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終わる人類と、メシを食う
mazesobako
SFポストアポカリプス
2024年07月23日
公開日
12,666文字
連載中
巨大化した生物が闊歩する未来の地球。ヒトの形をした怪物“クィー”に人類は脅かされ、総人口は十億人を下回っていた。

千年前に人類を救うべく日本で製造された不死身の人工生命体デデは、とある事情で日本を脱出し大陸を彷徨っていた。途中立ち寄った町でクィーの胎児を孕んだ少年カインと出会い、胎児が出産目前であることを知る。“あるもの”を食べ続ければ胎児の発達を退行させられるというが……

終末世界でほのぼの生活を営むお料理小説。SF風味。

アリの子とジャガイモのポタージュ

 人類が衰退して、世界はずいぶんと静かになった。何とか営みを継続している都市に人が集まって、それ以外の地域はほとんど住民を見かけない。夜聞こえるのは虫やカエルの鳴き声ぐらいだ。最近では野良猫の喧嘩がデデにとっての娯楽になった。それぐらい何も起こらない世の中になったというわけだ。


 いや、常に何かは起こっているのだ。楽しいことではないだけで。巨大化した昆虫にヒトが食われたり、凶暴化したクマにヒトが食い千切られたり、巨大で高い知能を持つヒトの形をした何かにヒトが攫われて数日後に肉塊になってその辺にばら撒かれていたり、そんなことはしょっちゅう起こっている。楽しくない。デデは田舎に引っ込んで虫の声を聞き野良猫の喧嘩を見て時々巨大化した生き物の相手をしてのんびりと過ごしていた。


 そうもいかなくなってきたのが一年前。国外脱出を決めたのが先月のことだった。飛行機が苦手だったので海路を選んだ。島国というのはこれだから困る。ひたすら歩けば国を脱出できるというわけでもない。明日穿くためのパンツと金とレーションとバチヅルを持って違法に航行されている船を乗り継いだ。不衛生で定員オーバーで今にも沈みそうな船で何とか大陸まで来た。正直、具体的にどの地に下りたかはよくわからない。


 大体千年ぐらいの時間使い込まれた脳味噌にはあらゆる国と地域の言語が詰まっているが、勉強をしただけで実際に使ったことはほとんどない。まあ、文章を読むのとリスニングができれば充分か。


 デデは目的もなく歩いた。巨大化した昆虫に食われないように、凶暴化したクマに食い千切られないように、巨大で高い知能を持つヒトの形をした何かに攫われないように移動したい人々の用心棒をやって報酬を得た。かつてデデが何をしていたのか知る人はとっくの昔に寿命を迎えている。その方がデデには都合が良かった。長生きもしてみるものだ。


 多分一ヶ月以上は歩いた。その間にいろんな人々の営みも見てきたし死にも立ち合った。もちろん野良猫の喧嘩も。どの国にいても野良猫の喧嘩は見ていて面白い。


 久しぶりに海を見たいという単純な動機で東を目指した。辿り着いたのは、かつてはそこそこ大きな町だったのだろうなと思わせるような場所で、誰かが管理しているかはともかく建物がいくつも建っていた。建物の前にパラソルやテントがズラリと並んだ市場があり、多くの人が行き交っていた。売られているのは主に魚か果物だ。米もある。道端の火炎樹は本で読んだ通り燃えるように真っ赤だった。今は五月か六月くらいか。人口が減ったせいかここ五十年くらいは自然が生き生きとし始めている。こうやって地球はジワジワと人類を滅ぼし自然を取り戻していくのかもしれない。


 本来の目的である海を見に行こうと川沿いに進んでいると地元民の男性に声を掛けられた。見かけない顔だったせいか「旅で来たのかい」と言われた。


「まあ、旅」とデデは頷く。


「どこから?アジア人っぽいけどな」


 最近は混血が進んで顔立ちから人種を見分けるのは難しくなってきているし、相手によっては不快に思う時もあるから若い人間はそんな質問をしない。年寄りはまだそんなことを気にするんだなと思いながら「日本」と答えた。


