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第9話 昼の月

「幸村さん、これお弁当。屋上で待ってるから」

 月曜日、ドキドキしながら会社へ行ったが、先輩は金曜日の夜のことは触れず必要最低限の会話で淡々と仕事をした。

 それから先輩は昼休みになると私にお弁当を渡し、いつも通り先に屋上へ行った。

 少し時間を空けて屋上へ行き、そっとドアを開けると

「先、輩……」

ドアを開けた向かいのフェンスにもたれ掛かかった先輩と目が合う。

「幸村さん、こっち来て」

 先輩は私を呼ぶと空を見上げる。

「上弦の月だよ。昼間でも綺麗に見えるんだ」

 促されるまま空を見上げると雲一つない青い空に、白い昼の月が小さく佇んでいる。

「太陽は眩しすぎてこうしてずっと見上げるなんて出来ないけど、月はいつまでも見ていることが出来る。優しい光だよね」

「昼に月を見上げることはあまりしたことがなかったです」

「知ってる? 月はずっと同じ面を向けて地球の周りを回ってるんだ。だから、地球から月の裏側は見えないんだよ」

先輩はゆっくりと私の方を向く。

「幸村さん、みたいだね」

「え……」

 どういう意味なのか頭が追い付かないまま、じっと見つめてくる先輩から目を逸らすことが出来ない。

「いや、ごめん。お弁当、食べようか」

 先輩は寂しそうに謝ると既にシートを敷いてあるいつもの場所に座った。私もシートに座ると一緒にお弁当を食べ始める。

「先輩、いつもありがとうございます。金曜日、すみませんでした」

 金曜日、何も言わず飛び出し、電話にも出なかったのに責めることもせず変わらずお弁当を作ってくれいる先輩に心苦しくなる。

「俺、自分が普通じゃないってわかってる。自分の行動が無意識に他人を不快にさせてることも。当たり前のことを受け入れられないんだ。おかしいよね」

「そんなことないです! 先輩はおかしくなんてありません」

 自分を責めるようなことを言う先輩にそんなことはないと否定したが、先輩は食べ終えたお弁当を片付けながらずっと俯いたままだ。

「大多数の人の当たり前と違うからっておかしいなんてことはないです。先輩にとって、それが当たり前ならそれが普通です」

 俯いた先輩の顔は見ないように真っ直ぐ前を向いた。

「ありがとう。けど、幸村さん、無理してるよね。急に帰ったのもこんな俺に嫌気が差したかなって」

「それは誤解です! 逆なんです……私が先輩に不快な思いをさせてるんじゃないかって怖くなって逃げ出してしまいました。本当にすみません」

 先輩は俯いた顔を上げると頭を下げた私の手を優しく握る。

「俺、自分が潔癖症だって自覚あるけど、それに合わせて欲しいとは思ってないよ。幸村さんにはいつも通りでいて欲しい。俺が何かやってたら、あぁ、またやってるなって見ててくれるだけでいいから」

 いつも通りでいいと言ってくれた先輩の声は優しかった。

「わかりました。でも、私にも出来ることはしたいと思ってます」

「ありがとう。でも、無理はしないでね。嫌なこととか、思ってることはちゃんと言って欲しい。この間みたいに黙って帰ったりしないで」

「それは、本当にすみませんでした。私、先輩の気持ち考えてませんでした」

「ううん。幸村さんは大学の頃からいつもちょうど良い距離で俺の側に居てくれる。それが凄く心地良かった。だから甘えてたんだ。でもこれからはちゃんと話そう。付き合ってるんだから」

「はい」

 黙って飛び出したことを本当に後悔した。先輩が嫌なこと、私にして欲しいことをちゃんと聞こうと思った。けれど、私の思いはそれだけではない。

 先輩の側にいると先輩に触れたくなるんです。手を握るだけじゃ物足りなくなるんです。

 だが、そんな欲深い思いはまだ言わないでおこうと先輩の顔を見上げ微笑み頷いた。

「また、家来てくれるよね? この間着てきた服も置いたままだよ」

「はい。今度は絶対、映画見て帰ります」

 先輩は私の顔を見てフッと笑った。

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