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30. 脳髄も揺れる生ハム

 昼過ぎにカチャカチャという物音で目が覚めたソリス。セリオンがキッチンで甲斐甲斐しくランチを準備している。

「あ、ごめんなさい……」

 慌ててダイニングテーブルの方へ行くと、何やら巨大な材木みたいなものがデンとテーブルの上に載っている。

「あ、起こしちゃった? ゴメンね」

「いや、もう起きないと……。これ……何?」

「ふふっ。タマゴタケが思ったより高く売れたから、奮発して買ってきちゃった。生ハムの原木だよ」

 セリオンは豚の足を丸々一本塩漬けにした原木を持ち上げ、ナイフで表面から一切れその身を削り取った。

「ほぅら。どうぞ……」

 ソリスに差し出された薄く切られた生ハムは、ピンク色に鮮やかに輝き、ソリスは思わずゴクリと唾をのんだ。

「い、いいの?」

 ソリスは躊躇ちゅうちょした。今まで倹約生活を続けてきたソリスは、生ハムなんて食べたこともなかったのだ。憧れて、でも見ないようにしていた生ハムが今、目の前で煌めいている。ソリスは手が震えた。

「タマゴタケ見つけたのはおねぇちゃんだからね」

 セリオンはニッコリと笑う。

「では、ありがたく……」

 ソリスは生ハムを受け取ると、はじを慎重にパクリとかじった――――。

 刹那、ぶわっと芳醇な旨味が口いっぱいに広がっていく。

 うほぉ……。

 我慢できずにすべてを口にほおばったソリス。旨辛い生ハムの信じられないほどの美味しさが口の中で炸裂し、その味に完全に心を奪われた。

 我慢できずに全部口にほうり込んだソリスは、口の中で爆発するその旨辛い生ハムの桁違いの美味しさに心を奪われた。

 なんという深い旨味、生ハムとはこんなに美味いものだったのか……。ソリスはその味に酔いしれ、恍惚とした表情で思わず宙を見上げた。

 森でキノコを見つけただけでこんな贅沢ができるだなんて、とても信じられない。三十九年間の自分の人生は一体何だったのだろう……? 昨日のミスティックサーモンもそうだったが、ソリスはスローライフの魅力に心を奪われ、深く考え込んでしまった。

 振り返ってみれば、冒険者としての生活は苦労の連続だった。命懸けの戦闘で得た報酬も、税金や家賃を払うと手元にはほんの少ししか残らなかった。もちろん『安全第一』でリスクを減らしていたからという面もあるが、アグレッシブに挑戦していた同期の多くは鬼籍に入ってしまっている。やり方は間違ってないのだ。

 贅沢もできず、カツカツの余裕のない暮らし――――。

 どれだけみじめだったか……。生ハムの旨味を味わえば味わうほど涙が出てきてしまう。フィリアとイヴィットにも食べさせてあげたい。ついそう思ってしまう。

「おねぇちゃん、どうしたの?」

 心配そうにセリオンがソリスの顔をのぞきこむ。

「あ、何でもない、大丈夫よ! あまりに美味しすぎて……ね……」

 ソリスは手の甲で涙をぬぐうと、気丈にランチの支度を手伝い始めた。

        ◇

 二人で手分けして、レタスとトマトを洗って切り、パンをスライスして軽くトーストする。それらの上に生ハムをふんだんにドンと乗せてオープンサンドの出来上がりである。

「できたぞ! 美味しそう!」

「うふふ、とても贅沢だわ」

 二人は幸せそうな笑顔を交わし、微笑みあう。

「では! いっただきまーす!!」「いただきまーす!」

 一気にかぶりつく二人――――。

 うほっ!

 ふわぁ……。

 二人はその生ハムと野菜とトーストの奏でるマリアージュに、脳髄が揺さぶられるほどの衝撃を受けた。

 うっまぁ……。

 す、すごい……。

 サクサクとしたトーストに野菜のフレッシュなみずみずしさ、そこに圧倒的な旨味と塩味の生ハムが加わり、まるで芸術品のようなハーモニーが完成していたのだ。

 二人は何も言わず、ただ、もくもくとその食のアートを心行くまま堪能していった。山の幸だけにとどまらず、そこから街の美味しいものにつなげていく味の旅。きっとこれがスローライフの醍醐味というものなのだろう。

 ソリスはスローライフの真髄を垣間見た気がして、大きく息をつき、ゆっくりとハーブティをすすった。

       ◇

「午後は、そのぉ……まきを作りたいんだ」

 お茶を飲みながら、セリオンがクリっとした可愛い碧い目で、伏し目がちにソリスを見た。

「あ、手伝うわよ! こう見えて力には自信があるんだから」

 ソリスは九歳児の細い腕をぐっと誇示する。若化でかなり弱くなってしまったとはいえ、レベル125の補正でまだまだ人類最強レベルなのだ。

「良かった! 助かるよ」

 セリオンはキラキラとした笑顔を見せる。

 食後にさっそく物置小屋へと移動した二人――――。

「えっ!? これで薪を作るの?」

 ソリスは小さな手斧を差し出され、つい声を上げてしまった。

「ごめんね、こんなのしかないんだ……」

「いつもこんなのでやってるの?」

 そう言いながら薪の棚を見ると、そこには刃物ではなく、力でへし折った破片が積まれていた。確かに今まで使っていた薪も不自然な形をしていたが、改めて棚を見るとその異様さはある種狂気に見えた。

「あ、いや、これはちょっと手伝ってもらって……」

 ソリスは丸太をベキベキに切り裂く存在につい鳥肌が立った。一体誰がこんなことを……。レベル125のソリスだってそんなことはできない。だが、セリオンは誰がとは教えてくれなかった。

 ふぅとため息をつくと、ソリスは倉庫を探し回って、古びた剣を見つけた。少しびてしまっているが、しっかりと作られている。ビュンビュンと振り回してみたが、重心もいい感じにソリスに合っていた。これならソリスの剣さばきにも耐えられそうである。

「これにするわ」

 ソリスは砥石といしに水を含ませ、丁寧に研ぎ始めた。本来ならば、長年使い込んだ愛剣を手にしたかったが、筋鬼猿王バッフガイバブーンによって粉々に砕かれてしまい、今は手元に何も残っていない。長い年月を共に過ごし、命を託してきたその武骨な大剣を思い出すと、ソリスは深いため息をついた。

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