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11・やすらぎ(2)


 怖気おじけづきながらも青年のところに行き、隣にそっと腰を下ろした。

 そばに寄ってみれば、この美麗な青年の体躯は離れて見ていた時の印象よりも大きい。おそるおそる見上げると、セリーナを見下ろすあおい瞳とばっりち目があった。


 ひゃっ……!

 驚いて声をあげそうになる。


「宮廷入りしたばかりで気が張っているだろう。こちらの事は気にせず、ゆっくりして行け」


 そう言って柔らかく微笑むと、青年は睫毛を伏せて再び本に視線を落とした。

 紙面に注がれる真剣な眼差し。

 青年がまばたきするたび、翼のような長い睫毛に光がゆらめいて……まるで何かに憑かれたように青年の横顔に見とれてしまう。


 一匹のフレイアがふわふわとやってきて、青年の肩にとまった。野生のフレイアとは違って警戒心の無さそうな蝶には驚いてしまう。

 青年も慣れているのか、肩で翅を開いたり閉じたりしている蝶には気にも留めず、じっと紙面を見つめたままだ。


 ──とてもじゃないけど、ゆっくりなんてできませんっ。こんなきれいな人の、お隣で……!


 青年の気遣いは有難いけれど、休憩を続けるにも手持ち無沙汰だ。

 植物が生い茂る天井を見上げたり深呼吸をしてみたり……セリーナは落ち着かない。

 そんな様子を見かねたのか、青年が本から視線をすべらせた。


「花が好きなのか?」

「え…… ぁ、はい」

「わたしも温室ここが好きだ。気持ちを落ち着かせたい時に来る……」


 青年は肩にとまっていたフレイアを指先に移し、目の前に持ってきて静かに見つめている。


「フレイアが指にとまるなんて! 滅多に人のそばには来ない子なのに」


 ン……?

 青年は首を傾げたが、すぐにセリーナの疑問を察したようだった。


「ここの蝶たちは人間が羽化させて、育てているからな」

「えっ……フレイアは人の手でも育てられるのですか?」


 蝶を空中に放つと、青年はその姿を追うようにそらを仰いだ。

 セリーナは思う——この人は容姿だけじゃなく、一挙一動のすべてがきれいすぎる。


「ここにある植物は全て人間が育てている。花や蝶、このフレイアもだ。お前もここが気に入ったなら、好きな時に来るといい」


 幻の蝶フレイアは、その生態が多くの謎に包まれていることで知られる。

 フレイアを産卵、羽化させ、育てているなんて!

 いったいどうやって──どんなふうに?


 セリーナが思案に暮れていると。

 青年は本を抱えて立ち上がり、セリーナに背を向けて歩き出した。


「あっ、あのう……!」


 呼び止める声に、整った横顔が肩越しに振り返る。

 フレイアの事をもっと聞きたいと、つい呼び止めてしまったのを瞬時に悔いた。


「いえ、なんでもありません。申し訳ありません……っ」


 動揺をごまかそうと、勢いよく頭をさげる。

 お辞儀をしている間に長身の背中は緑の茂みの合間に消えていった。

 青年が座っていた場所に、溢れんばかりの光と心地よいみずを残して。


 ──ここはとても素敵な場所だけど……。

 夜行性の『ガイム』のような私には、光が少し、眩しすぎます。


 元気になるどころか意味もなく消沈してしまい、フレイアが飛び交う大空間を吐息とともに見上げた。

 背後ではざぁざぁ流れる水音が耳にうるさい。一人きりになったとたん、音が大きくなったような気がした。


「そうだ……私」


 離れ屋敷に行かなくちゃ!

 皇后陛下をお待たせてしまっては大事おおごとだ。


 慌てて温室の出入り口に向かう。

 扉を開けて外気に触れたとき、あの青年が皇宮の方に向かって歩いて行くのが見えた。


 ──皇族の方々が住まう皇宮に出入りしているなんて。

 あの人、どう見ても侍従ではなさそうだし……皇宮付きの高官か何かかしら?

 お召し物も、高級たかそうでした。


 青年が腕を通さず無造作に羽織っていたフロックコートには、繊細な銀糸の刺繍がふんだんに施されていたのだった。




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