と話したくなったんだ。タイトルは――』
「あー、その作品知ってる。俺は小説の方で最後までもう読んだ。面白いよな」
今年受験のくせに余裕そうだなと苦笑しつつ、暫しの間俺は弟とホラー小説の話に興じた。母までハマってしまったそうで、父にも勧める計画だと聞いた。
このように、自分の実家について思い出したから、時島の実家の事もまた、頭に浮かんできたのだろう。
『今度東京に行ったら、またお昼ご飯おごって』
「ああ。じゃあ、また」
一応俺には、ライター業のバイト代があるので、弟には基本的におごる。
俺の弟はすごく甘え上手で可愛い。弟のカノジョもすごく可愛い。正直羨ましい。俺にもカノジョが出来ないかなと思っていたら……何故なのか時島や紫野の顔が過ぎった。だから、慌てて打ち消す。別に俺は同性愛者ではない。紫野も多分元々は違う。では、時島はどうなのだろう?
そんな事を考えていた時、本人が帰ってきた。俺は自分の考えに気まずくなって、思わず俺は別の事を聞いた。最初に考えていた、実家について、だ。
「なぁ、時島の実家ってどんな所?」
すると時島が動きを止めた。
そしてじっと俺を見据える。力強い瞳だった。僅かに目が細くなった気がする。
「時島?」
俺が声をかけると、時島が息を呑んだ。そこで彼は、我に返ったようだった。それから持っていた買い物袋を、コタツの上に置く。それはいつも通りだった。だが俺は、己が『実家』と口にした時に、時島が気まずい沈黙を挟んだ事が気になって仕方が無い。
「紫野から、何か聞いたのか?」
「いや、全然」
「そうか」
時島は安堵するように吐息すると、改めて俺を見た。
「A県」
ポツリとそれだけ言うと、再び立ち上がり、時島がキッチンへと向かっていく。それを見守りながら首を捻った。どこが言いづらかったのだろうか。まぁ……言いたくないのなら、無理に聞いては悪い。無理強いするような事では無い。あるいは家族仲が悪いのかもしれない。一緒に暮らしていて思うのだが、時島からは、実家や家族といったモノの気配がしないのだ。
そう事を考えていた時だった。
「――お前、憑き物筋ってどう思う?」
「へ?」
パスタの封を切りながら、時島が不意に言った。
憑き物筋――狐憑きや犬神憑きくらいならば、俺も聞いた事があった。特に狐憑きは、精神的な問題の可能性があって、それを日本という国が和やかに受け入れていた証なのでは無いかと言う研究もあるそうだ。昔の日本は、梅毒などの不治の病になっても明るく受け入れる風潮だったらしいし。ただし村八分――葬儀と災害の二分以外は、孤立していたと言う暗い話だってある。
「まぁ迷信じゃないのか?」
結局俺は、そう言う答えに達した。すると時島が、振り返り俺を見た。時島は、お湯を入れた鍋をガス台に置きながら、スっと目を細くした。
「迷信じゃないとしたら?」
「病院行くとか……? いや、その……え、それって? 時島の家が何かに憑かれてるのか?」
さすがに察して俺が問うと、時島が火をつけながら俯いた。
横に赤唐辛子があるから、本日はペペロンチーノなのだろう。
「蛇神憑き」
静かに時島の唇が動く。生憎俺は、蛇神という存在は聞いた事が無かった。
狐憑きならば、ぴょんぴょんと跳ねる印象があるし、椚原で怖い話を聞いた事もある。祖父の友人が、狐に耳を噛みきられた話だ。いつか書こう。
犬神憑きなら、四つ辻に犬を埋めるのだったか。
「蛇神って、どんなの?」
「他の蛇神は知らない。ただ俺の家の場合は――……蠱毒が起源だと言われている」
蠱毒は俺も知っていた。壺に虫やら害獣やらを入れて、喰い争わせる呪術だ。
「蛇を喰い合わせたって事か?」
「いいや」
「じゃあ、どういう事?」
「――蛇に選ばれた人間を殺し合わせるんだ」
それでは殺人だ。確かに……他者にはあまり言いたくないだろうなと考える。だが俺は、少しだけ好奇心がわいてしまった。また、その時何故なのか、聞かずにはいられない心境でもあった。知りたいという衝動があったのだ。
「蛇はどうやって人を選ぶんだ?」
「……蛇は代々当主に憑く。要するに当主が選んだ人間が殺し合う事になる」
なお、選ぶ基準の話には、ならなかった。また、一人しか選ばない場合について、俺は聞きたいと漠然とだが考えたのに、何故なのか上手く言葉にならなかった。
その後俺達は、ペペロンチーノを食べたのだった。