コオロギは比較的狩りやすいらしい、とロックが言った。元々食用コオロギを養殖していたのだが、それが巨大化した例があるらしく、養殖というのもあって完全に野生由来のコオロギよりは大人しいとのこと。本当かどうかはデデには判別しがたいが、作るメニューは決まった。デデは地元民に味噌と醤油を調達するように頼んだ。慣れ親しんだ調味料なら味が推測できるし使いやすいと思ったのだ。
ロックの仲間をひとり連れて元食用コオロギがいるという草むらを目指した。ひとりだけ連れて行くのは万が一命を落とすレベルの事態に遭遇した時に犠牲を小さくするためだ。彼の名前はギーと言ってロックよりも若い。背が高くデデと同じくらいはある。ギーは千年生きている人工生命体であるデデに興味津々だ。確かに今は製造されていない骨董品。物珍しさはある。
「千年前ってどんな世界だったんですか。もっと人口多かったんすよね。町もギュウギュウだったんじゃないすか」
「ギュウギュウってわけじゃないが。まあ、今よりはヒトとの遭遇率は高かったかな」
「俺は今ぐらいスッキリしてる方が好きかもな」
まあ、確かにスッキリはしてるよな。デデは苦笑した。デデも静かな今の方が良いと思う瞬間はある。
ギーが案内したのは大きな建物がポツンと建った広い土地だった。建物の周りには背の高い草が生い茂っている。彼は「元々は学校だったらしいっす」と言ってから「中入ってみます?」と建物を指差した。デデが頷くと慣れた様子でポッカリと空いた四角い窓から侵入した。
「ガキの頃よくここ入って遊んだんすよー。ほかにやることもなかったし」
どうりで足取りに迷いがないわけだ。ギーに付いて歩き階段をひたすら上ると屋上に出た。少しでも体重をかけようものなら外れて落ちてしまいそうな柵の傍でギーが「結構眺めいいでしょ」と言った。デデが見渡すと確かに町全体を一望できた。景色は砂埃の茶色と塗装の剥げた建物の灰色、雑草の緑の三色が基本のサッパリしたものだった。
「あっち」とギーが西を指差す。「繁華街だったらしいんすけど今はクィーが出まくってるんで入らない方がいいっす」
「ふむふむ」
「俺がガキの頃はまだ行けたんですけどね。ヒトはどんどん東に追いやられてて。そのうち海に住むようになるんじゃないすかねー、なんて」
ははは、と笑うギーの表情は冗談と諦めがない混ぜになっていた。
さて、ここからが本題のコオロギ採集である。デデとギーは校舎の外に出て校庭だった場所へ降り立った。バチヅルで草を掻き分けると体長二十センチメートルほどのフタホシコオロギがいた。「できるだけ活かした状態で持っていきたい」とデデが頑丈な布袋を広げるとギーは「無理っす」と即答した。
「その方が多分美味い」
「それはそうなんだろうけど」
「俺がコオロギを押さえるからギーは後脚を切除して欲しい」
「ええー」
デデはバチヅルを放り投げた。コオロギの上に馬乗りになるようにして脚で身体を挟み込んだ。両手でしっかり押さえ「後脚」とギーを見上げる。ギーは「あーもう」と頭をグシャグシャ掻いてからデテのバチヅルを掴んでコオロギの後脚に振り下ろした。
そんな作業を数回繰り返して八体ほどの巨大フタホシコオロギを手に入れた。跳ねる能力を失ったコオロギは大人しい。デデは袋の口をしっかりと縛って肩に担いだ。
「これでご飯が作れる」
「良かったっすね、よし帰ろう」ウンザリした顔のギー。何度もバチヅルを振り下ろした腕を振ったり揉んだりしている。デデは頷きバチヅルを手に取った。が、すぐに「あ」と声を上げた。
「何なんすか」
「今イナゴいたよな」
「イナゴ?」
「あれも取って帰りたい」
「コオロギ取ったじゃないすか」
「イナゴの佃煮も作りたい。今夜は豪華なディナーになる」
再びガサガサと草むらに足を踏み入れるデデに「帰りましょうよー」とギーが額を押さえながら言った。
デデとギーが病院に戻る頃には日が暮れていた。病院の前にロックの仲間のひとりである女性がいた。ギーが「あ、母ちゃんだ」と呟く。女性はふたりに気が付くと駆け寄り「やけに遅かったじゃないか。心配したんだよ」と言った。ギーと彼女は親子だったのか。デデはこの時初めて知った。
