安宿の一室、固い簡易ベッドの上。
そこに横たわっていたリーリエが、唖然とした顔で上半身を起こした。
俺が手にしたモノを指さして、ワナワナと。
「なんでしょうか……それ」
「短剣、だな」
「なんでしょうかそれ!」
「だから短剣だ。しかも錆びてる」
「そんなことは見ればわかります! なんでそんなモノが、私の中から出てきたりするのかってことを聞きたいんです」
俺は短剣を眺めつつ肩を竦めてみせた。
「言ったじゃないか、リーリエの中には隠し部屋があるって。そこから取り出したんだよ」
「隠し部屋……」
目を白黒させているリーリエだ。
まあわかる。ピンとくるわけないよな。
「その『隠し部屋』って結局なんなのでしょうか」
「誰かが、何かが、意図的に作り上げた秘密の空間のことだな。ダンジョンの中にもあるし大きなお屋敷でもたまに見掛ける」
あえて一般的な概念だけを語ってみる。
「そして今回、初めて人の中にも観測できた。こんなの俺も初めての経験だ」
思わず笑みが零れてしまう。
そうだこれは初めてのことなのだ。人の中に隠し部屋があって、手を伸ばしてみたら、こんな錆びただけの短剣が出てきた。
「本当にその短剣、私の『隠し部屋』の中から出てきたのでしょうか」
「ああ。しかも錆び錆びの短剣だ」
「まったく役に立たなそうなものですね」
「そうだな」
「……それなのに、なんでそんな嬉しそうなのですか?」
リーリエが、理解の追いついていない顔をしている。
当然かもしれない。
大金を掛け、労力を掛けて。
そこまでして俺が手に入れたのは、奴隷である彼女と錆びた短剣だけなのだ。
だけど俺の胸は、かつてないくらい高鳴っている。
だから躊躇うことなくこういった。
「そりゃ嬉しいからな」
「え?」
「まさかこんな厳重にガードされた隠し部屋から、ここまで貧相な物が出てくるとは思わないじゃないか。これはとても興味深いことだ。どんな必要があって、錆びた短剣なんかがおまえの中に入っていたのか。不思議でしょうがない」
始まりの予感は終わっていない。
むしろこの深まった謎が、更なる始まりを期待させてくれた。
だから俺は今、最高にテンション高い。
「それにしてもリーリエ、本当に心当たりはないのか? 自分の中に隠し部屋があったことに関して」
「あ、ありません……!」
しどろもどろになりながら、彼女は答えた。
それはそうだ、心当たりなどない。あればこんなビックリしていないのだ。
「そうか。じゃあおまえも楽しみだな」
「たの……しみ? え?」
「だってそうだろう、これから自分の謎が紐解かれていくんだぜ? 凄くワクワクしないか?」
「…………」
リーリエが目を丸くした。
どうも俺の言葉に意表を突かれたぽい。
しばらくポカンとした顔を見せていた彼女が、呟くように反芻する。
「わくわく……?」
「そうだ、ワクワクだ! わからないことがわかるようになる、楽しいじゃないか」
「本当にそう思いますか?」
彼女の顔が、だんだん冷静なモノに戻っていった。
初めて喋ったときに見せていた表情、毅然とした、プライドの高そうな顔。
「ワクワクとか、失礼ですがコヴェルさまは随分お気楽なのですね」
「そうか?」
「そうです。私の身になってみてください、こんなの『変なことに巻き込まれた』くらいにしか思いません。自分の胸の中から短剣が出てくる? そんな『ありえないこと』に遭遇したんです、『面倒なことになった』としか思えませんよ」
確かに、そうかもしれない。
少しリーリエの気持ちになれた俺だ。言われてみれば面倒事でしかない話だろう。
思わず肩を落としてしまった。ガッカリした気持ちになる。
しょぼくれた俺を見たリーリエは、クスリと笑った。
「なんて顔してるんですかコヴェルさま。ワクワクなのでしょう?」
「え、あ?」
「手の込んだ冗談、とかではないのですよね。本当に私の胸の中からその短剣が出てきたんですよね?」
「もちろん」
「そうですか」
彼女は頷いて、一呼吸。
俺に契約の羊皮紙を返してきた。
「なら、これは私の問題です。コヴェルさまが行ったことはキッカケでしかなく、原因自体は私にあったことです。遅かれ早かれ、こういう事態になったことでしょう」
そうかもしれない。
俺が彼女の『隠し部屋』を見い出さなくても、なにかのタイミングで。
「となれば、楽しみだろと仰ってくださったコヴェルさまに身を委ねるのは、私にとって悪いことじゃないかもしれません。下手な相手に見い出されていたなら、それこそ私は実験動物や見世物としての扱いしか受けなかったでしょうから」
「なる……ほど」
「なるほど、じゃありません。自覚してください、これからコヴェルさまは私をワクワクさせてくれる人になってくださるのでしょう?」
俺いま、完全にイニシアチブ取られてる?
