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第2話 くねくね

 ゴールデンウィークが終わったのは、昨日の事である。連休をわざと外して、印刷会社に勤めている弟が、帰省するのは本日だ。俺は顔を合わせる前に、ひと仕事を終える事にした。

 現在の俺は、在宅でライターをしている。結局、書く事からは、離れられなかったのだ。ただ少し休みたい。この仕事を終えたら、暫くの間は、日課となっている『記録』を書く事に専念したい。

 ちなみに弟と俺は、五歳ほど年齢が離れている。年の差のせいか、あるいは――お互い小さい頃に、別々の場所に預けられて暮らし、寂しい思いをしていたせいなのか、昔から非常に仲が良い。少なくとも、俺はそう感じている。

 俺達は顔を合わせると、酒を飲みながら、必ずと言って良いほど思い出話と――オカルト話に花を咲かせている。俺が学生時代に引き受けた、怖い話のネタ探しが契機だった。

「怖い話を知らないか?」

 俺が弟に、最初にそう尋ねたのは、一体いつの事だったのか。

 話してみると案外、俺と弟の周囲には、怖い話が溢れていた。二人で思い出を掘り返してみると、不可思議な出来事が思いの外、多かったのだ。

 例えば俺と弟は、二度ほど『くねくね』らしき存在と遭遇している。

 ――一度目は、俺が小学三年生の年だった。

 この頃は、毎年夏には、母方の実家がある東北地方の小さな村に、弟と共に遊びに出かけていたものである。

 この村は、O群の――仮に、椚原村としよう。

 山の中にある集落だ。他の集落とは独立した場所にある。別段椚原村が特殊という訳では無くて、町内に独立した集落がいくつもあるという作りは、この界隈では多い。市町村合併の名残だ。その為、公的な町の括りとは別に、『村』と付けられて呼ばれていた。

 どんな村かと言えば、それこそ田舎とでも言うしかない……代々の区長様やら庄屋やらその他数人の名家が存在し、古い因習もあり、今でもなお呪術師の末裔が存在している、そのような土地だ。ムシオクリも近年まで存在していた。

 ホラー小説を読んでいて、古い村と聞くと、どうしても俺は、あの椚原を連想してしまう。

 母方の実家には蔵がある。また居間には、天井の半分を占拠する神棚が存在する。神道の家系だ。寺の住職になっている人間も、家系図を見ると多い。年末年始には、土着した神道の行事をひっそりと行っている。まぁ――ありがちな、嘗ての地主の成れの果てである。長女である母が家を継がなかったので、少なくとも江戸から続く椚原の家が今後どうなるのかは分からない。

 こんな風に書いていくと、俺があの村に対して、否定的な見解を持つように思えるかもしれないが、個人的には祖父の家が大好きだ。弟も椚原が大好きらしい。

 祖父の家の周囲には、田園風景が広がっている。それこそ俺が小学校を卒業する少し前までは、昔話のアニメに出てくるような、整形されていない田畑が広がっていた。形が四角では無かったのだ。歪みながら辛うじて台形を描いていた事を、鮮明に覚えている。案山子も立っていたはずだ。

 だがら最初は――『それ』も、案山子だと思った。

 緑色の田の中で、揺ら揺らと動いている白い物。

 布が風で揺れているのだろうと、俺はあまり気にしなかった。弟の手を握っていた覚えがある。

 弟は幼い頃、それこそ天使と見まごうほど可愛く、いやもう本当、俺はその小さな手と温もりが大好きで仕方が無かった。

 俺だけの評価ではなく、家族、親戚一同、嫌、近隣住人の皆が口を揃えて讃えるほど、愛らしかったのだ。

 俺は勉強が出来るという意味で神童と言われる事はあったが(今思えばただのお世辞である)、弟の顔面は神すら震撼させるくらいの輝きを放っていた。別に今が悪いとは言わないが、幼少時の弟の顔面は、煌めいていたのである。

 そんな弟が、俺の手を握り返しながら、コテンと首を傾げた。

「サトぉ、あれ、何?」

「どれ?」

 弟は俺を、左鳥から取って、『サト』と呼んでいる。俺は弟の右京を見た。すると右京は、田んぼをもう一方の手で指し示す。つられて視線を向け、俺はつい先ほど案山子だと判断した物を、改めて視界に捉えた。

