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第20話 怖い

 さて――紫野の家に誘われたのは、俺がぐるぐると時島について考えていた頃の事だった。時島は俺を「愛している」と言ったが、あれが本心なのか……未だに分からない。時が経てば経つほど、からかわれているのではないかという思いが強くなってきたのだ。だが、仮に時島が本気だとしても……そもそも、俺は――時島を友人だと思っているのだ。

 どうすれば良いのだろう? 一瞬、紫野に相談しようかとも思った。紫野も男が好きだと言っていたからだ。けれど紫野の想い人が時島だとすると、それは出来ない。紫野と気まずくなりたくない。三角関係なんて絶対嫌だ。だが、俺と時島の共通の友人は紫野だけだ。相談出来ないのが、もどかしい。

 そんな感覚を持ったまま、初めてお邪魔した紫野の家は、よく整理された十畳だった。広い。お香の匂いがする。

「まぁ、飲んでくれ」

 座った俺に、紫野が濃い濁ったお茶を差し出した。

 紫野はカフェラテを飲んでいる印象が強かったから、緑茶が出てきたのを、少しだけ意外に思った。濁っているが、緑色だし、急須を使っていた。苦そうに見えたのだが、思いの外飲みやすい。

「時島と旅行してきたんだってな。俺の事も誘ってくれよ」

「悪い。次は絶対誘う」

「うん。左鳥には危機感が足り無さすぎる」

 確かに憑かれやすいのだろうとは思うから、苦笑してしまった。

「何で俺って憑かれるんだろう」

「そう言う意味じゃない――まぁ憑かれやすいっていうのは……俺には何も言えないけど」

「? じゃあどう言う意味だ?」

「もう分かってるだろ、俺が左鳥の事を好きだって。そんな相手の家に、一人で来るなんてどうかしてる」

 溜息をつきながら紫野が言った。俺は目を見開いた。

「え、お前の好きな奴って、時島じゃないのか!? だから俺、悪い事したなって思って」

「悪いこと、ね。それは根に持つかもな。ただ、時島のはずがないだろ。お前だお前。本当、鈍いのな」

 それほど俺は、自分が鈍いとは思わない。

「しかも一回、俺の薬飲んで弄られてるのに、何の不信感もなく、そのお茶も飲むし」

「――え?」

 言われた瞬間、体の力がガクンと抜けた。

 何が起こっているのか分からなくて、俺は白い横長のソファの上で体勢を崩した。そして立ち上がった紫野を見上げる。

「紫野……?」

「俺が怖い?」

「いや、別に怖くはないけど……?」

「立って、左鳥」

「……ああ」

 俺は体に力が入らないと思っているにも関わらず、紫野の言葉に、自然と立ち上がっていた。紫野の言葉の通りに、勝手に体が動いたのだ。

 そして――抱きしめられた。ドクンと胸が騒ぐ。何故なのか時島の顔が過ぎったけれど、紫野の腕の方が力は優しい……なんて、変な事を考えていた。

「一緒にお風呂に入ろう」

「うん……」

 俺は、頷いていた。何故なのだろう。耳元で囁かれた紫野の声に、体が自然と従ってしまう。そのまま俺は、浴室へと連れて行かれ、紫野の手で服を脱がされた。一緒に温泉にだって行った事があるから、別に恥ずかしいなんて思う必要は無いのだろうに、急激に羞恥が襲ってくる。

 それから、浴室へと入った。

 俺は全身を泡だらけにされて、紫野に体を洗われた。この頃になると、紫野に触れられているのが当然の事であるような気がしていた。体だけではなく、思考も変化を見せたのだ。

「左鳥、力抜け」

「あ……うん……」

「俺が――全部、綺麗にしてやるから」

 その言葉に様々な事を思い出しそうになったのに、それは叶わなかった。何故なのか紫野に全てを任せておけば安心な気がしたのだ。

 シャワーから上がると、体をタオルで拭かれた。

「左鳥、絶対に酷くしない。だから、怖がらないで欲しいんだ」

「うん……何を……?」

「時島が憑かせなきゃ出来ない臆病者なら、俺は薬使わねぇと出来ない臆病者なんだよ」

 紫野の声はどこか焦燥感が滲んでいるようだった。辛そうにも思えた。落ち込んでいる気もした。だが、ぼんやりとしている俺からは、何も慰めの言葉は出てこない。

 それからベッドへ移動した。

 ――どれだけの時間、紫野と繋がっていたのかは分からない。

 事後。

「悪い……嫌だったよな」

 紫野は苦しそうな顔で俺を見ている。正直な話、俺は恐らく……嫌では無かった。

「そんな事、無いよ」

 だからそう言ったのだが、声が掠れてしまう。

「本当に……?」

「紫野こそ……俺が、気持ち悪くなかったか?」

 よほどそちらの方を俺は心配し、気が取られていた。男と体を繋いで気持ち良いと感じる自分を、明瞭になってきた意識で、はっきりと自覚し、動悸に襲われていた。自分の痴態が脳裏を駆け巡っていく。

「気持ち悪いなんてあるはずが無いだろう。俺は、お前の事が好きなんだから」

 俺だって――紫野の事は好きだ。あくまでも友人としてだが。

「左鳥、怖くは無かったか?」

「ああ」

「良かった……有難うな」

 紫野はそう言うと俺を抱き起こして、髪を撫でてくれた。

 何故なのかその温度に、無性に落ち着いた俺がいた。

 これ以来だったのだと思う。

 俺は、時島とも紫野とも体の関係を持つようになった。

 あるいは俺が男に強姦されたと話したから、二人とも好奇心に駆られたのではないか――と、今になれば思う事もある。それでも今でも、二人はそんな性格では無いと俺は信じている。彼らは、優しかった。

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