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第2話 ずっと触れたいと思ってた

--もう、会うことはないと思っていたのに

 先輩のデスクの隣のデスクに座った。そこはパソコン以外まだ何も置かれていないが、先輩の綺麗に整頓され、乱れのないデスクを見て、絶対に散らかさないようにしようと思った。

 先輩の教え方はとてもわかりやすい。

 初めての仕事内容に頭がいっぱいになっている私に

「はじめは全部覚えてようとしなくていいから」

要点だけをまとめて伝えてくれる。

「あと、これ貼っておいて」

 渡された付箋を受け取ると、おもいっきり手が触れてしまった。

(っ!!)

咄嗟に手を引っ込める。

「すっすみません! 私、何か拭くもの! あっ、アルコールティッシュあります。ちょっと待って下さい」

 動揺し、慌てて鞄の中を漁った。

「幸村さん」

 鞄に入れている腕を掴まれる。

 先輩の掴んでいる手がそのままスーッと降りてきて鞄から手を抜かれ、そして手のひらが重なった。

「幸村さん、落ち着いて」

「すみません……」

「どうしたの?」

「先輩、他人が触れるの嫌だと思いまして……」

「嫌じゃないよ、幸村さんなら。綺麗で、白くて柔らかそうで。昔からずっと触れたいと思ってた」

「っ!!!!」

 先輩の言葉にびっくりして繋ぐ手を離そうとしたが、ぎゅっと握られ叶わなかった。

「で、でも、以前、気持ち悪いって言っているのを聞いて……」

「まぁ、嫌な人は嫌だけどね」

 先輩はフッと笑うと手を離しデスクに向かうと何事もなかったかのように仕事を再開した。

(びっくりした……。先輩、私になら触れられるの嫌じゃないってどういう意味だろう。あの時、手が触れた時は……)

 私は大学の時の天体観測を思い出していた。先輩を避けるようになってしまったきっかけであるあの時のことを今でも鮮明に覚えている。

 触れてしまった手、渡されたアルコールティッシュ。先輩に嫌がられたとしか思えない。

 考えてもわからない私は姿勢を正すと机に落ちた付箋をパソコンに貼り、深呼吸してさっき教わった所を入力していく。

「幸村さんが入社してくるの楽しみにしてたんだ」

 パソコンに向かったまま先輩が話かけてくる。

「あ、凌に聞いてたんだよ」

「そう、ですか……」

「凌は咲子ちゃんに聞いたらしい」

「そう、ですか……」

「咲子ちゃんは俺がこの会社で働いてることは知らないと思う」

「そう、ですか……」

「幸村さんが経理部に来るって聞いて、自分から指導係に立候補したんだよ」

「そう、ですか……」

(いけない、今とんでもないことを言われた気がしたが、頭が混乱して『そうですか』しか言えていない)

 けれど、何と返せばいいのかわからずそのまま作業を続けていた。

「今日、終わったら飲みに行こうよ」

「えっ? 今日、ですか?」

「そう、歓迎会兼親睦会。二人で」

「二人で……」

「いいでしょ? 指導係だし」

「は、い……」

 全く乗り気でないのに、混乱したまま返事をしてしまった。

 就業後、連れて来てもらったのは完全個室のおしゃれな居酒屋だった。

「やっぱり個室はいいよね」

(知ってます)

 大学時代の飲み会も、出来るだけ個室にしてくれと幹事にお願いしていたのを覚えている。

「いらっしゃいませ! おしぼりです。ご注文はそこのタッチパネルでお願いします」

 目の前におしぼりが置かれた。

(私はこの後の流れも知っている)

 まず先輩はおしぼりで手は拭かない。おしぼりはそのままにして、後で枝豆などを食べた時に指を拭く用に置いておく。

 持参したアルコールティッシュで手を拭くと、もう一つ液晶用ウェットティッシュを取り出しタッチパネルを拭いた。先輩はこれでよくスマホ画面を拭いている。

 そしてやっと、注文をはじめるのだ。

「幸村さん、ハイボールでいい?」

「えっはい。私がハイボール好きなのよく覚えてましたね」

「幸村さんのことは何でも覚えてるよ」

「えっと……ありがとうございます……」

「ねぇ、幸村さん」

「はい」

「あの頃、俺たちけっこう仲良くしてたと思わない?」

 あの頃とはサークル時代まだ先輩を避ける前のことだろう。

「そう、ですね」

「なんで急に俺のこと避けるようになったの?」

「すみません」

「俺、なにかしたっけ」

「違います! 先輩はなにも悪くないです」

 申し訳なさそうに聞いてくる先輩に、急いで否定した。

 そこに、ハイボールとビールが運ばれてきた。

隣り合ったジョッキを無言でカチンッと鳴らすと両手でハイボールを持ちそのままなにも言わず一口飲む。

「私、先輩のこと、好きだったんです。あの日、流星群の日、一緒に並んで見てて。それで手が、当たりましたよね。その後先輩にアルコールティッシュ渡されて凄くショックだったんです。だって、私は手を拭きたいなんて思わなかった。むしろ、もっと触れたいって思ってしまったんです。先輩にとっては迷惑なことなのに……」

「……幸村さん、勘違いしてるよ」

「勘違い?」

「手が当たったんじゃないよ。俺が触れたんだ」

「え……」

 そう言いながら顔をじっと見つめられる。

「好きな人にだけは触れたいって思うの、変かな」

 先輩の言葉に全身の体温が上がっていくのを感じた。

 顔が沸騰しそうなくらい熱い。

 予想外の言葉に芽衣が固まっていると、机の上でハイボールを持っていた手に先輩が手を重ねてくる。

「言ったよね。ずっと触れたかったって」

「でも、アルコールティッシュ渡されて……」

「あれは、幸村さんが嫌がったと思ったんだ。すぐに手をよけられて」

「私も、先輩が嫌だろうと思って」

「俺たち同じこと思ってたんだ」

「そう、みたいですね」

「ねぇ、幸村さん。俺のこと好きだった、って言ったよね。今は? もう好きじゃない?」

「いえ……そんなことは……」

「じゃあさ、付き合おうよ」

「えっと…………はい、お願いします」

「良かった。本当はあの流星群の日に言いたかったんだ」

 先輩はそう言って『明日からが楽しみだ』と呟いた。

 私は明日から、そんな先輩の隣で仕事が手につくか不安になった。

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