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第7話 風邪薬

 ボンゴレを食べてから、その後も怪談話をしている内に、朝になってしまった。

 酒の入っていないオールは、久しぶりだ。

 途中から、俺は頭痛とクシャミが止まらなくなっていた。悪寒もする。

 俺は帰って、これから寝ようと思い、立ち上がった。

「今回は急に悪かったな。家帰るわ」

 俺の言葉に、ニュースを見ていた二人が、揃ってこちらを見た。

 その間にも鼻水が出そうになって、俺はすする。

 すると時島がティッシュの箱を渡してくれた。それを見ながら紫野が言う。

「まぁもう朝だしな、時島もちゃんと――取ってやったんだろう?」

「……取ったというか」

 怖かったので、何を俺から取り去ったのかは聞かない事にした。何故なのかこの時の俺は、『早く帰らなければならない』と思っていたのだ。ぼんやりと、『二人に風邪を移しては悪いし』とも考えていた。

「バイクで送るか?」

 紫野の言葉に、笑顔で首を振る。時島は俺をじっと見ているだけで、特に何も言わなかった。

 あんまりにもこの一晩、二人の態度が普通すぎたから、俺は自宅への恐怖を忘れていた。

 ――それにしても、頭が朦朧とする。

 これは本格的に風邪を引いたなと思いながら、帰りにコンビニで飲み物などを買った。まだ朝闇で薄暗い家の中へと入り、俺は目で本棚の上の救急箱を探す。今も存在するのかは知らないが、我が家には幼い頃から『富山の薬売り』という人々が来ていた。地元なら大抵どの家にも、薬売りが置いていく黄色い救急箱がある。一人暮らしをする際に、俺も救急箱を持たされた。

「風邪薬……」

 それらしき小瓶を見つけて、俺はペットボトルを片手に、ベッドに座る。

 瓶の中には白い薬が数錠入っている。一回二錠、服用するらしい。錠剤を口に含み、静かに飲み込む。

 するとすぐに睡魔が来たから、毛布を握りしめて、布団をかぶった。

 それから――どれくらい眠ったのか。

 俺が足音を聞いて目を覚ますと、周囲はすでに夕方の薄闇に包まれていた。

 熱が上がっているのか酷く喉が渇いていて、思考が上手くまわらない。

「お兄ちゃん風邪って大丈夫? はい、これ」

「ああ、悪い」

 俺は妹から、昨日も飲んだ風邪薬の瓶を手渡された。

 それを再び二錠手に取り、俺はミネラルウォーターで飲み込む。

 するとまたすぐに睡魔が訪れたので、俺はベッドに横になった。

 そんな事を三日ほど繰り返し、俺は久方ぶりに朝の光の中、目を覚ました。どちらかといえば、俺は夜型なのだ。ただこの時は、十分な睡眠を取っていた状態で、玄関の呼び鈴の音が響いてきたから、一気に覚醒したのだと思う。

 いざ起きあがってみると、熱っぽさは無くなっていた。だが代わりに、気怠さが全身を支配していた。体を動かすのが億劫だ。そうは思いつつ、玄関へと向かう。

「おぅ、左鳥。風邪だって?」

 やって来たのは、紫野と時島だった。

 いつも通りに笑っている紫野の顔を見たら、ホッとして安堵の息が漏れてしまった。

「具合悪かったんなら早く呼べよ。一人暮らしの天敵だろ、風邪なんて」

「それがさ、妹が看病に来ててくれたんだよ」

 ちょっとだけ照れくさく思いながらそう告げると、紫野が首を傾げた。

「左鳥……弟しかいないんじゃなかったっけ?」

 その言葉に俺は硬直した。笑みを消す間すら無かった。きっとこの時の俺の表情は、奇妙なものになっていただろう。

 そうだ――妹? 俺には妹なんかいないじゃないか。

「じゃあ一体、誰が風邪薬を……」

 確かに俺は一日二回、促されて風邪薬を飲んでいた。あれは、何だったんだ?

 俺が呆然としていると、時島が瓶を手に取った。

「風邪薬ってこれか?」

「あ、ああ」

 手を伸ばして俺は眉を顰めた。

 中に入っていたのは……誰かが、北海道土産で買ってきてくれた、マリモによく似た白い物体だったのだ。

「……なんだこれ? 俺は白マリモを飲んでいたのか……?」

 事態の理解が上手く出来ず、俺は空笑いをした。

 だが時島も紫野も笑わない。

「なぁ、左鳥。本気でこの家から、引っ越す気は無い?」

 紫野の言葉に、今すぐにでも同意してしまいたかった。

 だが敷金礼金を準備するあてが無い。

「おかしいだろ、この部屋。時島もそう思うだろう?」

「ああ」

 二人の声に、俺は俯いた。

「……そう言われても」

「とりあえずは暫くは、時島の家にいろよ」

 出来ればお願いしたいなと思い時島を一瞥すると、頷いてくれた。

 結局その日から、俺は時島のマンションへと、お邪魔する事に決まった。

 今度は一泊の予定では無かったから、衣類や教科書類の準備をする。お茶を出して、二人には待っていてもらう事にした。

「だけどお前ら、よく俺が風邪だって分かったな。誰にも連絡をしなかったのに」

 ふと思って俺が尋ねると、その場に沈黙が降りた。

 俺は何か変な事を言ってしまったのだろうか。驚いて、俺は振り返った。

「お前は、俺に電話してきた事を……覚えてないのか?」

 時島が緑茶を飲みながら、俺を見て呟くように言った。

 狼狽えて、俺は目を見開く。

「俺が……? 何て言ってた?」

「『悪質な風邪に罹った。特効薬があるから、すぐにでも飲みに来て欲しい、多分移ってる』――まぁこんな感じだったが……すごい剣幕だったぞ」

 腕を組んだ時島が、心なしか表情を固くした。すると紫野が笑う。

「時島から話を聞いた時は、ついに変なクスリにでも手を出したのかと思った」

「待ってくれ、俺、そんな電話、してないし。クスリなんかやらない」

「クスリは冗談だけど、時島に電話が着たのは、俺見てた」

 紫野の言葉に怖気が這い上がってきた。衣類を鞄に詰める手が震える。

「それにさ、時島の家から帰る時も、急にぼーっとし始めて、なんか、おかしかったんだよな」

 紫野が続けながら、持参していたカフェラテのストローを噛んだ。

「『帰らなくちゃ、帰らなくちゃ』――って、ブツブツ言ってたのは……あれは、何だったんだ?」

「俺はそんな事を言った覚えが無い。紫野、止めろよ。俺を怖がらせるな。時島、嘘だよな?」

「俺も聞いていたから、紫野の話は嘘じゃない」

 目眩を覚えて、俺は床の上で肩を落とした。

 俺は、おかしくなってしまったのだろうか。英語ノイローゼを引きずっているのか。

 ――こうしてその日から、俺は時島に泊めてもらう事になった。

 そして……更なる、異常事態に遭遇する事となるのである。

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