 形は確かに案山子のようで、人の体を模している。だがよく見てみると、白いワンピースでも着ているのか、全てが真っ白く思えてきた。その上、この時にいた位置からでは、距離があるので、材質なども分かるはずが無いと言うのに、ナメクジのような印象を受けた。

「案山子だよ」

 しかし俺は、他に語彙を見つけられなかったので、そう告げた。

 この当時、既に『くねくね』という名称が存在していたのか否かは知らないが、少なくとも俺は、『くねくね』などと言う言葉を当時は知らなかった。なので笑顔で言い切り、俺は弟を見る。すると……号泣していた。何があったのか分からず、俺は表情を失くす。すると小さな指で、俺の手を、ギュッと弟が握った。

「何してんだ?」

 そこへ祖父が声をかけてきた。

 ――虐めていない、確かに俺は弟の泣き顔が好きだからよく泣かせるけど……と、慄きながら、俺は振り返った。右京が泣き出した事にも狼狽えていた。

「案山子が……」

 必死で俺が告げた瞬間、祖父が青褪めたのを覚えている。あの顔色の変わりっぷりは、今でも印象的だ。そのまま俺と弟は、急いで歩くように促された。そしてその後、蔵の中へと連れて行かれた。蔵の中は、壁にしめ縄があり、そのそばには獅子舞の首が鎮座していた。その正面に、二人で座るようにと言われた。

「今から、前昭さんを呼ぶから待ってろ」

 祖父は深刻そうな声を放つと、蔵の戸を閉めた。当時の俺一人の力では、何をやっても開かない。その上何故、父まで呼ばれる事になったのだろうか……幼い俺にはさっぱり分からなかった。そのまま弟が、泣き疲れたのか眠ってしまった。その内に俺も寝た。

 翌朝、両親に泣きながら抱きしめられたのだが、未だにその理由は分からない。

 当時の話を何度か尋ねたのだが、両親は『忘れた』と笑うし、祖父は『案山子だ』と言う。結局あれは案山子だったのだろうか。

「あれって、絶対に『くねくね』だったよね」

 帰省してきた弟が、缶麦酒を手に取りながら笑った。先程出迎えて、現在は二人で居間にいる。こうして今年も、『くねくね』の話が始まった。

 本日は、父は仕事で、母は椚原に出かけている。過去にはこの家に同居していたと言う父方の祖父母は没しているので、今は弟と二人だ。

 ――さて、『くねくね』には、もう一度遭遇した。

 二度目は、一度目の翌年の出来事だった。俺達兄弟と、椚原の祖父宅の近所に住む、晶君という男の子の三人で、肝試しに行った時の記憶である。

 晶君は椚原で生まれ育った少年で、同じ年である事も手伝い、俺の幼馴染みだ。丸い鼻が印象的で、とても小柄だった。

 椚原は、高い道路から幾重にも連なる曲がり角を下った場所に作られている。竪穴式住居のように、家々が道路の一つ下に並んでいた。時折、道路と同じ高さの家があったりする。俺の祖父の家もその一つだった。これは今も変わらない。

