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5・誤算



 ◆ヴァンデール奇譚・序 / 第一節


『その昔、天上神ゼロに仕えた碧目ろくもく種族は地上界に名を馳せる美貌持ちであったが、種族の女長ヴァンデールが神の子息ラオスと恋に堕ちたことで天上神の逆鱗に触れ、一族はその容姿を奪われた。(以下略)』


 ◆ヴァンデール奇譚・序 / 第二節


『ヴァンデールとその種族を哀れに思ったラオスは、種族を元の美貌に戻すことを条件に、彼らに新たなる贖罪を与え賜うた。(中略)それは代々続く種族にとって大変に重く、惨たるものであったという────。』




 *┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*




「ちょっと待ってください、そんなお話、聞いてません……!」


 立ち上がった勢いで、丸いスツールがガタン! 大理石の床に転がった。

 慌てる彼女を横目に群青色の制服を整然と着こなした担当侍従はやけに涼しい顔をしている。


「『白の侍女』二十名は宮廷に従事する約三百名の侍女の中で最も高い地位を保ち、給金は『紺の侍女』の倍額。よって『白の侍女』の肩書を得ている。不勉強なそなたが悪い」


 宮廷で過ごす一年間について説明を受けるなかで、自身に告げられた職務内容に耳を疑うような文言があったため、セリーナ・ダルキアは思わず腰を上げたのだった。


「も、……もう一度確認させていただきたいのですが? こ、このと言うのは、その……」


 渡された書類の中にある一文を震える指で指し示す。セリーナの面輪おもわはもともと血色が悪いのだが、驚きすぎて血の気の失せた頬は土気色をしていた。


「皇太子殿下の宵のお相手をする事以外にどんな意味があると言うのだ! これ以上の無意味な質問は控えるように!」


 眉をひそめた侍従がセリーナの動揺など微塵も構うことなく二の句を継いだ。


 ──こ、皇太子って《冷酷無比》で有名な帝国皇太子殿下っ?!


 オルデンシア帝国・第八代目皇太子——カイル・クラウド・オルデンシア殿下。


 先の戦争で彼が流した血は計り知れない。

 強靭な戦闘能力者でありながら剣技は帝国一・ニを誇り、どんな絶望的な戦いも勝利に導く美貌の天才。

 冷徹な気質で逆らう者に容赦はなく、帝国を維持するために彼が殺した者の数は数百名とも云われている──。


 ──そんな恐ろしい人の宵のお世話だなんて。そんなの全然、聞いてません……っ!


 涙目になってがくりと肩を落とせば、セリーナの様子を見ていた隣の席の令嬢がくすりと笑った。

 自分は笑われるようなおかしな事を言っただろうか。いや、むしろ真っ当な質問をしたはずだ。


 ──な、何が可笑おかしいのですか? 見ず知らずの男性と夜を過ごすのですよ?! 見ず知らずって言っても皇太子殿下ですけど……皇太子殿下でも何でも、好きでもない男性とですよ……っ!?


 この宮廷では夜伽を業務化しているのか——にわかに押し寄せた妄想にゾッとする。

 セリーナがわたわたしていると、隣の令嬢がまたくすっと笑った。


「あなたってば、何も知らないのね?」


 年齢は十九歳のセリーナと同じ頃あいの、穏やかで落ち着いた物言いをする美貌の女性だ。

 しかし納得のいかないセリーナは精一杯の反発を試みる。


「でっ……では他の皆さんは、この鬼畜な職務をご承知の上で志願されたとでも……?」


 物心ついた頃から村の若者たちのそしりを受け続け、自己肯定感が全くと言っていいほど育たなかったセリーナだった。

 自分の想いや発言に自信が持てず、ついになってしまう。


「ええ勿論。でなければ話が違うと皆が怒ってしまうでしょう? 今のあなたのように。出願書類にも重要事項として一筆書かれていたはずです。まさか、確認されなかったのですか?」

「そっ、そうなのですか……」


 皇太子の夜伽業務が、重要事項として一筆添えられていた。そう言い切られてしまっては、セリーナは返す言葉を失ってしまう。

 それに出願書類と聞けば、思い当たる節があった。


 ──お母さん……っ。

 いつもの天然ぼけで書類を書き損じたのね?! 重要事項もろくに読まずに……しるしを付ける場所を間違えたのですね、お母さんっ


 希望役職の欄にしるしを付けることで、受理される役職が決まるはずだった。



『書類、書いて出しておいたわよぉ〜』



 にこやかな微笑みを浮かべる母の笑顔が眼裏に浮かぶ。

 セリーナの皇宮への出仕は何年も前から母親が望んでいた事だった。


 ──『侍女』って文字のすぐ上に『下働き』っていうのがあったでしょう、お母さんっっっ


 もともと不本意だったセリーナの人生が、ますます望まない方向へと進んで行く。


 そもそも皇宮で働くことなど微塵も望んではいなかった。

 生まれた村で、優しい両親と可愛い弟とともにひっそりと与えられた命を生きる。


 ただそれだけで、じゅうぶんだったのに。



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