幸村芽衣、22歳新卒。
入社三ヶ月目、今日経理部に配属され、いきなりピンチを迎えた。
「松永、先輩……」
「幸村さん、久しぶり。俺が幸村さんの指導係だら、よろしくね」
「はい……よろしくお願いします」
松永先輩は大学の天文サークルで一緒だった二つ上の先輩だ。
私が大学二年生の時に、入学した頃から仲良くしている咲子に誘われて天文サークルに入った。最近できた彼氏が天文サークルに入っているのだそうだ。そこで出会ったのが松永先輩だった。
咲子の彼氏、凌さんと先輩は高校時代からの付き合いらしく、二人は気心知れた関係、という感じだった。
先輩は、あまり口数は多くなく、いつも落ち着ついている人だった。そんな先輩はたまに少し冷たく感じる時もある。
サークルの飲み会で、テンションが上がったサークルメンバーの一人が先輩の腕に絡みついた時には
「気持ち悪い」
そう呟くのが聞こえた。飲み会中も誰かが手をつけた料理は絶対に食べないし、持参したアルコールティッシュでよく自分の机の回りを拭いていた。
「こいつ、潔癖なんだよ」
そう言いながら背中を叩く凌さんの腕を先輩はいつものことのように無言で振り払う。
(潔癖症、だったんだ……)
けれど、先輩は意外と優しく、よく周りをみている人なんだと、しばらくしてわかってきた。
夏の合宿で昼間の炎天下の中、はしゃぎすぎている凌さんに
「凌、少し落ち着けよ」
呆れながらも水を渡す。
「松永、ほんとに俺のことよくわかってるわ!」
凌さんはペットボトルの水を飲み干していた。
サークルで、星座早見表を手作りしてみることになった時、私はカッターで少し指を切ってしまった。
すると、どこからか先輩がやって来て
「幸村さん、これ」
そう言って絆創膏を差し出してくれた。
「ありがとうございます」
「気をつけてね」
「善処します」
先輩は小さくフッと顔を緩める。
(松永先輩が笑った……)
それだけで私は心を奪われてしまった。
それから咲子と凌さんと先輩の四人でいることも多くなり私はどんどん先輩を好きなっていった。
サークルに入って半年がたった頃、オリオン座流星群を大学の屋上で観察することになった。
予習をしておこうと思い、オリオン座流星群について調べていると、先輩が隣に座る。「オリオン座の一等星の一つ、リゲルは巨人の足っていう意味があるんだよ」
「そうなんですか! じゃあ私たちは巨人の足を見上げてるんですね」
他愛もない話をする時間がとても好きだった。もっと近付きたい、そう思うようになっていた。
けれど、以前飲み会で聞いてしまった『気持ち悪い』が頭から離れず、一歩が踏み出せなかった。それでも側にいられるだけで幸せだと言い聞かせ、先輩に嫌われないように適度に距離を保ちつつ接していた。
オリオン座流星群の日、サークルの皆で屋上に集まった。それぞれ望遠鏡や双眼鏡を覗いていたり、星座のスケッチをしたりしている人もいる。咲子と凌さんは二人で仲良く星を見ていた。
私は持って来ていたレジャーシートを広げ、寝転んで星空を見上げる。
「幸村さん、これ。冷えるから」
先輩がブランケットを掛けてくれた。
「ありがとうございます」
「俺も一緒に見ていいかな?」
「どうぞ……」
レジャーシートの少し端によると、先輩が隣に座りゆっくり寝転ぶ。
(ち、近い……)
緊張して顔が火照ってきたが、お互い空を見上げているため顔は見られなくてすむ。
「星、綺麗ですね」
「オリオン座流星群は一時間に五つくらい見えたら良い方なんだよ」
「けっこう根気がいりますね」
「…………」
静かで穏やかな時間が流れていた。
すると、私の手に先輩の指先が触れた。
(っ!!)
咄嗟に手を引っ込めてしまう。触れた方の手をもう片方の手で握っていると、先輩がおもむろにポケットからアルコールティッシュを取り戻し一枚渡してきた。
「え……?」
先輩は何も言わず、もう一枚取り出すと自分の手を拭く。
その様子に無性に泣きたくなりながらも私もそっと手を拭いた。
次の日から先輩を避けるようになってしまった。先輩の指が触れた瞬間、体中が熱くなった。もっと触れたいと思ってしまった。けど、先輩は他人に触れられることは嫌いだから、きっと私の気持ちは迷惑になる。そう思うともう側にはいられなかった。そうしているうちに先輩は大学を卒業していった。