その後、しばらく釣りを続けたものの、浮きはピクリとも動かなくなってしまった。
「今日はもうダメだね」
大物を釣れなかったセリオンは、ガックリしながら首を振った。
「そろそろ帰る?」
「そうだね。お家にお魚が届くのを待つかな……」
セリオンは大きくため息をつくと、浮きを引き上げ、帰り支度を始めた。
「本当に持ってきてくれるかな?」
「一応あれでも精霊王だからね。約束は守るでしょ。もし、守らなかったらおねぇちゃんがパンチ! してあげて」
セリオンは無邪気にパンチのジェスチャーをしながら笑う。
「い、いや、暴力はちょっと……」
ソリスはマズいところを見られちゃったと、顔を赤くしながらうつむいた。
「そう? なんだかすごく戦いなれてて僕ビックリしちゃった」
「そ、そんなことないんだけどね。あははは……」
ソリスは冷汗をかきながら頭をかいた。
◇
話をしながら森の中を歩いていく二人。途中、セリオンは精霊王
「こんなのどかなところにも、いろいろ面白いことがあるのね」
「そうなんだよ。毎日いろんなことが起こるんだ。でも、おねぇちゃんがいてくれた方がもっともっと楽しくなるね」
セリオンはまぶしい笑顔でソリスを見る。
「そ、そう? 良かった……」
ソリスはその笑顔の輝きにドキッとしてしまう。いまだかつてここまで誰かに受け入れられたことがあっただろうか? もちろん仲間たちとは心を許し合ってはいたものの、それでも分別ある大人の距離感はあったと思う。セリオンの屈託のない無垢なる受容はあまりにストレートすぎて、アラフォーのソリスには眩しすぎる。
ソリスは思わず顔を背け、ギュッと目をつぶってしまう。
しかし――――。
もし、自分がアラフォーのおばさんだと知ったら、セリオンはどう思うのだろう?
ソリスはふとそう思うと、ドクンと心臓がはねた。
パン屋のおばさんも孤児院の同期も、知り合いのアラフォーの女性はみんな成人した子供がいるのだ。セリオンからしたらアラフォーのおばさんなど『おねぇちゃんの母親』である。こんな気さくに心を開く対象などではないはずだった。
「ダメ……、ダメよ……」
ソリスは真っ青になり、思わず首を振った。
この無垢な笑顔を失うなんて考えられない。命懸けの苦労の果てにたどり着いた、まるでオアシスのようなこの心温まるスローライフを、絶対に失うわけにはいかない。
ソリスは悪い汗のにじむ額を手で
◇
しばらく森を縫いながら進む獣道を歩いていくと、足元に何か赤いものがあるのに気がついた。
「あれ? これは……何?」
立ち止まり、しゃがみ込むソリス。
「あっ! タマゴタケだ! これ、美味しいんだよ!」
セリオンは碧い目をキラキラと輝かせた。
「えっ? 見た目は毒々しいけど……」
「大丈夫! 掘ってみて。崩れやすいからそっとね」
う、うん……。
ソリスは恐る恐る落ち葉をかき分け、根元を掘ってみる。
なるほど、根元には卵のような白いツボがあり、それを割って生えてきているようだった。
へぇ……。
掘り上げたタマゴタケをじっくりと見れば、真っ赤なのは傘の上だけで、裏や軸は薄黄色になっている。確かに美味しそうに見えた。
ふと見まわすと、他にも何本も生えているのに気がつく。
「あっ! まだまだたくさんあるわ!」
「本当だ! ディナーが豪華になるぞ!」
二人はいきなり現れた大自然の恵みに、嬉々としてキノコ狩りに興じた――――。
バスケットいっぱいに獲れたタマゴタケ。二人は満足そうににんまりとほほ笑む。
「こんなにたくさん、食べきれないわね」
「うん、残りは街へ売りに行こう。結構高値で売れるんだよ」
「本当!? お金も稼げちゃうなんてラッキーだわ!」
「おねぇちゃんが来て、運が向いてきたみたい。ありがとう」
ニッコリと笑うセリオン。
「そ、そう? よ、良かった……」
ソリスは恥ずかしくなってキノコの山に目を落とし、落ち葉などを取り除く。
すると、そのうちの一つの傘に白いイボイボがついているのに気がついた。
「あれ? このキノコ、イボが付いてるわ……?」
ソリスは不思議そうにそれをつまみ上げる。
「あっ! ダメダメ! それはベニテングダケ。毒キノコだよ」
セリオンは慌てて叫んだ。
「えっ!? 毒キノコ……? 危なかったわ……」
胸をなでおろすソリス。
「食べた人は『女神様と交信できた』とか言ってるけど、危険なキノコだよ!」
「め、女神様と!?」
ソリスの心臓がドクンと高鳴った。自分の秘密も仲間の蘇生も今、女神様に全てがつながっているのだ。
「いやいや、単なる幻覚だよ。毒で女神様呼べる訳ないもん」
セリオンは眉をひそめ、首を振った。
「げ、幻覚……なのね……」
「塩漬けにすると毒は抜けるので持って帰ろう。毒さえ抜けば美味しいよ!」
「毒を……抜く……」
ソリスはその白いイボイボをまじまじと見つめながら、秘められた不思議な力に魅入られていた。