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60. 奪われた焼き鳥

 翌日からソリスはシアンによる鬼の特訓を受けた。最初は見ているだけだったフィリアとイヴィットもなぜか俄然やる気となって、弟子候補生として同じメニューをこなすようになる。


「ソリス殿には負けられまへんわ~」「うちもせいだしますぇ」


 二人の目には『東京もんには負けられない』という執念の輝きを放っていた。


 だが、午前中は情報理論の座学、午後はコーディング、夕方は対テロリストを想定した実践演習と、みっちりとカリキュラムは詰まっている。朝から晩まで厳しくしごかれつづけて一週間もたつと、さすがにみんな疲労が見えてくる。


「ソリス殿~、なんやのんこれ? こんなのなんか意味あるんか~?」


 特訓後に行った新橋の居酒屋で管を巻くフィリア。


 確かにアラフォーにとってシャノンの情報理論もコーディングもキツい。だが、この世界がこの理論やコードを基礎として構築されている以上、学ぶ以外ないのだ。


「無理にとは言わないわよ?」


 ソリスは突き放すようにジョッキをあおる。正直言えばソリス自身限界を感じていた。でも、ここで諦めるようなことがあればきっと一生後悔する、そんな根拠もない確信がソリスを突き動かしていたのだ。


「ソリス殿は相変わらずストイックやな~」


 すっかり出来上がったフィリアがバンバンとソリスの背中を叩き、テーブルに突っ伏した。


「焼き鳥の串、刺さりますえ?」


 イヴィットが、淡々とテーブルを整理していく。


 ソリスはふぅとため息をつくと、フィリアの肩を叩いた。


「あと数週間耐えればある意味【神様】になれるんだからがんばろ?」


「神さんなぁ……。神さんなったらなんかエエことあるん? なんやかんや、めんどくさそうなことばっかりちゃうん?」


 すっかり出来上がったフィリアが丸眼鏡をはずし、ソリスをジロリと見上げた。


 その時だった――――。


 パリパリ……。


 静電気がスパークするような音と共に、テーブルの上の空間に亀裂が走る。


 ひっ! うわぁ! え……?


 いきなり訪れた面妖な事態に三人は固まった。


 すると、スパークを放ちながら亀裂の向こうからニョキっと白い腕が伸びてくる。


 ひぃっ! きゃぁ!


 思わずのけぞる三人の前を伸びた腕は焼き鳥の串をつかんだ。


 そしてそのまま亀裂の中へと消えていく――――。


 うほぉ……、うまぁ……。


 亀裂の向こうから声がする。シアンだ。


 三人は渋い顔でお互いの顔を見合わせる。


「何? もうギブアップ?」


 シアンは亀裂からニョキっと顔を出すと、ニヤリと笑いながらフィリアを見つめる。


「え……? そないなことあらへん!」


「ふ~ん、無理したら身体に悪いよ?」


 シアンは焼き鳥の肉にかぶりつきながら言った。


「なんともあらへん。ぜーんぜん平気やわ」


 フィリアは虚勢を張り、勇ましくあごを上げてシアンを見据えた。


「そやったら……ええけどな……」


 シアンは慣れない大阪弁で返事しながら、ニヤッとフィリアをにらみ返す。


「あ、あのぉ……」


 ソリスは声を上げる。


「どないしたん?」


 シアンはソリスの方をジロっと見る。


「特訓が終わったら、私たちはシアンさんと一緒に活動するんですよね?」


「そうやねんけど、えらいことになった時によぶような感じやろか? 普段は好きにしといたらええねん」


「あ、緊急事態になったら呼ばれるってことですね」


「せや」


「それは……、上位の世界へ行く……こともあるんですか?」


 ソリスは核心に切り込んだ。シアンの存在の秘密にかかわる話なので今までずっと聞けずにいたのだが、つい酔った勢いで聞いてしまった。


 ピクッとシアンのほほが動く――――。


 シアンの瞳に冷たい炎が宿った。その鋭い視線は、まるで刃物のようにソリスを射抜く。


「キミは……、上位の世界が何か……知ってるの?」


 テーブルを取り巻く空気が凍りつくかのように、緊張が漂った。


「ご、五十六億年前にAIができたのに、この世界は六十万年前に作られたんですよね? その間、何もないなんてことはないじゃないですか」


 震える指先で額の冷や汗を拭いながら、ソリスは言葉を紡ぎ出した。女神ですら足を踏み入れたことのない上位世界。その神秘の領域に到達できれば、慈悲深き女神の重荷を少しでも軽くできるかもしれない。幾度となく蘇らせてくれた女神への感謝の念が、ソリスの心を熱く焦がしていた。


 シアンは静かにうなずき、ニヤッと悪い顔で笑う。


「ふぅん、いいよ? でもそうなら特訓も一段ギア上げないとね? 厳しさについてこれる?」


「もちろん!」


 ソリスはグッとこぶしを握る。


「キミたちは?」


 シアンはフィリアとイヴィットに視線をやった。


「なんぼでも ええで! やりまっせ」「やってみせまっさ!」


 二人もこぶしを握ってノリノリで答える。少し飲みすぎているのかもしれない。


 シアンは嬉しそうにグッとサムアップした。


「じゃ、明日は六時集合ね? 早く寝といた方がええでー! きゃははは!」


 楽しそうに亀裂の向こうへと引っ込んで消えていくシアン。


「ろ、六時……」「マジでっか……」「えらいこと、なってしもてん……」


 フィリアとイヴィットは不満げな顔をしてソリスをジト目で見る。


 ただ、ソリスの心臓は高鳴っていた。女神の目すら届かぬ神秘の世界へ足を踏み入れる――――。その一歩は、想像を超える冒険の始まりになるだろう。シアンの存在が女神をも凌駕し、さらにその上位の世界を垣間見られるとは……。ソリスの魂は歓喜に震えていた。



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