 男はどこかをチラリと見てから「見て欲しい奴がいるんだ」と躊躇いがちに言った。デデが首を傾げると「おまえ医者ってよりは炭鉱夫っぽいけど、頭は良さそうだし、何かわかることがあれば教えて欲しいんだ」と褒めているのか貶しているかわからない発言をした。炭鉱夫のイメージはバチヅルから来ているのだと思う。デデは特にやることもないので男に付いていった。


 連れてこられたのは病院だった。今は診察はしていないようで、薬やら医療器具が散乱している。デデは錠剤を拾いながら男の後ろを歩いた。落書きと錆と埃。廃墟ってどこも同じような様相になるよな。拾った錠剤を水なしで飲み込んだ。


 診察室の引き戸の前に人が数人集まっている。誰も診察室には入らず、こわごわ中を覗くだけだ。引き戸の取っ手を握る女性がデデを見て「ロック、誰を連れてきたんだい」と言った。ロックと呼ばれた男はデデを指差し「日本人だ。何か知っているかもしれないから連れてきた」と答えた。


「医者じゃないのかい」


「医者ではない」デデが答える。「2063年式人工生命体」


「千年前?ロボットか?」目を丸くするロックにデデは「ロボットじゃない。人工生命体」と返した。


「なんだい、ただのオンボロマシーンじゃないか」と女性は溜め息をつく。だから人工生命体だってば。訂正するのも疲れるので辞めた。溜め息をつきたいのはこっちである。人々の隙間を縫うように診察室へ入った。


 診察台に横たわるのはひとりの少年だった。クルクルの癖毛の色はブロンド、肌は褐色。下半身は何も穿いておらず、捲れたTシャツからポッコリと膨れた下腹部が見えた。身体の下に敷かれたシーツは汗か、他の何らかの体液で濡れている。表情は苦しそうだった。


 デデは周囲の人々に説明を求めるように振り向いた。ロックが片足だけ診察室に踏み入れた。


「クィーの赤ん坊がいるんだ」


「クィー?」


「そいつ、攫われて戻ってきたらそうなってて」


 なるほど。この辺りでは巨大で高い知能を持つヒトの形をした何かを“クィー”と呼ぶらしい。「で、何をしたらいいんだ?」と訊ねるとロックは「デカいムシを食わせれば腹が縮む」と答えた。デデは「ふうん」と呟いた。診察室を出て出入り口を目指す。ロックが慌ててデデを追った。


「おい、どこ行くんだよ」


「ムシ捕り」


「本当に行くのか?」


「行かなきゃ生まれるんだろ、その、クィーが」初めて発声する単語を不器用ながら口にするデデ。「他に伝えたい情報があれば歩きながらで良ければ聞くけど」


「あー、そうだな。あの子どもの名前はカイン。両親と妹と一緒にクィーに攫われた。無事に戻ってきたのはカインだけだった」

「ふむふむ」


「だんだん腹が膨れて、エコーで診察したら赤ん坊がいたんだ。男にはないはずの子宮まで見えて」


「子宮口は?」


「ない。だから腹を突き破って出てくるかもしれない」


「ホラーだな」適当に相槌を打つデデ。ロックは続ける。


「デカいムシから作ったお茶が効いたんだ。だから猟師が狩ってきたものを食わせてなんとかしてた。でも先月猟師がムシにやられて死んじまって」


 そのままどうすることもできずにカインの腹の中の胎児が発達してしまったというわけか。大体わかった。デデは病院を出てから「どこに向かえばいい」と訊ねた。


「南の空港の滑走路を越えた辺りにムシが出る場所がある」


「了解」


「なあ」改まったような口調でロックが言う。「日本の人工生命体ってことは、おまえまさかホシグチの」


「俺は千年前の骨董品だ。今の星口玩具とは関係ない」


 デデはあくまでも冷静に応じた。ロックも「そうか」と引き下がった。


 空港は今は使われていないようで、滑走路はアスファルトが割れそこから雑草が生い茂っていた。管制塔と思われる細長い建造物を覆うように草が絡まり大きな木のようにも見える。バチヅルで草を掻き分けて進むデデをロックが慌てて制止した。見れば足元に体長三十センチメートルはあろうかというアリがいた。


