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2・淡い期待


その日はすぐにやってきた。

農作業を早めに切り上げて家に帰る。

村いちばんの美青年アベルと、村いちばんの醜悪な自分とがふたりきりで会うなんて、やっぱり信じられない。

——本当に来るのかしら

いぶかしみながらも身についた泥を落とし、身だしなみを整える。

セリーナだって年頃の女性の端くれだ。

「……やっぱりひどいわね」

鏡に映る自分の姿に愕然がくぜんとした。

昨夜は緊張で眠れず、目の下にクマができてしまった。

唇はカサカサ。乱れ落ちた髪を結い直すけれど……真っ直ぐな髪はきちんと結っても途端にパラパラ落ちてきて、綺麗にまとまったためしがない。

なかば諦め、指定された時間も近いので急いで家を出た。

『ずっと伝えたかったことがある』

いったい、アベルに何を言われるのだろう。

待ち合わせ場所に行ってもアベルは来ず、騙されたという虚しさだけが残るのではなかろうか。

——やっぱりやめよう

けれどアベルは真面目な青年だ。

いくらセリーナが嫌われ者でも、あのアベルが人を騙すような手紙をわざわざ寄越すだろうか。

「行って、みようかな……」

九割九分以上の諦めのなか、砂のかけらほどの小さな期待がぽつりと浮き上がる。

村役場の裏手にある薔薇庭園に人の気配はなく、閑散としていた。

まだ花は乏しく、まばらな葉の中にちらほらと小さな蕾を付けているだけ。

セリーナが先に着いたのか、それともやはり揶揄からかわれただけなのか。

次第に心がすぼみ、ほんの少しの期待さえも失いかけたとき、アベル・フレイバンは現れた。

明らかに農民ではないとわかる、上質なフロックコートを羽織った青年が薔薇の生垣をぬい、こちらに向かって歩いてくる。

「突然呼び出したりしてすまない」

「アベル……?」

来てくれたのね。

言いかけたけれど、誘われておいてこちらからそれを言うのはおかしいと言葉を飲み込んだ。

アベルは数年前に見かけた時より少年ぽさが抜けており、整った顔立ちに精悍さが増したような気がした。

何か話さなくては。

けれど年齢の近い男性と面と向かって話すのなんて気が遠くなるほど久しぶりで、言葉が出てこない。

アベルも落ち着かないのか、視線を泳がせたり指先で頬を掻いたりしている。

ニコリ。

沈黙がいたたまれなくなり、心を誤魔化す時はいつもそうするように、無理からに『笑顔』を作りだした。

女性らしい可愛らしさには程遠いぎこちなさだと自分でもわかっている。

無理に笑顔を作るセリーナに負けず劣らず、ぎこちない薄笑いを浮かべたアベルが先に言葉を発した。

「ああ……そのっ。呼び出しておいてすまない。今更、告白ってワケじゃないんだけど」

「 ぇ、……?」

告白、という響きにどくりと反応してしまう。

「セリーナ、君は綺麗だ。僕は小さい頃から君の事を。ずっと打ち明ける勇気が無かったが、僕には……はっきりと、

見えるって、いったい何が?

アベルは突然に何を言いだすのだろうか。

セリーナは碧色みどりいろの瞳を大きく見開いた。

「君のそのの色だって、僕はキレイだと……ずっと思っていた」

——本当に、何を言っているのだこの人は。

私のみどり色は気味悪がられこそすれ、キレイだなんて言われた事なんか一度も無い……!

「冗談……よね? キレイだなんて、そんなはずがないもの」

冗談半分に馬鹿にされているのかとさえ思う。

ぐらりと心が揺らいでも、セリーナは笑顔を取り繕うのをやめる事ができない。

「なんで自分のコト、そんなふうに思うの?」

「だって私は……村の人たちから醜悪だって……『ガイム』なんてあだ名まで付けられていること、あなただって知っているでしょう、……っ」

すると、唐突に抱き寄せられた。

驚きのあまり身体が硬直してしまう……鋼のように脈打つ心臓が、口から飛び出してしまいそう!

そしてアベルは形の良い唇を動かして、さやくように言うのだった。

「セリーナ、聞いて……。他の奴らは知らないコトを僕は知ってるんだ。君のを」

——私の、秘密?

「村に伝わるあの伝承はなし。君の髪と瞳の色はその『あかし』だってこともね」

アベルがいったい何の話をしているのか、セリーナにはさっぱりわからない。

アベルが言う《伝承》とは、何なのだろう。

セリーナが顔を上げたそのとき。

複数の女性の高笑いが薔薇の茂みの中に広がった。聞き覚えのある若い女性たちの声は、セリーナとアベルがいるほうに明らかに近づいている。

——こんなところを誰かに見られたくない!

反射的にアベルの胸を押して遠ざけたのと、セリーナが知る女性たちが茂みを割って歩み出たのがほとんど同時だった。

「もうそのへんでいいわよ! アベル」

村で一番の器量良し、エライザ・ブランディンが、いつも彼女にくっついている取り巻きの子たちを引き連れて立っている。

それは——セリーナが誰よりも関わりたくない人物その人に違いなかった。



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