「結局量子は【観測】によって結果も原因も決まるんだよ」
シアンはそう言いながら、カルビを皿からドバっとロースターにぶちまけた。ジュゥー! といういい音が響き渡る。
「観測……?」
「意識あるものがそれを認識するってことだよ」
「じゃあ、意識が認識しない限り何も決まらない?」
「そう。未決定の量子が漂うだけの空間になる。そして、宇宙はそれを嫌がるんだな」
シアンはカルビをつまんだまま肩をすくめ、首を振る。
「で、僕ら人間が認識し、世界を観測し、結果が決まって原因が決まる……」
「そう、つまり、認識する人が一番偉いんだよ宇宙では。きゃははは!」
シアンは楽しそうに笑って瑛士の背中をバンバンと叩いた。
「痛いですって! で、どう認識するか? が原因を作って結果を導き出す……。それが言霊……?」
「おぉ! 分かってるじゃん! きゃははは!」
「いやいやいや、地球には八十億人が常に何かを認識してるわけで、僕のたわごとが地球全体に影響するなんてありえないでしょ?」
「地球が八十億個あったらどうする?」
シアンはまだ生焼けのカルビに舌鼓を打ちながらいたずらっ子の笑みを浮かべる。
「は、八十億個……? 一人一個のマイ地球……。いやいやいや、そんな馬鹿な……」
「馬鹿でもなんでも八十億人いたら八十億個の地球にどんどん分岐していくんだよ。キミが守ったのはキミが認識した地球」
はぁっ!?
瑛士はその荒唐無稽な話に言葉を失った。宇宙は一つ、そこにみんなが住んでいると思っていたが、それは違うという。宇宙はどんどん分岐しながら増えていくというのだ。
「いや、そしたら宇宙の数は爆発しちゃうじゃないか!」
「そうそう、大爆発。誰かが想いを込めた言霊を吐くたびにどんどん増えていくからね。でも、宇宙にとってみたらこの程度の数はなんでもない。このさらに百兆倍あっても気にならないくらいの数でしかないんだ」
瑛士は言葉を失い、ただ首を振った。
億や兆などの数値は宇宙の前では無意味なのだ。無限の宇宙には、数えきれないほどの世界が広がっており、子供の戯言ですら【観測】として新たな世界に分岐させていく。その途方もない深遠さ、これが宇宙の現実だということに、瑛士はめまいを覚えた。
「あ、いや、でもこの世界は情報でできているんだろ?」
「そう。でも、その情報を処理しているのは量子コンピューター。宇宙に直結してる。宇宙の法則はこの世界でもそのまま通用するんだ」
「じゃあ……。『パパは生き返る!』って言い続けていたら生き返るの?」
半信半疑ながら、藁にでもすがりたい思いの瑛士は、シアンの腕をつかんで身を乗り出した。
「宇宙に採用されたら生き返る未来が選択され、原因が決まるね」
「採用されたらって……どうやって採用されるの?」
「それは僕も分かんない。ただ、熱意をもって何度も言ってると確率は上がる気がするよね」
シアンはカルビを頬張り、幸せそうにまぶたを閉じて味わった。
「……。『パパは生き返る!』『パパは生き返る!』『パパは生き返る!』」
瑛士はそう叫ぶと目をギュッとつぶって手を組み、祈る。本当にこれだけでパパは生き返ってくれるとは到底思えなかったが、今はただ祈るしかできないのだ。
◇
ウーロン茶を飲みすぎてトイレに出た瑛士は、部屋への帰りにタニアと会った。
「あ、瑛士! さっきは悪かったね」
タニアは申し訳なさそうに手を合わせる。
「さ、さっき……って?」
「馬が飛んじゃってさ」
タニアは肩をすくめる。
「あぁ、ちょっと驚きましたけどもう終わったことですから」
ひどい目には遭ったが、今ではいい想い出である。
しかし、タニアにとってはひどく負い目に感じているようだった。
「それで……。お詫びの品を用意したんだ。ちょっと来て……」
タニアはツーっと指先で空間を裂くと、瑛士に目配せをして瑛士を中へと引っ張り込んだ。
◇
「あれ? ここは……?」
連れてこられたのは、高級なカーペットの敷かれた緩やかにカーブしていく廊下だった。上からは小さなシャンデリアが下がり、キラキラと煌びやかな明かりを振りまいている。
「今晩のあなたのホテル……。お詫びに用意しといたわ」
タニアはウインクして嬉しそうにドアまで瑛士を引っ張った。
いきなりかわいい女の子にホテルに連れてこられた瑛士は、一体どういうことかと心臓が高鳴ってしまう。