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第8話 夢

 俺は元々便秘がちである。それがついに――ここ二週間ほど、出なくなってしまった。

 腹痛が酷い。もう我慢出来ず、俺は勇気を出して病院に行き……浣腸された。

 何とも言えない感覚に、脂汗が出る。

 ――それよりも、俺は怖かった。強姦された記憶が甦ってしまうのだ、どうしても。

 だから俺は、今も泊めてもらっている時島の家に帰宅すると、すぐにシャワーを貸りた。時島は大学に行き、講義に出ているらしく、現在は部屋にいない。

 浴室で俺は念入りに体を擦った。それでも嫌悪感が消えなくて、ついには指を少し入れて、体の内部を洗った。表面を洗うだけでは不快感が拭いきれなかったのだ。入ってくるシャワーのお湯の感触は気持ち悪かったが、それでも、このどうしようもない嫌な感覚が払拭できるのならばと、必死で洗ったのである。

 風呂から上がると俺は疲れきっていて、敷きっぱなしの布団に体を投げ出した。

 割り切ろう、忘れよう、と、思っているのに、それが出来ない。

 未だに強姦された時の夢を見る。

 その内に――俺は眠ってしまったようだった。

 夢の中で俺は、和服を着ていた。正確には、着物を纏っている誰かの視点で夢を見ていた。

 胸が張り裂けるような痛みを感じながら、有髪の旅の法師を見上げている。破戒僧らしい。

 ――時島? 相手の顔を見て、俺はぼんやりとそう思った。

 乖離したような意識のままだが、俺の体がその時に見据えていた相手は、時島によく似ていた。俺は夢の中で、一人の青年の中にいた。すると俺の体が、法師に抱きついていた。

「行かないで下さい、もう何処にも」

「けれど、一所に留まるわけにはいかない。御仏の為に」

「俺は……貴方の事が好きなんです。離れるなんて、そんな」

「紀想」

 そう言うと法師が、『俺』の腰に手を回した。今の俺は、『紀想』として夢を見ているらしい。まわってきた腕は、温かくて力強い。

「優雅様、愛しています」

「俺も、愛している」

 法師は、優雅という名前らしい。そんな事を考えていた時、薄い唇が降ってきた。舌を追いつめられ、絡め取られ、甘噛みされる。熱烈な口づけだった。普段の俺だったら、男同士のそんな光景は、想像しただけで恐怖を覚えるだろうに、夢だと分かっているせいなのか、ただ淡々と受け入れていた。

 それから場面が変わった。何処かの無人の神社に、その時――『俺』は居た。

 俺は時島によく似た顔の、優雅様と繋がっていた。

 不思議と嫌悪感は無い。ただ愛しさで、胸が満ち溢れていた。繋がれた喜びが強すぎて、俺の体は、涙を流して喜んでいた。

 ただ幸せだった。これが最初で最後の一夜限りの事だと分かっていたけれど、それでも良かった。

 こうして俺はいつの間にか、視点人物に同化し、快楽に果てた。

 ――目が覚めると、俺は泣いていた。嬉し泣きだ。直感で分かった。

「起きたのか……?」

「え、あ」

 現実の時島に声をかけられて、俺は、はっきりと覚醒した。何故なのか俺は、時島のベッドの上で、横になっていた。サイドテーブルの上には、封が切られたゴムがある。しかも俺は、全裸だった。状況が分からなくて首を傾げる。いつもはベッドの下の床に、布団を敷いて眠っているのだ。その為、巨大なテーブルを別の部屋に移動してもらい、現在は季節はずれのコタツが出ている。

「昨日の事、覚えているか?」

「昨日?」

 見れば時刻は、朝の四時だった。俺は、約十二時間も眠っていたらしい。

「夢を見ていた気がするけど――……何で俺、ここで寝てるの?」

「……お前が俺に乗ってきたんだぞ」

「……は?」

「良い。覚えていないんなら、忘れろ」

 何の話か、俺にはさっぱり分からなかった。ただ腰が鈍く痛んで、力が入らない事には、すぐに気がついた。思わず唾液を嚥下する。嫌な予感がした。

「俺、俺――……何をした?」

 すると時島が黙り込んだ。それから腕を組んで、溜息をつく。

「その……暑いって言って、クーラーの真下のベッドに乗ってきたんだ……その、だから……暑いからという事で、服も脱いで……それだけだ」

 直感的に、それが時島の嘘だと分かった。時島の視線は、完全に泳いでいた。破れたゴムを再び一瞥する。背筋を戦慄が這い上がる。

「つかれてたんだよ、左鳥は」

「……」

 いつもの通りの言葉だった。だけど今なら分かる。俺は、『疲れて』いたんじゃなくて、きっと『憑かれて』いたのだろう。

「ごめん、ごめんな」

 俺には、謝る以外の選択肢が、思いつかなかった。男と体を重ねる事など、嫌悪しか無いだろう。間違いなく俺は、時島を襲ったのだと思う。受け身だったのかもしれないが。

「お前が謝る事は何一つ無い。むしろ拒絶しなかった俺が――……いや、その」

「俺、すぐに出ていく」

 慌てて俺は、床に散らばっている服をかき集めて、身支度をした。

 それから玄関へと向かうまで、時島は何も言わなかった。

 だが、俺が扉のドアノブに手をかけた瞬間、時島が隣に歩み寄ってきた。そしてドアに手を付いて閉め直すと、もう一方の手で、俺の腕を強く引いた。

「今出て行くのは自殺行為だ」

「だけど――」

「何もしないから、落ち着け」

 その言葉に、俺は全身が震えていて、動揺している事に、今更ながらに気がついた。

 時島はそんな俺を引き寄せると、不意に抱きしめた。

 その温もりが、夢の中の温度と同じに思えた時、俺は泣いてしまった。優しく感じたのだ。

「俺……怖いんだ。男に、レイプされた事があるんだ。男なのに」

 碧依君を除いて誰にも言えなかった事を、その時の俺は縋り付くように、時島に話していた。すると時島の腕に力がこもる。

「俺は、酷い事を絶対にしない。とにかく、自分の部屋に戻るのは危険だ。だから――ここにいてくれ。心配なんだ」

 その言葉を耳にした直後、急に俺の視界が暗転した。俺はそこで、意識を失ったらしい。

 ――気づくと俺は、借りている布団の上で寝ていた。

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