「オオヅアリだ」とデデは声を上げた。ロックは「こいつに噛まれると痛いぞ」とデデに耳打ちするように告げた。


 デデは「巣を探す」と言うと再び歩き出した。ロックは足元のアリを避けながらこわごわついてくる。臆病ではあるが案内人の役割は果たそうとしている。その辺りは評価してやろう。


 コンクリートと剥き出しの地面の間にポッカリと空いた穴を見つけた。多分ここがオオヅアリの巣穴だ。アリはデデ達のことをまだ敵と認識していないのか、足元に気を付ければ何もせずに巣穴に入ったり近くをウロチョロしている。デデはロックを見遣った。


「アリの卵とか幼虫を取る」


「なんだって?」


「今日のメシは決まった。俺が巣を掘り返してアリの子を出すからロックはそれをいくつか拾って来た道を戻って欲しい」


「逃げていいんだな?」


「アリの子を運んでくれるなら」


 デデ自身、オオヅアリの成虫とまともに闘うつもりはなかった。今回の目的は昆虫料理に使う食材調達だ。巨大化した昆虫を滅ぼすのが目的ではない。バチヅルの尖った方を巣穴に差し込んだ。「ちょっと待て心の準備が」と声を上げるロックを尻目にデデはザクザクと土を掘り返した。茶褐色の巨大アリがワラワラと出てきた。兵アリだ。既に脚が反対方向を向いているロックは「うわ、逃げていいか?」と言った。


「まだ駄目」


 バチヅルに噛みつく兵アリ。働きアリに比べて異様なまでに大きい頭部には頑丈そうな顎が付いている。デデがさらに巣を掘り返すと白っぽい卵が見えた。「五個ぐらい取っといて」とデデが言うが早いかロックは鶏卵ぐらいはありそうな大きさの卵を掴み上着のポケットに押し込み、入り切らない分は両手に抱えて走り出した。「仕事が速いこと」とデデは呟きバチヅルに噛みついた兵アリの胸を足で踏みつけながら大きな顎を引き離した。ロックを追って走り出した。


 病院に戻ると汗だくのロックが床に座り込んでいて、それを数人が取り囲んで材料調達の結果を聞いている様子だった。女性がデデに駆け寄り「あんたあのアリ倒してきたのかい?すごいじゃないか」と肩を叩いた。


「倒してはいない。アリの子を取ってきただけ」


「それでもすごいよ。銃も持ってないのに」


 デデは賞賛を何とでもないような表情で受け止め「料理をしたいから手伝って欲しい」と言った。「食材と調理器具、あとカインがあのままだと可哀想だから着替えと新しいシーツ」


 料理はかつて病院食を作っていたであろう広いキッチンを使った。電気と水道は通っていて加熱も問題なくできる。ロックが仲間の数人とアリの子を磨り潰していた。「わあ、幼虫出てきたぞ」とひとりが声を上げた。デデがエシャロットを刻みながら顔を上げると卵からオオヅアリの幼虫が顔を出していた。


「皮も柔らかそうだな。そのまま磨り潰して欲しい」


「うえー」と言いつつもデデの指示通り幼虫をゴリゴリ潰していた。その傍では女性が数人でジャガイモの皮を剥いている。とりあえずそれらしい品は作れそうだ。


 カインのあの様子だと胎児に胃を圧迫されて食欲もなさそうだ。切ったジャガイモをグツグツ煮てドロドロにした。タマネギの代わりに炒めたエシャロット、それに磨り潰したアリの子を入れてさらに牛乳と煮込み適当に味付けをした。器に入れて診察室に行くと乾いたシーツに清潔なシャツを着たカインがいた。下半身はやはり何も穿いていない。デデは診察台の横に椅子を置いてそこに座った。「カイン」と声をかけると少年はゆっくりと目を開いた。左右で目の色が違う。右が灰色で左は青色だった。


