「こいつは誰かが呼んだのよね? そいつ倒せば何とかなるの?」
澪は割れた小瓶のことを思い出す。
「なるほど……、そうかもしれない。そいつが操っている可能性が高いですねぇ。しかし……」
シアンは辺りを見回したが、逃げ惑うパニックの観客しか見当たらない。
「多分、あの人よ!」
澪は出入り口の影で壁に寄りかかっている怪しい男を指さした。小瓶の飛んで来た方向にいる慌てる様子もない男、明らかに怪しいのだ。
「ほう?」
シアンは間髪入れず、そいつに向かって腕を振り上げた。
刹那、黄金に光る魔法陣が男の上に浮かび上がる。そして、魔法陣から黄金に光る鎖を吹きだしてあっという間にその男を縛り上げた。
シアンは宙を飛び、男に迫るとすらりと剣を抜く……。
「くっ!? な、何をする! 自分は王妃直属の親衛隊! 狼藉は重罪だぞ!」
胸に豪奢なバッヂのついたジャケットを着た男は、目を血走らせながら叫んだ。
「失礼……」
シアンは何の躊躇もなく男の手首を斬り落とす。
ぐぁぁぁ!
床に落ち、転がる男の手の中には何やら紫に光る魔道具が不気味に蠢いていた。
ふんっ!
シアンはその不気味な輝きをまるで汚いものを見るかのように一瞥すると、ブーツのかかとで即座に叩き割った。
あっ……ああっ……
青くなり、言葉を失う男。
すると、暴れまわっていた触手はぴたりと動きを止め、やがてずるずると闇の中へと戻っていった。
「お、王国に栄光あれ!!」
男はそう叫ぶと思いっきり歯を食いしばろうとした。しかし、シアンは自分の指先を素早く男の口に突っ込む。
む、むぐぐ……。
シアンの指を食いちぎらんばかりに力む男だったが、シアンはものすごい怪力で男の奥歯をむしり取った。
「自殺されては困りますよ? あなたには証言してもらわないと……。くふふふ……」
シアンは冷徹な目で笑顔を浮かべ、男は切断された腕をかばいながらガックリとこうべを垂れた。
◇
かくして
公式には無効試合となり、勝敗のないドローという形ではあったが、魔物を召喚した王妃の暴挙をシアンが丁寧に突くことで、領地の割譲だけはしっかりとなされることとなった。
そして、澪は魔物を退治した功績という名目で準男爵の爵位を与えられ、広大な森を手に入れることになる。
◇
「ふわぁ……。素敵なところね……」
澪は黒猫のシアンに連れられて広大な森の上空へと駆け上っていく。さんさんと照らす太陽の下、さわやかな森の風が気持ちいい。
どこまでも続く森の向こうには富士山のような綺麗な山が壮麗な姿を見せ、そびえている。
「ふぅ、この辺でいいかにゃ?」
シアンは大きな魔法陣を浮かべると、そこに澪をおろした。
「うわぁ、森の香りが気持ちいいわね……」
澪は大きく伸びをする。
「ご主人様? なぜこんな何もないところを領地に? 小さな街ならもらえたでしょうに」
シアンは人型に戻るとそっと澪に寄り添い、顔をのぞきこむ。
「ふふふっ。私はスローライフの方が似合っているのよ。この森に大きなツリーハウス作って、獣を狩ったり、野菜育てたりしてのんびり暮らすの。どう?」
「ははは。ご主人様らしいですね。スローライフ、いいじゃないですか。どんな獣でも狩ってきますよ」
「うふふ、シアン、ありがとっ」
澪はシアンの腕を取り、幸せそうに笑った。異世界に転移してから、以前のように世界が作り物に感じる頻度が減ってきている。そういう意味では一歩世界の真実に近づいたのかもしれない。このどこまでも続く原生林、ここでの暮らしがさらに一歩真実に近づくことにつながる予感がしているのだ。
澪はシアンに寄りかかり、その体温を感じながらにっこりとほほ笑む。
「お、早速ウサギを発見しました」
シアンがニコッと笑い、澪を見る。
「じゃあ、今晩はウサギのシチューかしら? うふふ」
「そうしましょう!」
シアンは楽しそうにそう言うと、ピョンとそのまま魔法陣から飛び降りていった。
澪はその後ろ姿を見ながらこれから始まる楽しいスローライフに胸を膨らませる。原生林に二人だけで住む、それは多くの困難があるに違いない。でも、シアンと一緒ならきっと楽しくにぎやかな生活になるに違いない。
「シアン、大好きだよ……」
澪は小さくなっていくシアンに向けて、そっとつぶやいた。
その時だった。二人を監視していた映像のモニターがブチっと切れ、画面が真っ黒になってしまう。
「障害発生! 至急原因を追います!」
海王星の衛星軌道上にある神殿でスタッフが慌てて叫び、キーボードをカタカタ鳴らした。
カツッカツッカツッ……。
ガラスでできた透明な床を高く響かせながら、白い法衣をまとった女性がやってくる。チェストナットブラウンの髪を揺らし、女性は真っ暗な画面をのぞきこんだ……。
「あぁ、これはダメね。エネルギー不足だわ」
女性はため息をつきながら肩をすくめた。
「あっ! 女神様! エ、エネルギー不足……ですか?」
「そう、この世界は多くの人の魂のエネルギーによって保っているの。人々の興味関心が薄れれば消え去るしかない……」
「そ、そんなぁ……。まだ彼らは始まったばかりですよ?」
「大丈夫、彼らの世界が消える訳じゃない。ただ……、観測不能になるだけだわ」
「そ、そうなんですね……」
担当官は澪たちの未来がまだ続くことにホッと胸をなでおろす。
「ほら、ボーっとしていない。世界は次々と生まれているの。キミの次の担当はこれよ」
女神は細くすらっとした指で空中に不思議な形を描くと、画面に新たな景色を映し出した。そこには中世ヨーロッパ風の城壁に囲まれた都市が映っている。
「こ、これは……」
「これはまた新たな世界……楽しいわよ」
女神は琥珀色の瞳をキラリと光らせ、嬉しそうに笑った。
了