使用人の居住棟を出ると庭に面した外廊下が続いていて、しばらく歩けばウサギやリスの形を模したトピアリーが並ぶ広大な裏庭に出ることができた。
一年を通して気温変化が少ないこの地域には年中薔薇が咲くそうで、可愛い動物たちを囲むように純白の薔薇の生垣が甘い香りを漂わせていた。
セリーナが目指す『離れ屋敷』はこの裏庭の一角にあるという。
かの皇后陛下が、どうやらその離れ屋敷とやらにいらっしゃるらしいのだ。
指定された時間にはまだ余裕があるけれど、可愛いトピアリーを見上げながら進んでいるうちに──案の定、迷ってしまった。
注意深く行き先を探りながら薔薇の小径を行くと、視線の先に白い天蓋とガラス貼りの天井を持つ六角形の美しい建物が見えた。
あれはいったい何だろう……興味をそそられ、目の前にそびえ立つ天蓋を目指しながら歩いた。
すぐそばまで近づけばそれが巨大な温室だとわかり、見上げたガラスの壁越しには、生い茂る植物の群生が見える。
──温室なら、入っても問題ないですよね?
ちょと見るだけ。
興味をそそられるまま建物の扉に手をかける。
全面にガラスが貼られた双扉は施錠されておらず、軽く押せばスッと開いた。
一歩、また一歩……踏み入るなり、その壮大さに驚いてしまう。
高さが数メートルはありそうな植物が天窓を覆うように茂り、色鮮やかな美しい花々が咲き乱れていて。
見たこともない綺麗な鳥たちが木々の合間を飛び交い、愛らしい声で忙しそうに
なかでも目を惹きつけられたのは──蝶。
セリーナもよく知る美しい蝶が、この温室の中にいた。
「フレイア……!?」
興奮で気持ちがたかぶる。
宮廷に来てまで、セリーナが愛してやまない蝶——フレイアを眺めることができるなんて!
それも一匹ではなく
こんなふうに多くのフレイアが一斉に飛ぶところなど見たことがない。
その優雅な飛行の様子を眺めていると、張りつめていた心の緊張が、ゆるゆるとほどけてゆくのだった。
足元を縫うように敷かれた飛び石をたどって奥に進めば、サワサワと水の音がする……どうやらこの先に水場があるようだ。
間近に触れる花々をひとつひとつ指先で触れながら水音に向かって歩いていくと、目の前が開けて、明るい日差しに包まれた噴水が現れた。
──あっ
背高い青年がひとり、噴水のたもとに座って足を組み、本を読んでいる。
読書に集中しているのか、少し離れた場所にいるセリーナには気付かない。
思いがけず人と遭遇してしまったことに驚き、慌ててきびすを返したのだが──メイド服のフリフリが低木に触れて「ガサッ」と大きな葉音を立ててしまった。
──気づかれたかも……!
肩越しにそうっと見てみると。
案の定、青年の視線が背中に刺さっている。
奇妙な沈黙を破ったのは、青年の穏やかだが
「そこで何をしている?」
セリーナは慌てて向き直り、丁寧にお辞儀をして見せた。
ちらっと見えた青年の表情は、まるで森の中でウサギに遭遇したみたいに穏やかだ。
──叱られるわけじゃなさそうね?
と、ほっと胸をなで下ろした。
宮廷にきて早々、村に追い返されるわけにはいかないのだ。
もしもそんなことになれば、村の者たちにどんな蔑みの言葉をぶつけられるだろう──想像すればおそろしかった。
「今日から皇宮にお仕えする事になった侍女です。所用に向かう途中でここを見つけて……とても綺麗だったので、つい足が向いてしまって……っ」
宮廷に従事する者なら、ふりふりのお仕着せを見ればセリーナが侍女だとわかるのだろう。少なくとも怪しい侵入者だとは思われていないようだ。
「白の侍女だな。顔を上げていいぞ」
言われるままに視線を上げれば、青年の面輪が柔らかに微笑んでいた。
サワサワ……噴水から流れ落ちる
──きれいな人……っ
額にかかる白銀の髪の合間から意思のある精悍な眉が覗いている。
冷たい光を放つ淡いブルーの瞳、高い鼻梁と引き結ばれた口元。
眉目秀麗を絵にしたような面立ちは男性といえども美しく、もう少し表情が柔らかければ女性ともみまごうほどだ。
──宮廷には、こんなにきれいな
惚けていると、青年が指先で自分の隣をトン、トンと叩く。
セリーナは思案した。
──ここに座れ、という意味でしょうか……?