さて――紫野の家に誘われたのは、俺がぐるぐると時島について考えていた頃の事だった。時島は俺を「愛している」と言ったが、あれが本心なのか……未だに分からない。時が経てば経つほど、からかわれているのではないかという思いが強くなってきたのだ。だが、仮に時島が本気だとしても……そもそも、俺は――時島を友人だと思っているのだ。
どうすれば良いのだろう? 一瞬、紫野に相談しようかとも思った。紫野も男が好きだと言っていたからだ。けれど紫野の想い人が時島だとすると、それは出来ない。紫野と気まずくなりたくない。三角関係なんて絶対嫌だ。だが、俺と時島の共通の友人は紫野だけだ。相談出来ないのが、もどかしい。
そんな感覚を持ったまま、初めてお邪魔した紫野の家は、よく整理された十畳だった。広い。お香の匂いがする。
「まぁ、飲んでくれ」
座った俺に、紫野が濃い濁ったお茶を差し出した。
紫野はカフェラテを飲んでいる印象が強かったから、緑茶が出てきたのを、少しだけ意外に思った。濁っているが、緑色だし、急須を使っていた。苦そうに見えたのだが、思いの外飲みやすい。
「時島と旅行してきたんだってな。俺の事も誘ってくれよ」
「悪い。次は絶対誘う」
「うん。左鳥には危機感が足り無さすぎる」
確かに憑かれやすいのだろうとは思うから、苦笑してしまった。
「何で俺って憑かれるんだろう」
「そう言う意味じゃない――まぁ憑かれやすいっていうのは……俺には何も言えないけど」
「? じゃあどう言う意味だ?」
「もう分かってるだろ、俺が左鳥の事を好きだって。そんな相手の家に、一人で来るなんてどうかしてる」
溜息をつきながら紫野が言った。俺は目を見開いた。
「え、お前の好きな奴って、時島じゃないのか!? だから俺、悪い事したなって思って」
「悪いこと、ね。それは根に持つかもな。ただ、時島のはずがないだろ。お前だお前。本当、鈍いのな」
それほど俺は、自分が鈍いとは思わない。
「しかも一回、俺の薬飲んで弄られてるのに、何の不信感もなく、そのお茶も飲むし」
「――え?」
言われた瞬間、体の力がガクンと抜けた。
何が起こっているのか分からなくて、俺は白い横長のソファの上で体勢を崩した。そして立ち上がった紫野を見上げる。
「紫野……?」
「俺が怖い?」
「いや、別に怖くはないけど……?」
「立って、左鳥」
「……ああ」
俺は体に力が入らないと思っているにも関わらず、紫野の言葉に、自然と立ち上がっていた。紫野の言葉の通りに、勝手に体が動いたのだ。
そして――抱きしめられた。ドクンと胸が騒ぐ。何故なのか時島の顔が過ぎったけれど、紫野の腕の方が力は優しい……なんて、変な事を考えていた。
「一緒にお風呂に入ろう」
「うん……」
俺は、頷いていた。何故なのだろう。耳元で囁かれた紫野の声に、体が自然と従ってしまう。そのまま俺は、浴室へと連れて行かれ、紫野の手で服を脱がされた。一緒に温泉にだって行った事があるから、別に恥ずかしいなんて思う必要は無いのだろうに、急激に羞恥が襲ってくる。
それから、浴室へと入った。
俺は全身を泡だらけにされて、紫野に体を洗われた。この頃になると、紫野に触れられているのが当然の事であるような気がしていた。体だけではなく、思考も変化を見せたのだ。
「左鳥、力抜け」
「あ……うん……」
「俺が――全部、綺麗にしてやるから」
その言葉に様々な事を思い出しそうになったのに、それは叶わなかった。何故なのか紫野に全てを任せておけば安心な気がしたのだ。
シャワーから上がると、体をタオルで拭かれた。
「左鳥、絶対に酷くしない。だから、怖がらないで欲しいんだ」
「うん……何を……?」
「時島が憑かせなきゃ出来ない臆病者なら、俺は薬使わねぇと出来ない臆病者なんだよ」
紫野の声はどこか焦燥感が滲んでいるようだった。辛そうにも思えた。落ち込んでいる気もした。だが、ぼんやりとしている俺からは、何も慰めの言葉は出てこない。
それからベッドへ移動した。
――どれだけの時間、紫野と繋がっていたのかは分からない。
事後。
「悪い……嫌だったよな」
紫野は苦しそうな顔で俺を見ている。正直な話、俺は恐らく……嫌では無かった。
「そんな事、無いよ」
だからそう言ったのだが、声が掠れてしまう。
「本当に……?」
「紫野こそ……俺が、気持ち悪くなかったか?」
よほどそちらの方を俺は心配し、気が取られていた。男と体を繋いで気持ち良いと感じる自分を、明瞭になってきた意識で、はっきりと自覚し、動悸に襲われていた。自分の痴態が脳裏を駆け巡っていく。
「気持ち悪いなんてあるはずが無いだろう。俺は、お前の事が好きなんだから」
俺だって――紫野の事は好きだ。あくまでも友人としてだが。
「左鳥、怖くは無かったか?」
「ああ」
「良かった……有難うな」
紫野はそう言うと俺を抱き起こして、髪を撫でてくれた。
何故なのかその温度に、無性に落ち着いた俺がいた。
これ以来だったのだと思う。
俺は、時島とも紫野とも体の関係を持つようになった。
あるいは俺が男に強姦されたと話したから、二人とも好奇心に駆られたのではないか――と、今になれば思う事もある。それでも今でも、二人はそんな性格では無いと俺は信じている。彼らは、優しかった。