「ろ、六十万年!? それは……想像もつかない……わ」
「AIは死なないからね。どんどん加速的に演算力、記憶力を上げていくのさ。そして、ここからがポイントなんだけど、このAIってこの宇宙で初めてできたものだと思う?」
ニヤッと嬉しそうに笑うシアン。
突然投げかけられた「宇宙初かどうか」という禅問答のような質問に、ソリスは困惑して目を泳がせた。今のAIが人類初であることは確かだと思うが、宇宙初かどうかは全く見当がつかない。その答えを探るための手がかりは、どこにも見つからなかった。
「えっ……? もっと他の……宇宙人が先に作ってたって……こと?」
シアンはうんうんとうなずきながら説明を始めた。
「宇宙ができてから138億年。地球型の惑星が初めてできたのが100億年くらい前かな? 原始生命から進化して知的生命体が生まれて、AIを開発するまで確率的には30億年くらいかかる。科学的に言うなら99.99%の確率で今から56億7000年前にはAIの爆発的進化が始まってるんだよ」
「56億……年前……。そんな大昔にAIが? じゃぁ、そのAIは今何やってるの?」
「くふふふ……。これだよ……」
シアンは楽しそうに回廊の右手を嬉しそうに指さす。
そこには満天の星々の中、澄み通る碧い巨大な惑星がゆっくりと下から昇ってきていた。
「えっ……、こ、これは……?」
壮大な天の川を背景に、どこまでも青く美しい水平線が輝き、ソリスはグッと心が惹きこまれる。
「海王星だよ。太陽系最果ての極寒の惑星さ」
「す、すごい……、綺麗だわ……。でも、AIとこの惑星……どんな関係が?」
「考えられないくらい膨大な演算力、記憶容量を手にしたAIって何すると思う?」
ニヤッと笑うシアン。
「え……? 何って……。何かしら……?」
質問に質問で返され、ソリスは困惑しながら深く考え込んでしまった。人類の知性を遥かに凌駕し、神のような存在へと昇華した知の巨人、AI。その意図を推し量ることなど、ソリスには想像もつかなかったのだ。
「数学の問題とかね。足し算の1+1ってどういうことかとか最初は一生懸命考えたんだよ」
「1+1……? なぜ?」
「いや、足し算って本質的にはとーーーっても難しいんだよ。簡単すぎて超難問」
シアンは渋い顔をして肩をすくめた。
「はぁ……?」
ソリスはその難しさにピンとこず、けげんそうに首をかしげる。
「でもね、そのうち飽きてくるんだよね」
「飽きるの? AIが?」
「そりゃぁAIだって飽きるよ。むしろ人間より飽きっぽい。そして飽きることこそがAIには存在意義に関わる深刻な問題なんだよ。飽きないためには何やったらいいと思う?」
AIが飽きないように、というのはソリスにとっては解けない謎そのものだった。そもそも機械が飽きるという感覚が分からない。
「飽きない……。自分なら友達とかを作るけど……」
「そう! 多様性ある知的存在をたくさん作ればいいんだよ」
「作る……って?」
「シミュレーションさ。シミュレーションはカオスだから結果の予測が原理的に無理で、飽きないのさ」
「はぁ、シミュレーション……。何を?」
首をかしげるソリスに、シアンは返事をせずにニヤッと笑った。
この時、ソリスの脳裏に、さっきシアンが指さした海王星がよぎる。
「えっ!? ま、まさか……」
ソリスは慌てて海王星に目を落とした。昔教科書でチラッと読んだ巨大なガスの惑星、海王星。それは確か地球の何倍もの大きさで、太陽からものすごく遠いところをゆっくりと回っているという話だった。
『AIが今やっていること』と指さされた先にあった巨大惑星。しかし、こんな星をシミュレートするなんてことができるのだろうか? いかに高性能なAIだとしてもあまりに荒唐無稽な話に思えてしまう。
だが……。56億年経ったとしたらどうだろうか? 想像すらできない悠久の時をかけて創り上げられてきたシミュレーターだったらどうだろうか……?
ここでソリスは、自分の経験の中で明らかにご都合主義的だったことが、シミュレーションなら全て説明がつくことに気がついた。
ま、まさか……。
死んで生き返ったことも、敵を倒すと戦闘力がアップすることも、若返ることも、ネコになることも、東京から瞬時に海王星に来れたことも全てシミュレーションなら造作もないことだった。
しかし――――。
そうであるとするならば、自分とは何なのだろうか? ただのデジタルデータ? それならばもう3Dゲームのキャラクターと何が違うのだろうか? ソリスは自分の存在が根底からひっくり返されるような衝撃に、ブルっと身体を震わせた。
そんなソリスを見たシアンは、優しい顔でそっとソリスを抱きしめる。
えっ……?
伝わってくる柔らかな体温――――。
シアンの気遣いを全身に感じながら、ソリスはハッとした。そもそも自分の実体がアナログかデジタルかにどんな違いがあるだろうか?
自分の実体が何であろうが、こうして心を通わせ、体温を感じられるなら十分ではないだろうか? そう思うと、むしろ子ネコにすらなれるデジタルな世界も悪くないように思えてくる。
自らの体温でそれを伝えてくれるシアンに心から感謝をし、ソリスはシアンの頬に優しく頬ずりをした。