 坂道を下から出発し、俺達は上った所にあるお寺を目指した。

 一度火災で焼けてしまったそうで、現在では比較的新しい寺が建っているのだが、昔はそこに江戸時代から続く各家の家系図があったらしい。

 なお父方の家系図は、ごく普通に実家の抽斗の中にある。

 両親共に我が家は農家で、江戸時代くらいには既に現在の土地にいた様子だ。墓石的には、もう少し前から住んでいたらしい。墓地には沢山の、ご先祖様の墓石がある。

 さて……寺へ行く最中に、それは起こった。

 坂の真正面にお寺が見えた時、街灯の正面に、白とも黒とも判別出来ない、強いて言うなら黒を透過させて白に近づけたような色の、人の形をした何かが現れた。

 俺はこんな時間にも、お参りをする人がいるのかと驚いた。人間だと信じて疑わず、見られたら困ると、心配ばかりしていた。

 何せ……俺達は子供だけで肝試しに行く事が露見しないように、嘘をついて出てきていたのだ。

「すぐそばで花火をしてくる」

「お母さんが、近くにいるから平気だよ」

 このように、お互いの家族に言って出てきたのである。

 夜の八時くらいだっただろうか。十時だったかもしれない。忘れてしまった。

「なに!? あれ!?」

 俺とほぼ同時に、蠢くものを視界に入れたようで、晶君が叫んだ。目を見開いていたのを覚えている。弟は俺の手を握りしめた。

「見に行ってみよう」

 何せ『肝試し』だ――と、俺は宣言した。率直に言って俺は当時、怖い話は好きだったが、お化けというものを信じてはいなかった。信じていないから好きだったのだ。

「駄目だよ、お母さんを呼んでくる!」

 晶君はそう言うと、逆走を開始した。弟は、暫く俺と晶君の姿を見比べた後、泣き出した。

「僕も、お母さんを呼んでくる!」

 そして弟も走り出した。取り残された俺は……『ま、肝試しだしな』と、思いながら、お寺へと向かった。正直、こんな時間に寺に行く人物に興味があったのだ。どうせ怒られるならば、見に行ってから怒られても構わないだろう。それに、晶君ですら知らない人間がそこにいるらしいのだ。この村は、全員が顔見知りだと聞いた事があったので、逆に興味が惹かれた。大方村への帰省客だろうが――帰省しているのは俺達だけだと昼に聞いていたから、不思議だったというのもある。

 俺が歩いていくと、『くねくね』としたものがそこにいた。しかし俺が進むと、それもまた後退るように動く。結果、俺が寺の石段の前に立った時には、それは寺の壁の後ろへと行ってしまった。どこか不思議な動きで、浮かぶようにフワフワと遠ざかっていったのだ。

 さて、石段を登るかと、好奇心と恐怖が綯交ぜの状態のままで考える。

 すると――ガシッと手首を掴まれた。

 ……祖父だった。

 そちらの方に、余程心臓が止まるかと思った。

 俺の祖父は、晶君の祖父と、更にもう一軒の隣家のお爺ちゃんを連れて、鉈を持って立っていた。俺はその場で激怒され、怒鳴られながら、他の二人が寺の周囲を、一周するのを見ていた。結局そのまま、『何もいなかった』と言う事で事態は収まった。

 個人的な見解を言えば、『くねくね』らしき存在を見たが、俺も弟も、特に異常をきたしてはいないと思う。何でも、『くねくね』を見ると、人間は異常をきたすらしい。

「あれ、絶対、『くねくね』だよね」

 弟が、再び言った。スマホで、オカルト系のまとめブログを見ている。

 俺は麦酒を弟のグラスへと注ぎながら、深く考え込んだ。

 俺は――時島達とつるむようになってからは、二人から怖い話を聞いた事もあるし、実際に体験した事もあるが……あの二人と深く関わる以前の、自分個人の体験談はさして怖いとは思わない。

 たった一つだけ例外はあるのだが。それは俺が高校を中退する契機となった一件だが、俺は思い出さない事に決めている。意識して記憶に蓋をしているのだ。

 弟がグラスを受け取った。

 そこから怖い話を、互いに挙げるのも、いつもの流れだった。

 そんなわけで――俺個人の、数少ないオカルト体験を、この日も回想した。

 折角なので、それらもまた、『記録』に残そうと考える。

 これは、小説でも仕事の記事でも無く、ただの『記録』だ。本格的に、時島達と関わるようになる前の、即ち非日常が日常になる以前の、平々凡々な俺の毎日の断片であると言える。

 書く事で、それらの思い出を昇華出来ると良いなと、俺は願っている。

 仮名にしている人々や土地は、この『記録』の中において、一度しか名前が出てこない場合もあるが、一人一人が大切な俺の思い出の欠片でもある。なお、現実の舞台が推測出来た場合でも、心の中に留めておいて欲しい。あくまでも、フィクションとして捉えて頂きたい。

 もし仮に、この『記録』を、目にした『誰か』――即ち、『貴方』が、そこにいるのならば。

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