「俺はデデ。カインの調子が悪いと聞いて来た。スープなら飲めそうか」


「わかんない」カインが乾いた唇を開いた。デデは枕元に器を置き右腕でカインの上体を起こすとスプーンでポタージュを掬って飲ませた。カインは「わ、美味しい」と割と元気な声を上げた。


「もう少し食べられそうか」


「うん」と頷くカイン。ゆっくりと一口ずつ飲ませて器の中が空になった頃にデデが振り返ると診察室の外から数人がこちらを覗き込んでいた。その中からロックが歩み寄る。


「ありがとう」とロックは心底ホッとしたような表情を浮かべる。「何日か食べていれば少しずつ腹もへこむと思う」


「へこむのか」


「前にもこれくらい膨らんだことがある」それからロックは後ろにいる仲間を見遣ってから「デデ、しばらくここにいてくれないか」と言った。「俺達は狩りの仕方もわからない。教えて欲しいんだ。どうやって生き延びたらいいか」


 デデは唇に手を当てて少し考えてからポケットの中に押し込んだシートを出した。「報酬が欲しい。これ」


「なんの薬だ?」


「精神刺激薬。俺は普通のヒトより長く眠る。稼働できる時間が短いんだ。薬があればそれを延ばせる」


「今残ってる病院に掛け合って調達する」


「ムシの調達は俺がするが、やり方を覚えたいなら誰かひとりを同行させた方がいいと思う。今日みたいに、できるだけ安全な方法を考えながらやりたい」


「わかった」


 予定にはない展開だが、まあいいやとデデは思った。カインの面倒を一生見るようになったとしても、腹の中の胎児が発達と退行を繰り返す彼の寿命は長くはなさそうだ。ここに留まるのも長くて七十年といったところか。それに、カインを観察することでクィーのことが少しはわかるようになるかもしれない。デデはロックとその後ろの仲間を交互に見ながら「とりあえず今日はそれぞれの家に帰ってもらっていい」と言った。皆一様に肩の力を抜くように息を吐いた。


 アリの子のポタージュで当分の栄養をカインに与えている間、ロックはカインの生い立ちとこの町のことを話し始めた。ここは元々は観光地で、夜きらびやかに輝くビルや橋を眺めに来る人々が絶え間なく訪れていた。が、世界中のどの都市もそうであるように、クィーの襲撃で全てが変わった。攫われた人々は見るも無残な姿で地面に転がり落ち、性別もわからない状態の肉塊もあった。


 カインが攫われたのは一年前。両親や妹とともにクィーの襲撃に遭った。両親はふたりの肉が混ざり合った状態で発見され、妹はどういうわけか身体の中と外が入れ替わるように皮膚が捲りあげられていた。カインは無傷かと思われたが、一ヶ月ほどで下腹部が異様に膨れ上がってきた。病院で診てもらうと子宮に似た器官の中に胎児がいた。ヒトの赤ん坊とは比べものにならない早さで発達する胎児。クィーの子どもだと誰もが恐怖を覚えた。


 解決策を見出したのは全くの偶然だった。食欲のなくなったカインに旅人が栄養のあるお茶と称してムシを煎じたものを飲ませたら膨らんでいた腹が縮んだ。町の猟師がカインのためにムシを狩っていたが、先月巨大な甲虫に食い殺された。


 デデがアリの子のポタージュを飲ませ始めてから半月。カインの下腹部は平坦になった。へその下から脚の付け根辺りにかけて所謂妊娠線がいくつも走っていた。風船が萎んだように少し弛んだ皮膚を摘んで「なんだこれ」とカインはヘラヘラ笑っていた。

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