「わかりましたか?」
「あ、ああ」
よろしいです、と彼女がツンとしながらも笑顔を見せた。
そうだ、俺は彼女の期待に応える必要がある。それが彼女の秘密を暴いた俺の義務でもあると思うのだ。
頑張らないと。
彼女の隠し部屋の謎を、俺は解く。
リーリエの為に。そして俺自身の為にも。
――それはそれとして。
「おっとそうだ。リーリエ、これを着てみてくれないか?」
俺はマジックポーチから、彼女に似合いそうな服を取り出した。
ドレスという程ではないが装飾で飾られたスカート服。
「……これは?」
「ダンジョンの隠し部屋で見つけた
「綺麗な服ですね」
リーリエが服を手に取り、しげしげと眺める。
「リーリエに似合いそうだな、と思ってたんだ」
「よろしいのですか? 刺繍を見ただけで立派な代物とわかってしまうのですけど」
「もちろん。おまえみたいな綺麗な子に着て貰えたなら、この服も喜ぶと思うんだ」
「……ありがとうございます。ちょっと後ろを向いていて頂けますか?」
言われるままにして俺が待っていると、やがて彼女は明るい声で言った。
「こちらをお向きくださいコヴェルさま」
「どうだいリーリエ、気に入って――」
言葉を失ってしまった。
似合っている、なんてものじゃない。その服は、まるで彼女に着られることが最初から決まっていたかのようにしっくりときていた。
「似合っておりますでしょうか」
「え、あ? ああ! 似合ってる、凄く似合ってる」
「ありがとうございます」
リーリエも嬉しそうだった。
そんな彼女を見るとしみじみ思う、やはり奴隷である前に女の子なんだよな、って。
綺麗な服が嫌いな女の子なんていない。
「前の主人の元では性的な欲求を断った為か、ボロしか着せて貰えなかったので凄く嬉しいです」
「それは奴も大損をしたな」
「えっ?」
「こんな綺麗な女の子が綺麗な服を着ていてくれたら、そばに居てくれるだけでも幸せな気持ちになれただろうに」
「ふふ。口が上手い男の人は、私信用しませんよ?」
リーリエは優しく微笑んでくれたのだった。
と、そのとき。
「あ?」
俺の手の中にあった錆びた短剣が、チリのようになって消えていく。
そしてそのチリは、光の粒となってリーリエの胸の中に帰っていった。
全ての光が胸に収まったあと、彼女の胸の中心が仄かに光を帯びていく。
「……コヴェルさま、これはいったい」
リーリエにもこの光は見えているらしい。
つまり、ダンジョンで俺が隠し部屋を見つけているときに見える光とは違うということだ。
彼女と目が合うと、彼女は頷いた。
「失礼するよ、リーリエ」
俺は彼女の服の胸元から、もう一度胸の中心に向かって手を伸ばした。
今度は最初のときと違い、すんなり腕が飲み込まれていく。
「んんっ! くぅっ!」
「我慢してくれ、リーリエの『中』は深いから」
「くぅぅんっ!」
「……見つけた、これだ」
ズルズルズル、と。
俺は一気に腕を引き抜いていく。
彼女の中から出てきたのは、さっきの錆びた短剣ではなかった。
「ん、これは?」
長剣だ。
「今度は長剣が出てきた。見てごらんリーリエ、錆びてもいない」
ふぅふぅ、と息を切らせていた彼女が、長剣を見る。
「さっきのとは、違いますね」
「ああ。でもこれも、普通の剣だな」
特に魔力などを感じることもない。
振ってみても、なにがどうなるわけでもなかった。本当に普通の剣だ。
「なんでしょうね、別の武器が出てくるなんて」
「わからないな。でもさっきの錆びた短剣に比べたら、だいぶ質が上がってる」
「そうですね。いったいどういう相関性で、こういうことになったのか」
長い耳がピコピコ動いている。
思った通り、彼女はこういうことをワクワクできる子に違いない。
頭いい子だからな、好奇心が強いんじゃないかと思ったんだ。
「コヴェルさま、見てください。剣の柄頭に、鳥の形をした紋章が」
「紋章? どれどれ」
なるほど。それは確かに紋章だった。羽を広げた鳥の印。
「リーリエ、この紋章に見覚えは……」
「ありません」
「そっか。でもあれだな、紋章が入っているということはこの剣は由緒があるってことだ」
俺が持って回ってそういうと、彼女の目が光った。
「由緒がある……。つまり、ルーツがわかる余地もある、ということでしょうか」
「その通り。書き写してあとで調べてみよう」
この日はこのあと、結局四回ほど彼女の胸の中からアイテムを取り出してみた。
結果わかったのは、出てくるのは全て武器。どれもしばらくすると光の粒になって消える。別段珍しいものではなく、ごく普通の剣や弓。こん棒なんてのも出てきた。
「見てくださいコヴェルさま、こん棒にも紋章が彫られてます」
「徹底してて凄いな」
あと、どの武器にも鳥の紋章が刻まれている、ということ。
やっぱりこの紋章は、彼女の謎に迫る近道に違いない。
「さてと。すっかり時間を食ってしまったな、ここを引き払って食事に行こうか」
「私は奴隷ですから、別に床で寝ても……」
「俺がイヤなんだよ、女の子をそういう扱いするのが」
外に出て、街の広場の出店で食事をとり終わる頃には、もう日が暮れてきていた。
ヘルムガドは大きな街なので、大通り沿いには夜半頃まで街灯が灯される。
俺はリーリエを伴って大通りを進み、やがて門から街の外に出た。
「えっと、コヴェルさま。こんな時間からどこへ?」
「ん?」
「新しい宿を取るのではなかったのですか?」
「あれ? 俺、そんなこと言ったか?」
「いえ。……ですが宿を引き払ったのですし、普通に考えたら新しい宿を探すのだろう、と思ってしまいまして」
「ああ。そっか確かにそう考えるのが普通だな」
迂闊だったのは俺だ、と苦笑してしまう。
そうだ彼女になんの説明もしてなかった。そりゃ誤解もされる。
あの常宿を引き払ったこの機会に、俺は。
「『家』を作ろうと思うんだ」
「は?」
「よくないか? 近くの森の中に、俺たちの『拠点』にできる、家を」
口をあんぐり。
目を丸くしたリーリエが、驚きの表情で俺を見つめたのだった。