デデは「町のことを教えてもらっていた。あとコオロギの他にもイナゴを捕まえていた」と口を開く。「怪我もしていない。心配させて済まなかった。あとは俺とカインでできるからギーはお母さんと帰っていい」
「ほら帰るよ」と女性がギーを急かす。ギーはデデをチラリと見るが何も言わずに母親と歩いていった。デデはコオロギとイナゴの入った袋を担ぎ直して病院に入った。診察室の机と椅子でカインが何やら書いていた。どうやら一応勉強はしているらしい。カインはデデに気が付くと「おかえり」と朗らかな声を上げた。
カインの体調は安定したようだ。しばらくムシを食べていないと吐き気を訴えるので恐らく妊娠初期のつわりのような状態になっているのだろう。クィーはヒトの胎児よりも急速に発達するのでやはり少しずつでも毎日ムシは食べさせた方が良さそうだ。
デデはカインとキッチンに行った。カインには米を炊く準備をしてもらいデデはコオロギの処理を始めた。袋から後脚のないコオロギを一体出すとカインが「ポルレ」と言った。
「ポルレってなんだ」
「ママがムシのことをそう呼んでたんだよ。多分ママの生まれた国ではポルレって呼んでたんだと思うよ」
「ふーん」とデデは呟いた。ポルレ。やけに可愛い呼び方である。そういうわけでデデはこのポルレを台に乗せ腹部に包丁を入れた。内臓を傷付けないよう丁寧に開き取り除いた。どの動物を食べる時もそうだが、昆虫も食用とする際は何らかの方法で糞を出す。イナゴであれば佃煮にする前に一晩絶食させ糞を出した後に調理する。今回もその方法を取っても良かったが、できるだけ早く食べたいので腹から内臓を取り出してしまうことにした。全てのコオロギの内臓を取り終えたらイナゴも同様に。イナゴはさらに翅を毟った。
幸いなことにここは数百人の患者の病院食を作っていたキッチンだ。大きな鍋に大きなイナゴをそのまま放り込み水から煮た。火加減をカインに見てもらいデデはコオロギを、こちらも大きな鍋を使い素揚げにした。適当に切ってすり鉢に入れひたすらゴリゴリ摺る。カインがやりたがったのでそちらを任せデデはイナゴの鍋を見た。適当なタイミングで水を足しグツグツ煮た。
「デデは料理が上手なんだね」
「そうでもない」
「あのスープすごく美味しかったよ。町の人達に作ってもらったやつより美味しかった」その後カインは少し小さい声で「これみんなには内緒ね」と言った。
「うん」
粉状になったコオロギは半分を味噌と混ぜた。もう半分は塩と混ぜる。どちらもご飯のおともだ。毎日少しずつ食べるならこのやり方が良いのではないかと思ったのだ。イナゴはその後調味料を入れてひたすら煮た。ツヤツヤの佃煮が完成した。こちらも少しずつ食べて一週間ほどは持たせられるはずだ。日本の調味料を調達してくれた地元民達には感謝しかない。明日お裾分けでもしよう。
場所を移動するのが面倒だったのでキッチンで食事を摂ることにした。コオロギの味噌とコオロギ塩、イナゴの佃煮で炊き立ての白いご飯を頂いた。インディカ米なので粘り気が少なく、サラッとしたコオロギ塩よりは味噌や佃煮の方が相性が良い気がした。カインは味噌と塩をどちらも贅沢に乗せて「美味しい」と米を頬張っていた。
「カインは身体がこうなった後はずっとここに住んでいるのか」
「うん。もし急に生まれちゃってもここにいれば迷惑かけないし」
デデは何も言えなかった。これは隔離だ。どうすることもできない体質を抱えたカインから二次被害が出ないようにするための苦肉の策だ。それをカイン自身もしっかり理解している。
「ギーは時々夜に遊びに来てくれるんだよ」
「へえ」
「危ないから来なくていいって言ったんだけどね」
先ほどギーが帰宅を少し躊躇うような様子を見せたのはそういうことか。デデは開けっ放しの扉の向こうに見える廊下を見遣った。落書きだらけの壁と砂埃とゴミの散らばった床。デデは「最低限文化的な生活を目指そう」と提案した。
「ブンカテキな生活ってどんな生活?」カインは首を傾げた。
「日持ちのする食料も作ったししばらくは狩りに行かなくてもポルレは食べられる。明日から病院の中を掃除しよう」
「僕掃除とか片付けとか苦手だなあ」
「ここを当面のキャンプ地とするんだろ。少しは住みやすいようにした方がいい」
「キャンプチって?」さらに首を傾げるカイン。デデはお構いなしに米を掻き込んだ。